第5話 森の監視者と、動き出す破滅フラグ

暴走魔獣事件の翌日、学園の空気は露骨に変わった。


「昨日の魔獣、見た?」

「封印が壊れたのに、ほとんど誰も怪我してないって……」

「最後、止めたのってリュクスだろ?」


 視線はまだ好意的ではない。

 ただ、“一方的な悪評”だけではなくなった。


(処刑ルートの進行速度は、確実に落ちた)


 本来なら、昨日の実技で重傷者が出て、

 「学園の混乱」と「処刑派閥の台頭」が一気に進む。


 今は、その前提が崩れている。


(だから──やつらは、別ルートから圧をかけてくる)


 婚約破棄。

 学園処分。

 暗殺。


 前世のゲームでは、それらが“並列で”動き始めた。



「リュクス様」


 昼休み前、教室でノートを閉じたタイミングで、

 執事役の使いが小声で近づいてきた。


「本日、侯爵家より書簡が一通……」


(来たな)


 エリシアの実家、ヴェルンハイト侯爵家。

 婚約関係の事務連絡は、大抵ここから届く。


 封蝋を確かめると、やはり見覚えのある紋章だった。


 人目を避けて廊下の端に寄り、封を切る。


 ──“近日中に予定される王都社交会にて、あなたの態度如何によっては、婚約の見直しもやむなしと判断する”


(前世より……早いな)


 本来、この文言が来るのは、

 学園内での素行がさらに悪化した後だった。


 今はむしろ、改善の兆しすらある。


 それでも、向こうは“予定通り”破棄に向けて動く。


(処刑ルートの因果は、まだ死んでない)


 婚約破棄は、処刑フラグの中核。

 ここを折り損ねると、一年後の公開処刑がほぼ確定する。


(とはいえ、今日の時点でどうこうできる話でもない)


 まずは、敵派閥の“暗殺・処分ルート”の足を止める必要がある。


 暗殺。

 監視。

 情報操作。


 その最初の手が、学園外の森での“監視者配置イベント”。



 放課後。

 夕食前の時間帯。


 俺は寮の門から、人気の少ない裏手の通用路に出た。


 夕陽が西に傾き、学園の影が長く伸びている。


(ゲームだと、ここから森に続く小道でイベント発生。

 プレイヤー視点では“背景テキスト”で済まされていた部分だな)


 表向きは散歩。

 裏の目的は一つ。


 ──森に張り付いている監視役の“所在確認”。


 木々の間を抜けると、ひんやりした空気が肌を撫でた。


 鳥の鳴き声。

 風に揺れる枝の音。


 一見、いつも通りの静かな森。


 だが──


(……一箇所だけ、音が抜けてる)


 左前方。

 十数歩くらいの距離。


 そこだけ、妙に“空白”だ。


 鳥の声が途切れ、

 風の音も薄くなる。


(魔力の流れが、局所的に乱れてる)


 鉄剣の柄に指を添える。

 刃の奥で、二重の層が微かに重なった。


「……出てこないなら、こっちから行くか」


 独り言のように呟き、一歩そちらへ踏み込む。


 同時に──


 樹の陰から、フード付きの影が滑り出た。



「接触が早いな、“悪役貴族”」


 低い声。

 年齢は分からない。


 黒い外套。

 布で覆われた口元。

 手には短杖と細身の短剣。


(純粋な暗殺者じゃない。監視寄りだな)


 攻撃用というより、報告と観察が本業。

 ゲームでも「森に監視役が配置されている」とだけ説明されていた奴らだ。


「昨日の魔獣。予定が少し狂った」


 監視者は、こちらに短剣を向けながら言った。


「本来なら、何人か運び出されて、学園の混乱が始まるはずだった。

 ……なのに、お前が全部潰した」


「生憎な。死にたくないだけだ」


「だが、我々の主の“計画”は変わらない。

 婚約も、処分も、暗殺も──全部、予定通り進む」


(主、ね。アルノスか、その後ろの家門か)


 いずれにせよ、“処刑ルートの核”に繋がる線だ。


「だから今日は、“確認”に来た。

 お前がどこまで邪魔になりそうか、な」


 言い終えるのと同時に、

 監視者の足元の影が揺れた。


 短杖の先端に、淡い紫の光が集まる。


 詠唱はない。

 ほとんど反射に近い動き。


(小規模の拘束魔術……足を止める類か)


 地面に“絡みつく風”の感触が走る。


 普通なら、回避する前に足首を取られる。


 だが──


「遅い」


 古びた鉄剣を、鞘ごと少し持ち上げる。


 刃の内側で、層が二重に揃った。


 視界の端に、淡い膜の線が浮かぶ。


 足元に広がる拘束魔術の“輪郭”。


(ここの線を……一部だけ削る)


 鞘から半分だけ抜いた刃で、

 地面の上を軽くなぞる。


 ガリッ、と目に見えない何かが“欠ける”感触。


 次の瞬間、足首に絡みつくはずだった魔力が、

 霧のようにほどけて消えた。


「……!」


 監視者の目が見開かれる。


「結界魔術を……“斬った”?」


「正確には、支えてる線を一本切っただけだ」


 説明しても理解はされないだろう。

 だが、剣の側ははっきりと反応している。


 結界。

 拘束。

 封印。


 それらを維持している“見えない線”が、

 今の俺には輪郭だけ見えていた。


(まだ“因果”まではいかない。

 単純な効果線の切断レベルだ)



 監視者は舌打ちし、今度は短剣で距離を詰めてくる。


 足運びは素早い。

 森の地形を完全に把握した動き。


 一撃目は低い突き。

 二撃目は斜めの斬り上げ。


(教科書通りの殺しの型、ってところか)


 だが、俺の視界には、

 その動きがすべて“線”として浮かんでいる。


 肘から手首。

 肩から腰。

 踏み込み足の軌跡。


 それらを束ねる一本の“攻撃線”。


 俺は鉄剣を鞘から抜ききることなく、

 側面だけをその線に差し込んだ。


 キン、と軽い音。


 短剣の軌道が、途中で“曲がる”。


「……ぐっ」


 監視者の体勢が崩れ、

 木の幹に肩をぶつけた。


 その隙に、一歩だけ踏み込む。


 刃で斬る必要はない。


 ただ、フードの縁をなぞるように振る。


 布が裂け、顔の下半分が露わになった。


 特徴の薄い顔。

 ただ、首元の痣のような印だけが目に残る。


(あの紋様……ゲームで見たな)


 敵派閥の裏方を担う“影組織”の印。

 王都の三家門のうち一つが裏で利用している連中だ。


「この距離で顔を見られたのは……失策だな」


 監視者が息を荒げながら呟く。


「殺しに切り替えるか?」


「お互い、今はそこまでやる段階じゃないだろ」


 俺は一歩、わざと後ろに下がった。


「お前らの目的は“監視と報告”。

 こっちの目的は、“破滅フラグの把握”だ」


 今ここで殺せば、別の駒が補充されるだけだ。

 それよりも、敵の構造を知った方が得だ。


「……舐めているな、悪役貴族」


「お互い様だろ。

 俺を“ゲーム通りに暴れるだけの馬鹿”だと思ってる時点で」


 監視者は、短剣を構え直すことなく、距離を開けた。


 すぐに殺し合いに発展しなかったのは、

 向こうもまだ“様子見の段階”だからだろう。


「報告しておこう。

 リュクス=ハルト。予定よりも早く、“因果に干渉しうる剣”を持った、と」


「好きにしろ」


「次に会う時は、もう少し本気で行く」


 そう言い残し、監視者は森の奥へと姿を消した。



 静けさが戻る。


 風が木の葉を揺らし、

 さっきまでの気配を洗い流していく。


(……因果に干渉しうる、ね)


 向こうの認識でも、この剣はすでに“異常な武器”扱いらしい。


 柄を握り直す。


 層の震えは、さっきよりわずかに強くなっている。


(進化が早い。

 それだけ、事態の進行も早められてるってことだ)


 婚約破棄の予告。

 監視者の配置。

 学園内での噂の変化。


 全部、処刑ルートの“変形バージョン”だ。


 ゲームと完全一致ではない。

 だが、根底にある因果は同じ方向を向いている。


(つまり──次は“学園裏庭の罠イベント”だな)


 落とし穴。

 魔術罠。

 証拠捏造。


 前世では、リュクスが不用意に踏み抜き、

 「危険区域での暴力事件」として処分フラグが立った。


 今回は逆に、それを“敵に踏ませる”。


(そのためにも、剣の層の制御をもう一段階上げる必要がある)


 拘束魔術。

 罠の魔法陣。

 隠蔽結界。


 そういった“仕掛け”を、

 狙った分だけ剥がせるようにならないといけない。


 森を抜け、学園の輪郭が見えてくる。


 夕陽に照らされたその影は、

 前より少しだけ“違う形”に見えた。


(破滅フラグは、本格的に動き始めた。

 けれど同じだけ──俺の手札も増えてる)


 古びた鉄剣は、鞘の中で静かに脈動していた。


 それはまるで、

 次の戦場に備えろ、と急かしているようだった。

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