第5話 森の監視者と、動き出す破滅フラグ
暴走魔獣事件の翌日、学園の空気は露骨に変わった。
「昨日の魔獣、見た?」
「封印が壊れたのに、ほとんど誰も怪我してないって……」
「最後、止めたのってリュクスだろ?」
視線はまだ好意的ではない。
ただ、“一方的な悪評”だけではなくなった。
(処刑ルートの進行速度は、確実に落ちた)
本来なら、昨日の実技で重傷者が出て、
「学園の混乱」と「処刑派閥の台頭」が一気に進む。
今は、その前提が崩れている。
(だから──やつらは、別ルートから圧をかけてくる)
婚約破棄。
学園処分。
暗殺。
前世のゲームでは、それらが“並列で”動き始めた。
◇
「リュクス様」
昼休み前、教室でノートを閉じたタイミングで、
執事役の使いが小声で近づいてきた。
「本日、侯爵家より書簡が一通……」
(来たな)
エリシアの実家、ヴェルンハイト侯爵家。
婚約関係の事務連絡は、大抵ここから届く。
封蝋を確かめると、やはり見覚えのある紋章だった。
人目を避けて廊下の端に寄り、封を切る。
──“近日中に予定される王都社交会にて、あなたの態度如何によっては、婚約の見直しもやむなしと判断する”
(前世より……早いな)
本来、この文言が来るのは、
学園内での素行がさらに悪化した後だった。
今はむしろ、改善の兆しすらある。
それでも、向こうは“予定通り”破棄に向けて動く。
(処刑ルートの因果は、まだ死んでない)
婚約破棄は、処刑フラグの中核。
ここを折り損ねると、一年後の公開処刑がほぼ確定する。
(とはいえ、今日の時点でどうこうできる話でもない)
まずは、敵派閥の“暗殺・処分ルート”の足を止める必要がある。
暗殺。
監視。
情報操作。
その最初の手が、学園外の森での“監視者配置イベント”。
◇
放課後。
夕食前の時間帯。
俺は寮の門から、人気の少ない裏手の通用路に出た。
夕陽が西に傾き、学園の影が長く伸びている。
(ゲームだと、ここから森に続く小道でイベント発生。
プレイヤー視点では“背景テキスト”で済まされていた部分だな)
表向きは散歩。
裏の目的は一つ。
──森に張り付いている監視役の“所在確認”。
木々の間を抜けると、ひんやりした空気が肌を撫でた。
鳥の鳴き声。
風に揺れる枝の音。
一見、いつも通りの静かな森。
だが──
(……一箇所だけ、音が抜けてる)
左前方。
十数歩くらいの距離。
そこだけ、妙に“空白”だ。
鳥の声が途切れ、
風の音も薄くなる。
(魔力の流れが、局所的に乱れてる)
鉄剣の柄に指を添える。
刃の奥で、二重の層が微かに重なった。
「……出てこないなら、こっちから行くか」
独り言のように呟き、一歩そちらへ踏み込む。
同時に──
樹の陰から、フード付きの影が滑り出た。
◇
「接触が早いな、“悪役貴族”」
低い声。
年齢は分からない。
黒い外套。
布で覆われた口元。
手には短杖と細身の短剣。
(純粋な暗殺者じゃない。監視寄りだな)
攻撃用というより、報告と観察が本業。
ゲームでも「森に監視役が配置されている」とだけ説明されていた奴らだ。
「昨日の魔獣。予定が少し狂った」
監視者は、こちらに短剣を向けながら言った。
「本来なら、何人か運び出されて、学園の混乱が始まるはずだった。
……なのに、お前が全部潰した」
「生憎な。死にたくないだけだ」
「だが、我々の主の“計画”は変わらない。
婚約も、処分も、暗殺も──全部、予定通り進む」
(主、ね。アルノスか、その後ろの家門か)
いずれにせよ、“処刑ルートの核”に繋がる線だ。
「だから今日は、“確認”に来た。
お前がどこまで邪魔になりそうか、な」
言い終えるのと同時に、
監視者の足元の影が揺れた。
短杖の先端に、淡い紫の光が集まる。
詠唱はない。
ほとんど反射に近い動き。
(小規模の拘束魔術……足を止める類か)
地面に“絡みつく風”の感触が走る。
普通なら、回避する前に足首を取られる。
だが──
「遅い」
古びた鉄剣を、鞘ごと少し持ち上げる。
刃の内側で、層が二重に揃った。
視界の端に、淡い膜の線が浮かぶ。
足元に広がる拘束魔術の“輪郭”。
(ここの線を……一部だけ削る)
鞘から半分だけ抜いた刃で、
地面の上を軽くなぞる。
ガリッ、と目に見えない何かが“欠ける”感触。
次の瞬間、足首に絡みつくはずだった魔力が、
霧のようにほどけて消えた。
「……!」
監視者の目が見開かれる。
「結界魔術を……“斬った”?」
「正確には、支えてる線を一本切っただけだ」
説明しても理解はされないだろう。
だが、剣の側ははっきりと反応している。
結界。
拘束。
封印。
それらを維持している“見えない線”が、
今の俺には輪郭だけ見えていた。
(まだ“因果”まではいかない。
単純な効果線の切断レベルだ)
◇
監視者は舌打ちし、今度は短剣で距離を詰めてくる。
足運びは素早い。
森の地形を完全に把握した動き。
一撃目は低い突き。
二撃目は斜めの斬り上げ。
(教科書通りの殺しの型、ってところか)
だが、俺の視界には、
その動きがすべて“線”として浮かんでいる。
肘から手首。
肩から腰。
踏み込み足の軌跡。
それらを束ねる一本の“攻撃線”。
俺は鉄剣を鞘から抜ききることなく、
側面だけをその線に差し込んだ。
キン、と軽い音。
短剣の軌道が、途中で“曲がる”。
「……ぐっ」
監視者の体勢が崩れ、
木の幹に肩をぶつけた。
その隙に、一歩だけ踏み込む。
刃で斬る必要はない。
ただ、フードの縁をなぞるように振る。
布が裂け、顔の下半分が露わになった。
特徴の薄い顔。
ただ、首元の痣のような印だけが目に残る。
(あの紋様……ゲームで見たな)
敵派閥の裏方を担う“影組織”の印。
王都の三家門のうち一つが裏で利用している連中だ。
「この距離で顔を見られたのは……失策だな」
監視者が息を荒げながら呟く。
「殺しに切り替えるか?」
「お互い、今はそこまでやる段階じゃないだろ」
俺は一歩、わざと後ろに下がった。
「お前らの目的は“監視と報告”。
こっちの目的は、“破滅フラグの把握”だ」
今ここで殺せば、別の駒が補充されるだけだ。
それよりも、敵の構造を知った方が得だ。
「……舐めているな、悪役貴族」
「お互い様だろ。
俺を“ゲーム通りに暴れるだけの馬鹿”だと思ってる時点で」
監視者は、短剣を構え直すことなく、距離を開けた。
すぐに殺し合いに発展しなかったのは、
向こうもまだ“様子見の段階”だからだろう。
「報告しておこう。
リュクス=ハルト。予定よりも早く、“因果に干渉しうる剣”を持った、と」
「好きにしろ」
「次に会う時は、もう少し本気で行く」
そう言い残し、監視者は森の奥へと姿を消した。
◇
静けさが戻る。
風が木の葉を揺らし、
さっきまでの気配を洗い流していく。
(……因果に干渉しうる、ね)
向こうの認識でも、この剣はすでに“異常な武器”扱いらしい。
柄を握り直す。
層の震えは、さっきよりわずかに強くなっている。
(進化が早い。
それだけ、事態の進行も早められてるってことだ)
婚約破棄の予告。
監視者の配置。
学園内での噂の変化。
全部、処刑ルートの“変形バージョン”だ。
ゲームと完全一致ではない。
だが、根底にある因果は同じ方向を向いている。
(つまり──次は“学園裏庭の罠イベント”だな)
落とし穴。
魔術罠。
証拠捏造。
前世では、リュクスが不用意に踏み抜き、
「危険区域での暴力事件」として処分フラグが立った。
今回は逆に、それを“敵に踏ませる”。
(そのためにも、剣の層の制御をもう一段階上げる必要がある)
拘束魔術。
罠の魔法陣。
隠蔽結界。
そういった“仕掛け”を、
狙った分だけ剥がせるようにならないといけない。
森を抜け、学園の輪郭が見えてくる。
夕陽に照らされたその影は、
前より少しだけ“違う形”に見えた。
(破滅フラグは、本格的に動き始めた。
けれど同じだけ──俺の手札も増えてる)
古びた鉄剣は、鞘の中で静かに脈動していた。
それはまるで、
次の戦場に備えろ、と急かしているようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます