第4話
下水管の中は糞尿を十八時間煮詰めたような臭いが充満していた。ここまで臭いがこもっているともはや地上の糞の香りが恋しかった。
男に続いて注意して梯子を下りると二メートルほどの高さがある円柱状の空洞に出た。雨水と混ざった汚水が足もとを下水処理場の方向へ流れていた。
糞の中を俺と男は無言で歩いた。男が俺のことを何だと思っているのか、俺をどうするつもりなのか、定かではなかったが、俺の望みを叶えるためには男を利用した方が有用であるように感じた。
天井には等間隔に照明がつけられていた。つまり男は初めてここに足を踏み入れた訳ではないのだろう。十分か十五分か歩いた頃、前方に人の気配がした。五、六人はいるだろうか、何かを言い合うような声と作業音が聞こえてきた。
「おい、あれはお前の仲間か? 下水処理場の従業員じゃないだろう。あそこでなにをしている」俺は尋ねた。
「言ってもいいが、聞けば生きてここから出られないと思えよ」
「俺は体制側の人間だ。俺にそんな言葉を吐いていいと思ってるのか?」
「知ってるさ。ただお前が俺を拘束するつもりならドローンに合図すれば良かっただけだ。お前にはなにか人に言えない事情がある」
「お前を泳がせただけかもしれない」
「武器を持ってるならあいつらが見えた段階で俺を拘束するのが得策だろう。数の利がないんだからな。つまりお前は丸腰で敵のアジトに乗り込んできた間抜けって訳だ。ちなみにずいぶん不健康そうな顔色をしているが、マンホールまでかけっこしてどっちが速いか試してみるか?」
いつの間にか形勢逆転されていたらしい。俺は男に腕を引かれ男の仲間たちと合流した。
「そいつは?」
浅黒く焼けた女が男に尋ねる。リーダーだろうか、背が高く若いくせに妙な貫禄がある。N95マスクに隠れているが美人な系統だろう。
「入口の近くでうろうろしてたから連れてきた。たぶん体制の人間だが、どうやら訳ありらしい」
女は俺のことをつま先から薄くなり始めた頭頂部までつぶさに観察して言った。「よしお前、私たちに協力するかここで死ぬまで糞を食わされるか好きなほうを選べ」
「偉そうに。俺が中央にゲロったら当該地域は明日にでもロックダウンだ。残念だったな。なに企んでるか知らねーけど」
女の拳がみぞおちにめり込み、胃袋を痙攣させた後に俺は嘔吐した。そして数分後には俺は男二人に拘束され女が手づかみで口に近づける糞便の塊を避けようと首を左右に激しく動かしながら泣いてそれだけはやめてくださいと懇願していた。
聞けば、女たちはロックダウンを避けるべく、下水道管を破壊しようと画策していたらしい。仕方ないから俺は身分を告げたうえで、口の周りに糞便を付けたまま適切な助言をしてやる。
「それは止めておいた方がいい。確かにそうすることで一時的にCRIは実施されないかもしれないが、破壊工作なんかすればすぐに証拠が見つかって即時ロックダウンだ。仮に証拠が見つからなくてもでっちあげられて終了。ちなみにサンプルの入れ替えもデータの書き換えもすべて機械化されていて手出しできないし、しようとした瞬間に統制AIに気づかれる」
「御託はいいから専門家としてロックダウンを避けるための最も可能性の高い方法だけ教えろ」
「この辺の下水道台帳図が必要になるけど……」
俺は自分の考えをまとめ、伝える。想像だにしない、だが俺にとって都合の良い展開だった。
「よしお前、一週間後に下水道台帳図を持参して来い。私たちはそれまでに必要な準備を済ませておく。裏切ったら肛門から糞で割った尿を食わせて溺死させるからな」
「……はい」
俺は年下の女に向けて情けない声を出す。最後に一つ、確認しておくことがあった。
「当該地域に、佐々村サシャという十四歳の子がいるか?」
女は首を振る。周りの男たちに尋ねるが、誰も知っている様子はなかった。
「お前の隠し子か? 一週間でその子の情報もできる限り集めておこう。その代わり裏切ったらそいつにも糞を食わせて殺すからな」
「分かった」
女はハルと名乗った。男の方はノラ。他の奴らも名乗っていた気がするがすぐに忘れた。
マンホールから外に出た俺は糞臭い公園の水道で体を洗い、再び壁を越えて当該地域の外に出た。糞の残り香は風呂やサウナに入っても二十四時間以上俺に纏わりつき、下水処理場の従業員たちの顰蹙を買ったことは言うまでもない。
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