21XX年、母になる痛みを失った世界で

風間 華

第1話  メモ帳の中の物語

 最近、散歩のときには必ず小さなメモ帳を持ち歩くようになった。

 古い紙の匂いと、ボールペンのインクのかすかな滲み。それは、私がまだ十代のころ、勉強道具と一緒にいつも持ち歩いていたものとよく似ている。


 ベビーカーを押しながら、私は信号待ちのあいだにメモ帳を開いた。十一月の風は乾いていて、指先だけが少し冷たい。


 ――「人間は、痛みを忘れていく生き物だ。それでも、覚えていなければならない痛みがある。」


 そんな一文を書きつけて、ペン先を止める。

 痛み。出産の。


 私の世代で、それを実際の身体感覚として知っている人はほとんどいない。母や祖母の世代が語る、陣痛だの会陰切開だのという言葉は、もう医学の歴史資料のなかでしか見かけない。


 私自身も、もちろん経験はない。

 娘の紗良は、ガラスのゆりかごの中で育てられ、十日で「こちら側」にやってきた子だ。


 信号が青に変わり、ベビーカーの車輪が滑るように横断歩道を渡っていく。紗良はすでに新生児よりひとまわり大きく、首もだいぶしっかりしてきている。それでも、時々、私はふと立ち止まって、彼女の頬に触れたくなる衝動にかられる。


 本当に、私の子どもなんだろうか――と。


 そんなことを考える自分を責める気持ちもある。

 卵子は私のもの、精子は勝のもの。組み合わせた受精卵が、培養液の中で細胞分裂を重ね、十日で「配達可能」な状態になる。


 完全管理された温度と栄養、遺伝子異常のスクリーニング、発育過程のリアルタイム監視。

 医療技術と工学の粋を集めた「ガラスのゆりかご」は、妊娠中毒症も早産も流産も、ほとんどこの世から追い払ってしまった。


 それはたしかに「解放」だ。

 妊娠出産に伴う女性の身体的負担からの解放。キャリアの中断からの解放。命を賭けた出産の不安からの解放。


 でも、解放はいつだって、別の種類の不安を連れてくる。


 私はまた、メモ帳を開き直した。


 ――「痛みのない世界で、私たちは何を対価に支払ったのだろう。」


 そこまで書いたとき、ベビーカーの中から、小さなくしゃみの音が聞こえた。


「……あ、ごめん。風、冷たかったね」


 私は慌てて紗良のブランケットを直し、その顔を覗き込んだ。うっすら開いた瞳が、ぼんやりと私を映している。


 紗良の頬に指を当てる。体温はあたたかい。呼吸も整っている。

 それでも、胸の内に、うっすらとした不安が影を落とす。


 十日で育てられた子ども。

 私の身体の中を通らなかった命。


 私は、母親と呼んでいいのだろうか。

 それとも、私は、ただ「受け取り人」に過ぎないのだろうか。


 そんな問いを、私は誰にも言えずにいる。

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