蛤順也を追え

ここは2000年の大阪駅11番線。

ホームで発車を待つのは青森行きの特急『白鳥』号である。

濃いクリーム色にえんじ色の帯を引いた9両編成の特急列車は青を地に水場から飛び立つ白鳥をヘッドマークのモチーフにしており、黄色の字で『白鳥』と描かれている。


出発時刻は10時12分で青森終着は22時59分。


蛤辰哉は長男の順也を連れてその『白鳥』号に乗った。


『11番線から特急「白鳥」号青森行きが発車します。次の停車駅は新大阪、新大阪です』


「父ちゃん、オラ退屈だで」

「いい加減にしろ!!」

この『白鳥』に間に合わせるべく貝塚の社宅を朝一番に飛び出した。


新大阪を出た後、京都、敦賀、福井、芦原温泉、加賀温泉、と停車し、13時前になってようやく金沢駅に着いた。


後年に浜川裕平さんが『なっくり』で『白石紬』改め『白石詩織』という名のヒロインを出すが、彼女の元ネタであろう『ミリマス』のアイドル『白石紬』は金沢市ひがし茶屋街に店舗を構える呉服屋が親元である。


改札を出ると順也がいない。


辰哉は彼が行方不明になったので鉄警隊に失踪届と捜索願を提出し、石川県警に連絡がいった。


既に16時を回り、『白鳥』は新潟県内を走行している。

上り大阪行きの『白鳥』も既に金沢駅を出てしまっているが、順也が乗ったのはその特急で19時を回った大阪駅を最後に彼は17歳の若さで消息を絶つ。


年月が経ち、元号が令和になった後の日。

20代の神谷圭太はロシア系の混血児である菅原麗奈&里紗の姉妹と働きながら共同生活をしている。


この日は仕事が休みなので彼が卵焼きを作り、その余力でハンバーグを焼いていた。

これは作りおきの一環で、体力や時間のないときに楽をするための手法である。

あらかじめ多めに焼いておき、冷凍してストックする。

そのストックから毎日の食事やお弁当のおかずに充てるのである。


3人の社宅は新潟県の新潟市にある。

最寄り駅は江南区の亀田なので柄が悪いきらいこそあるものの、家賃が安めで3人を受け入れてくれる社宅があった。


とある水曜日。

朝の上越新幹線『とき』で東京駅へ飛び、観光特急『サフィール踊り子1号』を待っていると、3人の乗る1号車プレミアムグリーン車のあたりにサングラスの小男が近づく。


ーーーYouTuberの『サイアム』だ。

彼がYouTuberとして有名になったのは10年ほど前の8月11日。

その日は平日だったのでオフ会は大コケ。

『オフゼロ』とやゆされるようになった。


彼と同行しているのはガイドヘルパーだろうか。


「オラ、熱海なんか行きたくないだで」

「蛤さん、我慢してください」


40代にしては子供じみた声。

彼が26年前に失踪した蛤順也その人で、30歳になる年にYouTuber『サイアムゲーム』として世に出た。


そのとき、圭太は『サイアム』のグラサンの下にある『色を見た』。


子供の頃から侮辱され、嫌われ、嘲笑された者の目。

努力を知らず、友情を知らない目。

その癖甘やかされることには慣れていて、その欲に際限のない目。


ガイドヘルパーの他にいわゆる『港区女子』を4人も連れているのに女性にも飢えている目。


『サイアム』を見て戦慄した圭太だが、ガイドヘルパーの動きを見てみると彼の乗る車両は3号車の個室グリーン車だったようだ。


「『手に持ちてその器を満たそうともそのやめんにはしかず』か」

彼の言った言葉は『老子』の一節である。


「圭太、ホセ・ムヒカさんも『本当に貧しいのは欲に際限のない人』と言っていたわね」

菓子店勤務の麗奈がこれを言った。


製菓の専門学校を卒業し、製菓衛生師の資格を取得したが、実務では修練中の彼女。


彼女も圭太も大学受験で挫折した過去があり、妹の里紗は精神保健福祉士の支度をするべく修練中である。


「『巧言令色、少なし仁』かも」

『論語』から引用して無神経なことを言った里紗も『サイアム』を哀れんでいた。


彼女は『サイアム』が『真っ当な厳しさより偽りの優しさ』、または『厳しい善人より優しい悪人』を好むことを指摘しているのである。


『負の娯楽系YouTuber』としてあれほど大金を稼ぎ、何人もの『美女?』を侍らせても不幸にしか見えない。


商の紂王は暗君として有名だが、その彼でも個人としての能力が高かった分、『サイアム』ほど酷くはない。


『射夢芸夢』とやゆされる『サイアム』がいかに反社会的集団にとって『使いやすい神輿』だったかを思い知らされる。


『射夢』は『サイアム』の短縮形『シャム』を当て字にしたもので、『芸夢』と合わせて『夢想を続けていること』をやゆしている。


だからこそ彼こと『サイアム』は歪んだ。


列車が出た後、3人で詰めた手弁当と菅原姉妹の焼いた自家製の田舎風チョコチップクッキーとフィナンシェに舌鼓。


このクッキーとフィナンシェは一体のコンビで、クッキーはフィナンシェで余る卵黄とアーモンドプードルを有効活用するために焼いた。


「なぁ麗奈。このクッキー、どこのバター使ったんだ?」

「伊勢丹で買った佐渡バターだけど、良くなかった?」

「いや、さすがだよ。前ガトーショコラ焼いてくれたときは『ヤスダヨーグルト』の発酵バターだったしさ」

「あれは無塩で保存しにくいから、高いけど佐渡バターを買ってみたの。塩が少し入っているけど」


一行は熱海で乗り換え、三島で伊豆箱根鉄道に乗り換えて伊豆長岡温泉の『ニュー八景園』で泊まった。


露天風呂から富士山が見えて旅の喜びも大きかったが翌朝、『サイアム』の逮捕を聞かされる。


罪状は脱税、自殺教唆、脅迫、恐喝、窃盗、粉飾決算、婦女暴行、淫行、侮辱、暴行、迷惑禁止条例違反、詐欺、偽計業務妨害、威力業務妨害、ストーカー禁止法違反、と再逮捕間違いなしである。


呪いたいことに彼を担当した2人の訪問看護師やガイドヘルパー、カウンセラー、精神科医まで『サイアム』こと蛤順也の精神が病んでおり、年を追うごとに悪化を進めていったことを法廷で証言した。


証言者の中でも地雷系アイドル『ぱんにゃ』からの糾弾が激しく、彼女に同情者が出る一方、『サイアム』の同情者はほとんどいなかった。


26年越しで長男が見つかったと思ったのにその彼がジェンガのように罪状を積み上げてしまったことを突き付けられた辰哉氏夫妻と長女&次女、そして姉妹の亭主と子供達の不幸は筆舌に尽くしがたい。


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