いつもの朝
自宅であるアパートに帰ったのは午後九時前だった。半額シールの貼られた惣菜が入ったエコバッグを机の上に置き、台所で手を洗う。かなり遅い夕食だった。
録画していたバラエティ番組の音だけが淡々と部屋に響く。そこに人の笑い声や雑談をする声は一切なかった。台所にだけ点いた電気。薄暗い部屋で黙々と食べる惣菜。もし、現代社会の孤独という言葉を具現化すると、出てくるのはきっとこんな風景だろう。
少し前まで食事は楽しい時間の一つだったが、今はそうではない。去年の年末、一緒に住んでいた祖母が大腸癌にかかり入院したからだ。
「だけどまあ、来月には退院か。」
最近は何だかいいニュースが多い。勿論、白鳥先輩のことは例外ではあるが、軽い気持ちで買った宝くじが当たったり、長くないと言われた祖母の容態が奇跡的に回復したりと、トータルで見ると嬉しいことが続いている。
だからこそ、先程の裏谷月の不可解な行動に不穏な空気を感じざる負えなかった。
夕食を終え、シャワーをしたり、宿題を済ましたりなどの寝支度を済ませて床につく。あれから裏谷月に電話を入れたり、SNSにメッセージを送ったりもしたが何の反応もなかった。隼人とは明日の午前中に、俺と彼の家の丁度中間にある武沢駅で話し合おうと約束の連絡を取り付けた。
やるべきことはやったので、眠りに着く。時計の針がてっぺんを指すところだった。いろいろなことがあったので、目が冴えてあまり眠れそうにない。
カタカタと風に吹かれた窓が音を立てた。本当に寒い夜だ。
―――――――――
翌朝、目が冷めたのは午前九時半頃だった。ベッドのそばのカーテンを開けると、朝の眩しい日差しは容赦なく身体を叩き起こした。
「おはよう、新城君。今日は随分とお寝坊さんね。昨日何かあったの?」
着替えて部屋を出ると、台所で白鳥先輩がいつものように朝食を作っていた。
「おはようございます、白鳥先輩。昨日ちょっと夜ふかししちゃって。手を洗ったらすぐに手伝いにいきます。」
「オッケー、ありがとう新城君。じゃあ手洗いが終わったら、そこのレタス水洗いして切ってくれる?サラダに使うから。」
「了解でーす。」
手を洗って台所に立つ。事前に取られてあったレタスの葉を水洗いして、食べやすい大きさに切り分けてボウルに入れた。加えて、冷蔵庫のハムを細かく切って、それも入れる。味付けには、玉ねぎのドレッシングを使った。実にシンプル。だがそれで良い。
「「いただきます。」」
朝食はトースターで焼いた食パンに、先輩の作った味噌汁、そして俺が作ったサラダ。俺は朝、あまり食欲がないタイプなので、このくらいがちょうどよかった。
「ありがとね、新城君。本当ならこういうこと全部、私がやらなくちゃいけないんだけど。」
急須のお茶を先輩にをついでいると、そう話しかけてきた。
「何を言ってるんです先輩。寧ろこっちが感謝する方です。先輩が来るまで、俺はここでひとり寂しく過ごしてたんですよ。最近は先輩が来てくれたおかげで明るく過ごす事ができて…。本当にありがとうございます」
「えへへ、そんな事言われると照れちゃうなあ。それで、今日の予定はある?私は今日はここで、借りてきた本を読むつもりだけど。」
「今のところ夕方からバイトのシフトが入っている以外に用事はありません。取り敢えず、午前は勉強して、午後にお婆ちゃんのお見舞いにでも行こうかなと。」
何か重要なことを忘れているような気がする。いつも入れている時間帯にバイトがない時のような、ふわふわとしてた欠落感。幸せなはずなのになぜこんなにも不安なのだろう。
「お祖母様のお見舞いね。確か来月には退院できるんでしょう?一時はどうなるかと思ったけど、本当に良かったよ。私は行けないけど、お婆様によろしく伝えといてくれる?」
「勿論です。あっそうだ。先輩、もしよければ今d―――」
トゥルルルルルルルルル
いきなりポケットに入れてあったスマホから電話がなる。先輩に一言謝ってからリビングから自室に移動した。
電話の相手は隼人だった。
『もしもし?新城さんですか。よかったーやっと出てくれた。なんで電話何回も鳴らしたのに出てくれないんですか?心配しましたよ。』
そう言われて、通知を確認すると、五件ほど隼人から電話の通知があった。
「すまん。今日起きるのが遅くて出られなかった。もしかしてもう駅に着いちゃってたりするか?」
『実はもう一時間前には着いてます。まあでも、起きたばかりならそう急がなくても大丈夫ですよ。無事ならよかったです。』
隼人は気を使って、ゆっくり来いと言ったが、こちらから約束した手前、相手を待たせるわけにはいかない。
「いや、そういう訳もいかないだろう?ちょっと待ってろ。すぐそっちに向かう。待ち合わせは北口で大丈夫だよな?」
『はい。今北口のコンビニの前のベンチに座ってるところです。ほんとゆっくりで大丈夫ですから。』
「わかった。三十分くらいで着くと思うから、もう少しだけ待っててもらえないか?」
了解です、またあとで―という隼人の返事を聞いて、電話を切った。急いで残りの朝食を流し込み一人分の食器を洗い、身なりを整えて家を出る。
「―――いってらっしゃい、新城君。」
家を出る直前、誰もいないはずの台所のから声が聞こえた。勿論、そこには人っ子ひとりいない。
(疲れているのか?今、先輩の声が聞こえた気がするけど。)
微かに後ろ髪を引かれる思いをしながら、使い古された自転車の鍵を開け、若干重いペダルに足をかける。目的地の竹沢駅まで全力疾走で二十分。朝の運動にはぴったりだった。
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