両親よ、どうか親愛なるままで
清賀まひろ
『良い子』の皮が、もう
私は人間関係が好きだ。でも
趣味で連載中のweb小説では、様々な人間・色々なコミュニティの難しさを書くことに挑戦している。それが好きで、楽しいから。
直近で書いているのが、家庭の話。私にとって根深いテーマだ。物語の中では、育ったキャラクター達のお陰で、私の実力以上のものを書けていると思えている。
主人公の彼とは『二人三脚』の感覚でいる私。しかし彼の生育家庭のエピソードを執筆し公開して以降、私がその場にうずくまり彼の脚を引っ張っているとしか思えない違和感が消えなくなってしまった。このような執筆の止まり方は初めてだ。
だから、物語を差し置いた別枠でこれを書き殴り、捨て置かせてもらう。私が創り出したい物語のためには、主人公と自分の道がどれだけ分かれていたって、また二人三脚で進むしかないから。
私は普通の家庭で育った。しかし、
過度な暴力を受けたり、生活できなかったり、売られたりなどはしていない。可愛がられてさえいた。色んな経験や習い事の機会に恵まれ、その一部が今も私のアイデンティティとなっている。なんとも幸せな話だ。
ただ、常に緊張していた。全ての思考と言動に許可が必要だった。何度となく両親を信じ、その度に深く傷付いた。それだけだ。
結果、今の私には、両親に対して「ありがとう」と「許さねえ」との
私は、実家を出てもう10年以上経つ。それでも関係は
連載中の拙作にも、その苦しみは反映されている。最も多く受け止めてくれているのは、やはり主人公の家庭環境だろう。
何不自由ない暮らしの中の猛毒を書いた。主人公たる彼を通し、私の内に残る毒の
しかしあくまで『ありふれた家庭の居心地の悪さ』のつもりだった。
その上で「それでもこの主人公にとっては、もうそこに居られないほど嫌だったんだよ」という形で伝えようとしていた。
ところが。主人公が家族を振り返り、捉え直し、自分なりの結末を選ぶ過程を書き表すうちに、作者である私自身が「この主人公は随分と可哀想だなぁ」と思うようになった。執筆の進行に
それでも何とか、彼なりの結末を公開できた。後味は悪いと自負していたのに、これまで見守ってくれた方々から、多くの『お疲れ様』という惜しみない理解と
──主人公が
全く想定していなかったが、ここに至り、私も初めて自覚することができた。「自分は随分な環境で育ったのかも」「両親が好きではないのかも」と。
いや……自覚して『しまった』と言わなくてはいけないかも知れない。
私は家を出て以来、盆・正月・GWは基本的に
普通の親孝行だからと思考停止して、帰る度に死ぬほど傷つき疲れ果てていることを直視せず、慣れ親しんだ家族の形に安心するという錯覚だけを信じ、安くない新幹線代を湯水のように使い続けている。
逆に家族が会いに来ると言えば、最優先の予定として
これのおかしさに、蓄積した自分の疲労に、気付いてしまったのだ。
認識した瞬間、噴き出し始めた。
拙作主人公を追うようにして、毎晩実家を夢に見て、
狙ったようなタイミングで母のLINEが連投され、寝込んだ。意に沿わぬ旅行を断るのに3日を要した。その3日間をかけても1文字すら返事が打てず、震えて泣きながら
会いたくない。大嫌いだ。許せない。それでもまだ、良い子をやめられない。見放されてしまったら存在の意味がないから。未だに怖いから。今でも愛されたいから。永遠に家族だから。
その
ここまで書いたように、どうやら、私が両親へ
しかし、あの話を世に出した後、私は初めて「両親が嫌いだ」と声に出せた。時に愚痴って溜め込み続けて生きた30年、『嫌い』とは一度も言っていなかったのだ。自分で本当に驚いた。
おそらくは、言葉にするのを無意識に避けていた。言ってはいけないと思っていたし、認めたくなかったんだろう。
それでも結局、言葉にできた瞬間、
こうして書き起こすと
もう縛られるばかりの私ではない。それがどうしようもなく不安で、泣けるほど安心だ。
ただ、私はアイツのような、物語の主役になれるような強い心身を持ち合わせていない。
割り切れない。断ち切れない。そしてこんな便利な現実世界だから、数百km離れた程度では血縁を切りにくい。
いつどこにいてどうしていても、何かに支配されている感覚が消えない。マリオネットのようだ。だったらこんな主張の強い人格も、心身の痛覚も、持たない方がよかったのに。
誰かの支配に振り回される生き方しか知らずにきたけれど、せめて自我は自由に──との考えで、カウンセリングに
そしてそのカウンセリングで、最近分かった事がこれだ。
「誰の支配も受けなくなった未知の状況が不安で仕方ないあまり、自分で自分を操っている」
「理想や常識にそぐわない個性を隠しなさいと支配し、誰にも怒られるんじゃねえぞと、自分で自分を
自由が不安だから、自分が自分の親の代わりをし始めたと。それによってまた死にたくなっていると。そういう話だ。馬鹿か? あぁ、生きづらい。
こういう時、死んでしまえば終われるという思考になる。全てを投げ出して逃げてしまいたい。私は
けれどまだ、終わらない事にしている。私は
この『
だから一応、生きたままでいる。
もちろん、過去最高に帰りたくない。
でも以前一度帰らなかった時、長文の
それでも、
金の為に頭を下げ、全面的に自分が間違っていたとの再教育に耐え、愛の支配下へと戻るしかなかった。それきりだ。
無論、感謝している。原因はどうあれ、あの頃の私は自力で生活できなかったのだし、その上強く頼み込んで、実家に戻っての生活を断ったから。心の中で
……独居生活の意思だけが受け入れられたのは、いまだによく分からない。少なくとも愛ではないような気はしている。いい歳した子供が
またあんな目に遭うくらいなら、いつも通りに数万円かけて実家に帰るべきだよな? 作った笑顔を見せ、元気を演じ、厳選したセリフを口にする、100%親のための1週間を過ごすべきだよな? ……本当にそうかな? と、少ない口座残高を見つめて考えている。
自分を守るためなので仕方ないかもしれない。でも、これで本当に自分を救えているのだろうか。
分からない。分かりたい。分かった時に正気でいられる自信もないが、私という人間はそう簡単に狂えるもんでもないと知っている。しかしどうにも頭が動かない。ただただ年末が迫っている。
こんな私だが、一つだけ、親に感謝している教えがある。
「自分の嫌なことを他人にするな」
これだけは絶対に正しいと信じている。私の人生における幸せの土台だから。人一倍傷つきやすい私だからこそ、大切な他人の心と関係を守れると考える
まあ、それを叩き込んだあんたらはどうなんですか? って話だけれど。
私の嫌なことを進んでする人間は、どこからともなく私の獲物臭を
未だに上手くできなくて、親の同類みたいな人間に
それでも私は、自分と同じ傷を、他人に与えたくない。癒し救う側でありたい。自分の傷が癒えず延々と救われないままでも、私はそちら側に立つ。自分の傷だって、自分で癒し自分で救うしかないと知っている。
例え苦しみの
望まぬ痛みを忘れられない人間としての意地だ。プライドだ。強がりだ。美学だ。宗教だ。呪いだ。浄化だ。自分で背負った理想の生き様なんだ。自分で
そう。自然に、生まれながらに、そう思ってたわけじゃない。だから当然、悪い感情だってある。
早く親死なねえかな、とかね。
表面上は穏やかで平和な親子でいる今のうちに、退場してほしいんだ。それがお互いのためだろうが。
子育て、苦労したんだろ。散々聞かせてくれたもんな。私が結婚したことで社会的な
それでいいじゃん。そこで終わればあんたらはハッピーエンドだ。私も自分のハッピーへ向かう事に集中できる。
私にも『良い子』を演じ続け、理想が叶ったかのように勘違いさせてしまった責任があるとは思っているんだ。あんたらが何を言おうとも私はこうだ、と上手く伝えられなくて、そのうち勝手に諦めて、もはや何も言う気力がなくなってしまった弱さは認めなくちゃな。
だから痛み分け。このまんま終わろうよ。
私が
私が自分で先立つよりは『普通』だろ?
そろそろ限界っぽいんだよ。耐用年数を大幅に
頼むよ。これが私の最後の愛だ。
何も知らずに、死ね。
両親よ、どうか親愛なるままで 清賀まひろ @SeigaMahiro
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