変体コレクション──デッサンを極めて透視能力を得た画家の男子高校生は、神の裸を描くため今日も土下座──

茜田フミ

1章「努力の天才と土下座する変態」

第1話「つまり絵の技術を持った変態ですか」

 

 放課後、誰もいない教室で、僕はひとり黙々と絵を描いていた。


 スケッチブックに鉛筆を走らせる。

 心を落ち着かせるための自己セラピーみたいなものだ。

 とにかく何か描かないと落ち着かない。シャッシャッと音を立てながら、僕は白い画用紙の上に沢山たくさんの人間を生み出していった。


 机に座っている男子生徒、廊下を走ってる三年生、シンバルを叩く吹奏楽部の女子生徒、あとは何を描こうか。


 ふと目線を送ると、教室の時計は午後四時半を指している。

 約束の時間はとっくのとうに過ぎていた。


「……あー、やっぱだめか」


 僕はスケッチブックを退かして、机の上にぐでーっと身を伏せた。

 夏の日差しが制服越しに僕の背中をじりじりと焦がしていく。


「もうなんか、もうなんかなぁ……待つの疲れたなぁ……」


 正直焦っているのかもしれない。

 鉛筆を握った手の内側が、バカみたいに湿っている。

 心臓は今にもはちきれそうな程、強く音を立てて鼓動していた。


 いわゆる一世一代の大博打だいばくちというか、人生の節目というか、ターニングポイントというか。とにかく、僕にとって大切なイベントが今から始まる。


 そのイベントを成立させるためにはもう一人必要な人がいるのだけれど、彼女は一向に現れる気配がない。

 おかしい。

 下駄箱の中にしっかりと手紙を忍ばせたのに。

 今日の日付、時間、場所。手紙の内容は完璧かんぺきなはずなのに。


「いや、ワンチャンわかってて来ない可能性も無くは無いのでは……」


 と、ぼやいていた瞬間だった。


「ごめんなさい、遅くなりました」


 教室の扉付近から、声が聞こえた。芯の通ったしっかりとした女性の声だ。

 思わず僕は、飛び跳ねるように席から立ち上がってしまった。


「さ、相良さがらさん!」


 変に上ずった悲鳴をあげてしまった。

 バカ野郎、落ち着け。何を舞い上がってるんだ。


 僕はスケッチブックを片手に、急いで近づく。

 僕が手紙を送った人物──相良鏡花さがらきょうかに。


 美しいルックスを誇る彼女は、僕の目の前で栗色の髪をかきわけた。


 わーおと思った。


 時代錯誤じだいさくごはなはだしいリアクションで大変申し訳ないが、わーおの一言につきる。 

 美しいなぁ、本当に。


 栗色の長髪、食パンを彷彿とさせるような、しっとりモチモチしてそうな白い柔肌、長いまつげに凛とした鼻、桃色の唇──そしてなにより、引き締まったボディライン。


 まるで丁寧に作り込まれた西洋人形みたいだ。


「……えと、浅見佐くん、ですね。三組の。あなたがこの手紙の人で間違いないです?」

「ない、です。間違いないです」


 僕が言うと、相良さんはちょっと嫌そうな顔を浮かべる。


「それで、話って?」

「えっとぉ……ですねぇ」


 改めて相良さんに視線を送る。

 あーやば。やっぱり美しいなぁチクショウ。

 口元が緩む。

 ニヤニヤしそうになった。

 頬を二度叩く。落ち着け、しっかりしろ、僕。


「話……は話でも、あの、世間話的なアレじゃなくて、えっと、真剣なアレなので……」

「まあ、手紙を読んだ時点で見当はついてます。で?」


 言って、相良さんは腰に手を当てる。

 思ったよりも高圧的な女子だ。

 ごくり、と僕はつばを飲んだ。それでもやるしかない。

 ここで逃げ出したら、一生後悔することになるぞ。

 ……よし、踏ん切りがついた。


「相良さん! あの!」


 心臓が壊れそうなくらい鼓動を刻んでる。

 僕はどうにか相良さんを真正面に捉え、深々とお辞儀し──、


「あの! 裸を描かせてください!」


 一世一代の大告白をした。

 なるほど、どんなことであれ告白って大変だ。

 こんなに苦しい思いをしてから世の恋人たちは破廉恥ハレンチな関係になるのか。

 今まで全国津々浦々ぜんこくつつうらうらのカップルを小馬鹿にしていたが、凄いな。尊敬だ。

 さて、相良さんはどんな顔をしているのだろうか。流石に驚かせちゃったかな。


「あの、相良さん……?」

 

 僕は顔を上げる。

 相良さんはスマホを耳に当てていた。


「え、あの? どなたにお電話を」

「警察です」

「警察です⁉」


 まさかの解答だった。なんてこった。


「教室に『裸を描かせてくれ』とせがむ不審者がいて警察に通報するのは当然です」

「当然じゃないです! せめて先生にしてください! いや、しないでください! ちょっと待って!」


 僕は慌てて相良さんに向けて、スケッチブックを開いた。


「僕は不審者じゃないです! ほら! これを見ればわかるはず!」


「……たくさんの、裸の絵がありますね」


 あ、開くページ間違えた。


「しかも全員学生じゃないですか……性癖の開示ですか。化けの皮をがしましたね変態」


 やってしまった。

 僕が見せたかったのは裸体画ではない。

 いや裸体画ではあるのだけれど、それは追々の話。

 最初に見せたかった部分は、別のページにある風景画だ。


「ほら! これ! 学校の花壇の模写です! 僕は画家志望なんです!」

「なるほど、カモフラージュですか。手の込んだ偽装ですね。死んでください」

「じゃなくて!」


 僕は慌ててポケットからスマホを取り出し、自分の名前──『浅見佐あさみたすく』と検索。

 検索結果には、僕がこれまで取った実績が表示されている。


 その画面を僕は相良さんに向けた。


「ほら! これ! 僕!」


 相良さんはムッとした顔で画面を凝視する。


「スマホ偽装ですか?」

「違います! そんなに信用できないならご自身のスマホで調べてみては⁉」


 すると、本当に相良さんはスマホの画面をいじり始めた。

 そこまで信用無いのか、僕は。


□□□


 体感的に十分くらいが経過した。

 相良さんの視界は未だスマホに注がれている。


「……浅見佐。

 全国小学生絵画コンクール大賞、

 社会福祉法人主催絵画コンクール優秀賞、

 日本絵画コンクール・中等部自由画部門大賞受賞、

 国際イラストコンクール油性画部門・金賞、

 サワラ・シンによる未来の画家のためのコンクール・金の卵賞、

 その他、諸々。

 ……あ、地元の新聞にインタビューされてる。

 なるほど、どうやら画家志望というのは嘘ではなさそうですね」


 恐らく画面に表示されてるであろう、僕の受賞歴を見ながら、相良さんは言う。

 これで信頼を勝ち取れただろうか。


「つまり絵の技術を持った変態ですか。気色悪い」

「き、気色悪いって……変態認識は外れないんですね」

「当然です」


 全然信用してくれてなかった。


「初対面の女子生徒にいきなり『裸を描かせてください』など頼む人は、変態以外の何者でもありません」

「そ……そんなぁ……」


 どうやら僕を信頼できない大きな要因はそこらしい。


 困ったな。


 そりゃあ今まで話した事のなかった同期の学生に『裸を描かせてください』と頼むのは、

 ほんの少し、

 ちょっとだけ、

 微量びりょうな程の、

 気持ち悪さはあるかもしれない。


 しかしだ。

 僕は別に下心から相良さんにヌードデッサンモデルを頼んだわけじゃない。

 こちとら至って真剣なのだ。


 真剣に相良さんの裸を描きたいと思っている。


「相良さん、僕の言い分を聞いてください」

「イヤです」

「聞いてください!」

「……なによ」


 はぁ、と大きなため息をつく相良さん。

 僕は構わず話し始める。


「ぼ、僕はとび大の受験を目指しています」

「とび大……東京美術大学ですか? 国立の美大ですよね」

「あ、そう。それです」


 なるほど、知っているのなら話は早い。


「で、AO入試の実演に自由画ってのがあって、僕はそこで裸体画を描こうと思ってるんです」

「気持ち悪いですね」


 ひどい、即答だった。


「気持ち悪くないです。あの、最後まで聞いて。

 僕は別に、自分の性欲を満たすために裸体画を描いているわけじゃなくて……。


 真剣に、入試で裸体画を描こうと思ってるんです。


 でも、僕の今の実力だとカスなので。

 もっと練習したくて……」


「それで私に、裸を描かせてくださいと告白したんですね」

「はい! 綺麗きれいな裸を持つ相良さんの裸体画を描けば、僕は進化できる気がして──」

「ちょっと待って」


 と、相良さんが両手を僕の前に突き出して、話に割ってきた。


「ちょっと、んーと、えっと、ちょっとストップ」

「なんですか。最後まで聞いてってお願いしましたよね」

「いや、あの、浅見くん、一つ訊いてもいいですか」

「……なんですか」

「浅見くんが、まるで私の裸を知っているかのような口ぶりだったのが、ちょっと引っ掛かって。あれですよね、綺麗な裸(推定)みたいな」

「え? あ、違います。実際に見ました」

「──っ!」


 パシン、と良い音が耳の側で響いた。

 頬がじんじんと痛み、キーンと耳鳴りがする。

 何が起きたか一瞬理解できなかった。


 が、何秒か経って、ようやく事を理解した。

 僕はぶたれたのだ。平手打ちだった。


「なっ! 相良さん! なんばしよっとですか!」

「なんばしよっとはこっちのセリフですこのゴミクソ変態! 盗撮魔! いつからですか⁉ いつからあなたは私を盗撮してたんですか! キモいキモいキモい! よく平然と私の前に立っていられますね! この変態!」

「ち、違うんです! 誤解です!」

「誤解もクソもないです! け、警察! を! 呼びます! 百人!」

「何言ってんですか! 落ち着いてください!」


 僕は世紀のテロリストか。

 とか思っている場合じゃなかった。


 相良さんは震える指で本当に110の番号を打とうとしている。

 このままだと本当に通報されかねない。


 これは完全に僕の失態だ。

 瞬発的に『裸を見た』と事実を暴露してしまったが、そこに至るまでの過程の一切を打ち明けなかった。


 そりゃあ、裸を盗撮されたと思われても当然だ。

 こうなったら、一か八か、全てを言うしかない。


 僕は覚悟を決め、声を出す。


「相良さん──僕は、服の上からでも、人の裸が視えるんです」



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