スターアップ・クロニクル
守東錬
第1話 古きもの
プロローグ
何かに導かれたに違いない。
互いに好意を持っていたことに確信はあったが、それがために思い切って告白していなかったことが仇になった。愛想を尽かされたのだ。
めっきり色っぽくなったりつこと白人男性が、とあるカフェのオープンテラスの席で楽しそうに会話している様子を、
あんなに楽し気な表情の彼女を見たことがない。
二人はもともと知り合いだったのだろうか。それとも気がつかなかっただけなのか。
鋼刃は唇を噛んだ。問い詰めようかという気はとっくに萎えていた。
男がりつこの肩に手を回すと、なんの抵抗もなくしなだれかかる。
目をそらした。
みじめだ。ここから立ち去りたい――と思ったそのときだった。
周囲が極彩色の妖しい光に包み込まれた。
街中が曼荼羅の世界に取り込まれたような錯覚を感じさせたのも束の間、突如口を開けた目の前の空間から小柄な少女が飛び出てきた。
「世皇鋼刃ね?」
少女が真っ直ぐに食い入るように見つめてくる。大きくて青い瞳はこれっぽちも淀みがない。あどけなさを残しつつも、意志の強さと聡明さを感じさせる南国系東洋風の顔立ちで、小柄で華奢にさえ感じる細身の身体に紺碧のバトルスーツがフィットしていた。
「だ、誰だ、おまえ?」
少女はその問いを無視し、視線をりつこの方に向ける。そして、これ見よがしにわざとらしいため息をついてみせた。
「終わったわ」
「何がだよ?」
「今のあなたじゃ話しにならない」
「はあ? 知らないやつにそんなこと言われる筋合いはないぞ」
その瞬間白い閃光が迸るのを見た。いや、見てはいない。網膜ではなく感覚で光を捉えたのだった。
「うわっ」
反射を超えた素早い動きで少女の繰り出した突きをかわしたものの、反撃に出る余裕はなく間髪入れずに追撃が来る。少女の攻撃はよどみなく続く。
必死でさばきながら鋼刃は戸惑うしかない。
「なかなかやるじゃない」
少女は挑発的な笑みを浮かべ、一端距離をとるために後方に退いた。
(強えぞ、こいつ)
防戦一方だったが目が動きに慣れ、反撃に転じようか――そう思いかけたとき。
「ギアを上げるわよ」
「ま、まじ?」
再び少女が近づいてくる。鋼刃は生唾を呑み込んだ。
変な言い方だが、少女の視線が重い。圧迫感を覚えるほどの濃縮な眼力とでも表現すればいいのか。
「おまえ、何者なんだ?」
「結びから来て、天荒を破るもの」
「なんだそれ? 中二病かよ」
少女は一瞬むっとした表情を見せたが、すぐに平静を取り戻し
「もうじき古きものが攻めてくる。気を引き締めないとほんとうに地球は滅ぶわ」
「古きものだって? な、なぜおまえが知ってるんだ」
しばし二人は沈黙し、臨戦態勢を崩せないまま時間が流れていく。
(やべえ。勝てる気がしねえ)
鋼刃にそう思わせるのは、この世に二人しかいない。
師・三島慶蔵と父・世皇剛次だ。
だが、目の前にいる小柄な少女から感じとる強さは、彼の知る強さとは全く異質のものだった。未知の力ほど怖いものはない。なにせ気配やら殺気をまったく感じさせないのだ。しいて例えるなら感情が欠落した暗殺者のような。だが、彼女からは邪悪さや冷たさは感じない。
握った拳はいつのまにか汗ばんでいた。
「そう緊張しないで。あなたを試してるだけだから」
「ふん。偉そうに」
三島慶蔵から伝授された奥義を解放するべきか。 そこまでの相手なのか? そもそも敵なのか?
鋼刃の右目が光を帯びていく。
「そこまでならなれるのね」
「なっ――?」
これは驚きだった。門外不出のはずなのに、なぜこの少女は奥義を知っているのか。
「ダメなのよ。それだけじゃね」
同時に姿が視界から消えた。跳躍したと気付いたときには、すでにスワン宙返りを決め、その勢いを利用した前蹴りが鋼刃の顎を狙って放たれてきた。 三島流奥義を使えば、敵のすべての動きをスローモーションとして捉えられる。
容易に見切った鋼刃は反撃に転じた。
少女が着地する直前、刈るように足払いを掛ける。タイミングよく決まったかに思えたが、それは相手が人間である場合の話。
地面と水平を保った姿勢で浮遊している少女はあどけない笑みを浮かべていた。
「なかなか強いわね。でも、やっぱりダメ」
さっきから何を勝手なことばかり一方的に宣っているのか。温厚な鋼刃も我慢の限界が来た。
「いいかげんにしろ。言いたいことがあるなら聞いてやるからさっさと話せ」
すると少女は観念したようにかぶりを振り、ゆっくりと上空を指さした。
「間に合わないわ」
指先の遥か彼方に浮かんでいた物体を見て、鋼刃は仰天した。
漆黒の巨大な円盤が、世界の上にのしかかるように浮かんでいたからだ。その円盤はすでに低空にまで降りてきている。
比類なき巨大な円盤は黒雲からぬうっと姿を現しつつあった。こんな物体は見たことがない。
いつ果てるともなく、延々と雲からせり出してくる。いったいどれほどの大きさなのか、皆目見当もつかない。
街を覆いつくす直径数十キロの巨大な影は、青空を消した。
円盤の中央が開くと、眼球が現れた。
鋼刃は完全に圧倒され、言葉すら失った。
とてつもなく巨大な眼球が人々を見下ろし、無慈悲な輝きを帯びていた。
常軌を逸した大きさと血走ったまなこの不気味さに、見上げていた市民は肝をつぶし、腰を抜かし、悲鳴を上げ、どこへ逃げていいのかもわからずに逃げ惑った。
やがて、数本の光の柱が静かに地上に降りてきた。ビーム攻撃かと思いきや、ただの光だったらしく、実害は出ていない。
何かの前触れなのか?
人々は固唾を呑んで、これから起こるであろう悪夢に想いを馳せていた。
だが、光の柱は沈黙を保ったままだった。
何も起きないというのは、逆に不安を増幅する。
だが、そんな中で「これは異星人が我々と話し合いをしたいという合図なのではないのか?」と叫びだす者がいた。
可能性は否定できない。微かな望みに縋りたいという気持ちが人々の心を惑わせる。
逃亡の足を止め、見ようによっては美しくも見える金色の光に意識が吸い寄せられた人々が畏怖に打たれていた。
ひょっとしたら、自分は選ばれた人間で救われるのかもしれない――理由もないのに、そう信じこもうとしていた。
しかし、鋼刃は眼球から膨大なエネルギーが増幅している気配を感じていた。
光の柱は数分後には、死の閃光に変わるだろう。
少女がぽつりとつぶやいた。
「あなた一人なら守ってあげる。次は期待しているわ」
最後まで聞くこともなく、終末は訪れた。
鋼刃の目は大量のフラッシュを浴びたような光の爆発を網膜にとどめ、次の瞬間には焼きついた。
痛みを感じるヒマもなかった。悲鳴を上げようとしたとき、鋼刃の意識は途絶えた。
周囲に立ち並ぶ山々は一瞬にして粉々に爆裂し、数え切れないほどの破片となって飛び散った。
天雷の迸りは徐々に移動し、想像を絶する力で次々と都市を破壊ていった。
空には漆黒の雲がわきあがり、猛烈な風が襲ってきた。爆発の炎が至るところで立ち上がり、四方八方へ勢力を広げていく。
炎の波濤はさらに進行範囲を広め、避難する市民の行く手を奪っていく。建物という建物が焼き尽くされた。破壊光線が巻き起こしたつむじ風は何十台もの車を天高く巻き上げる。
火炎の津波は風に煽られ、さらに勢いを増し、行く手にあるものすべてを焼き尽くしていった。
同様の悲惨な光景は世界中の主要都市で見られた人類が長い年月をかけて作り上げてきた文明が、正体のわからぬ光によって、根こそぎ蹂躙されていったのだった。
――かくして、世界はあっけなく滅んだ。
第一章 黄昏ゆく現代
1
鋼刃はこのとき死んでいたはずだった。
本来ならばあの死の閃光を受けて生きていられるはずがなかった。
助かったことへの喜びはない。悔しさの欠片も心に浮かばない。とりあえず考える余力くらいは残されているようだった。
仰向けのまましばらくじっとしていたら、空がやたらに広いことに気がついた。建物がないのだから視界が広まって当然なのだった。澄みわたる空の青さがやけに皮肉めいていた。陽の光の眩しさも煩わしい。
手をかざそうとゆっくり腕を動かしてみたら、炭化した腕が地面とくっついていたらしく、肘から先がもげてしまった。
しかし、痛みもない。あまりのショックに混乱し感覚が麻痺しているのか。
(なんだよ、ちくしょう)
はたして起き上がることができるだろうか?
己の中の能力を覚醒してみる。回復力も急激に上昇するから期待はできた。
(よし。動けそうだ)
希望を断ち切るように突然激痛に襲われた。
もげた腕の部分の感覚が蘇ったのだ。のたうち回りながら、教え込まれた呼吸法や意識の持ち方を駆使してなんとか痛みを消し去ろうとやり過ごそうとするが、どうにかなるようなものではなかった。
涙が出てきた。
泣くのなんていつ以来だろう。
しばらくするとなんとか痛みが和らいできた。脅威の回復力のおかげとはいえ、失った腕はもう戻らない。
不意にあの少女のことを思い出した。
記憶が確かならば「期待している」といったはずだ。
笑いがこみ上げてきた。
俺の何に期待してるんだよ? てきとうなことぬかしてんじゃねえよ。いいたいこと言ってさっさといなくなりやがって。
時間をかけて慎重に立ち上がると、瓦礫の荒野と化した街を見渡し、そのあまりの凄惨さに生唾を呑み込んだ。あちこちに転がっている炭化した黒こげの屍体群に言葉を失った。
「あなた一人なら守ってあげる」
少女のいったことは正しかったのだろう。
だが、俺だけが生き残ってどうしろと?
饐えたような匂いが鼻孔をくすぐると、たちまち猛烈な吐き気に襲われた。世界全体に漂っているのではと思わせる強烈な悪臭に思考は中断され、鋼刃は腹の中のものを吐き出した。
絞り出すような嗚咽が無人の荒野に響き、たちまち横風が凪ぎ消していく。
その声の出所を察知したものがいた。そいつらが目の前に現れるまで、一分もかからなかった。
殺気を感じた鋼刃は面を上げる。
(じょ、冗談だろ)
顔は蜥蜴。鱗にまみれた体は、金剛力士像のように肩や胸、腹の筋肉が隆起していた。
リザードマン。
鋼刃が真っ先に思い浮かべたのが数多くのファンタジーに登場する架空の生物だった。
その姿は架空ではなく、間違いなく現実のもの。 (師匠、まさかこいつらのことか?)
師・三島慶蔵から教わったことは忍術・武術だけではない。書道や三味線なども手ほどきを受けた。多芸な師は憧れであり頭が上がらない存在だった。
そして、さまざまな知識も与えられた。古来より伝わるという古文書、口伝類のもので、ほとんどが眉唾なのだが中には驚くべき内容のものもいくつかあった。
「古きもの」が未来から攻めてくる。
「古きもの」は姿を変えて何度もやって来る。
「古きもの」は「滅び」を楽しむ。
「古きもの」ははじめに天使の顔をして現れる。
「古きもの」が動き出すとき、二人の狼、一人の白龍、そして一体の人形も動き出すだろう。
ノストラダムスの大予言を彷彿させるような内容である。鋼刃は最初に慶蔵から聞かされたとき
(あれ? 師匠、ついにボケちゃった?)
と、心配したものだったがそれも懐かしく思えてくる。
「ヨクイキテイタモノダナ」
妙に機械的な声だった。ひょっとしたら、自分では声を発することができないのかもしれない。だからといって、ロボットではない。
そう断定できたのは、いつのまにか眼前に現れたリザードマンのつんとした刺激を放つ体臭を嗅いだからだ。
歯を食いしばる。目に力を入れる。戦えるかと自問する。
「ゼンシンクロコゲデハナイカ。タイシタセイメイリョクダ」
そのとき目の端に光が揺れたような気がした。
悪寒が走った。嫌な寒気だ。逆に脇腹は燃えるように熱い。
側方から忍び寄ってきた別の蜥蜴男の長い爪で内臓を抉られていたからだ。
手も足も出ない――。
内なる声が反撃しろと必死に命ずるが、すでに鋼刃の闘気は尽き果てていた。
(目を上げるんだ)
何者かの声がしたような気がした。
ふと、リザードマンたちの姿が消えたことに気がついた。
すると目の前の景色が一変した。
誰もいない都会の街角。
月明かり以外、一切灯りのない世界に立っていることにようやく気がついた。
さらには、物音ひとつしない茫漠とした空間。
静寂。
死後の世界ってやつか? それにしてはビルや道路は、俺の知っている東京のままだ。この風景はなんだ?
警戒しながら歩を進めた。と、目の前を白い影が横切った。
「誰かいるのか? 待ってくれ」
影を追いかけ、古い雑居ビルの角を曲がり、路地裏に誘おうとしている。昔からの飲み屋がひしめく場所だったが、当然営業などはしていない。
真ん中あたりまで来たとき、影が急に振り向いた。
時と場にそぐわぬ美少年だったことに驚いた。
「はじめまして。世皇鋼刃さん」
まだ変声期前のあどけない声だった。黒髪のショートカットは南国風の顔立ちによく似合い、くっきりとした眼に青い瞳が映えている。純白の貫頭衣姿は聖職者のようだ。
あの生意気な少女にどことなく似ている。
「古きもの」ははじめに天使の顔をして現れる――師の言葉が甦る。
(まさか)
鋼刃は生唾を呑み込んだ。
少年はくすりと笑って
「ぼくは古きものでも敵でもないよ」
「おまえ、おれの心の中を――」
と、少年の背後に鉄製の重々しい扉が現れた。
「ぼくはただのエスコート役。あなたを別の世界へいざなうためにここに来た」
扉がゆっくりと開いていく様を眺めながら、鋼刃は少年に確認する。
「他に選択肢はないようだな」
少年はもう言葉を発することはなかった。寂しげで、それでいてどこか挑戦的な笑みを浮かべたままだ。
「ところで、今、俺って死んでるの?」
これはどうしても訊いてみたかった。しかし、少年は薄笑みを湛えたままで答える意思はなさそうだった。
「ま、いいや。あ、これだけはどうしても教えてくれ。りつこにはまた会えるのか?」
「会えますよ。ぼくにもね。ぜひとも、正解のルートを歩んでいただきますよう願っています。では、さようなら」
言い終えると、少年の姿は一瞬にして目の前から消えてしまった。
「けっ。可愛げのないガキだぜ」
悪態をつくと鋼刃は気を取り直した。こうしていてもしょうがない。
自分、いや世界に何が起こっているのか、よくわからないが、まずはあの少年の指示通りに動いてみるとしよう。
とにかく先に進むことが大事だ。
鋼刃は意を決し、慎重に一歩を踏み出した。
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