第24話『“ゆめ”って呼ばれたはずなのに、声がどこか遠くで響いてる』


 黒い影が、木々の奥で揺れた。


(……っ……

 見える……

 夢の中のと同じ……)


 勇者はすぐ剣を構える。


「ゆめ、下がれ!」


「……っ」


 でも、足が動かなかった。


(嫌だ……怖い……

 なのに……身体、うまく反応しない……

 心だけ……遅れてる……)


 



 僧侶が私の腕を掴む。


「ゆめちゃん!! 戻るよ!!」


「……あ……」


「返事して! ゆめちゃんっ!」


(返事……?

 したいのに……

 声が……うまく出ない……)


 喉は動いているのに、空気だけが漏れる。


 勇者が叫ぶ。


「ゆめ!!」


(……呼ばれた……のに……

 なんか……遠い……

 音だけが、別の場所で鳴ってるみたい……)


 



 影はゆっくり近づいてきた。

 輪郭は人のようで、霧のようで、

 何かを探すように揺れている。


「勇者様、危険です!!」


 僧侶が叫び、結界を張る。


 透明な薄膜が周囲に広がると、

 影は一瞬だけ形を乱した。


(効いてる……?)


 しかし。


 影はそのまま、結界を“すり抜けた”。


(え……

 すり抜け……た……?)


 勇者の動きが止まる。


「……通り抜けた……?

 魔物じゃ……ない……?」


「勇者様!! 一旦退きましょう!!」


「くそ……!」


 影はゆめの方向に、ゆっくり――

 迷いなく近づいてくる。


(やだ……

 やだやだやだ……

 来ないで……)


 けど身体が、思うように動かない。


 



「ゆめ!!」


 勇者が駆け寄り、肩を抱いた。

 でもその瞬間、


 影が勇者の“腕を貫くように”通り抜けた。


「っ……!」


(え……

 勇者様に触れなかった……

 私の方にだけ……向かって……)


 影が、私の顔の前で止まった。


 黒い穴のような“目”が、私を覗き込む。


(……やだ……

 見られてる……

 私の……ここ……)


 胸の奥が、スッ……と冷えた。


 



 僧侶が泣きそうな声で叫ぶ。


「ゆめちゃん!! だめ!! 反応しないで!!

 それ、“心の匂い”を追って来てる!!

 ゆめちゃんの……薄くなってる部分……!!

 そこを……狙ってる……!!」


(薄くなってる……?

 私の……心……?)


 確かに、夢の後からずっと

 胸の真ん中が空洞みたいで。


(影は……それを追って……?)


 影の“手のようなもの”が伸びる。

 触れられた瞬間――

 自分の中の何かが無くなりそうな感覚があった。


(……いや……)


 



 勇者が叫ぶ。


「ゆめ!! 俺の声を聞け!!」


「……っ……」


「前を見ろ!! 影を見るな!!

 俺を見ろ!!」


 その言葉に、胸がぎゅっと動いた。


(……勇者様……)


 けど──


声が、すごく遠い。


まるで

水の底から聞こえてくるみたいに。


(聞こえてる……のに……

 届かない……

 なんで……)


 



 影の指先が、ゆめの胸元に触れかけたとき。


「――やめて!!」


 僧侶の叫びと同時に、光がはじけた。


 僧侶の結界が二重に重なり、

 視界が白く染まる。


 影は形を崩し、

 風に溶けるように薄れていった。


 深い森の奥へ…。


 



 静寂。


 勇者が私の肩に手を置く。


「ゆめ……大丈夫か……?」


「……だい、じょうぶです……」


 言った。

 言えた。


 でも――


(声……自分の声なのに……他人みたい……)


 僧侶は震える声で言った。


「ゆめちゃん……

 本当に危なかった……

 もう……影に触れられたら……」


(触れられたら……?)


 僧侶は言いかけて、口を閉じた。


(……言わないんだ……

 言えないくらい……危なかった……?)


 



 帰り道、私は一度も前を見れなかった。

 勇者と僧侶が左右に立ってくれているのに、

 胸の奥の冷たさは消えなかった。


(……私……

 本当に……おかしくなってきてる……?)


 ギルドが見えたとき。

 勇者が言った。


「今日はもう休め。

 明日……改めて話す」


(明日……

 “話す”……?)


 僧侶も続けた。


「ゆめちゃん……

 絶対に……ひとりにならないで」


(ひとりにならないで……

 そんなの……初めて言われた……)


 ギルドの扉を開けた時。

 外の空気なのに、

 部屋の中の空気みたいに重かった。


(……私……

 本当に……薄くなってる……)


 ゆめは、自分の手を見つめた。


 そこにちゃんと“ゆめ”がいるのか。

 自分でも確かめられなかった。

 


◆ 夜

 ベッドに横になった瞬間、

 胸の奥がひゅう、と鳴った。


(……怖い……)


 それなのに、涙は一滴も出なかった。


(……泣く感情すら……

 どこかに置いてきたみたい……)


 “あの夜の夢”で見た影と、

 今日、森で近づいてきた影が

 同じ形で重なった。


(……また……来る……

 絶対……来る……)


 眠れないまま、

 ゆめは暗い天井を見続けた。


(……何か……戻れないところに来てる……

 このままじゃ……きっと……)


 胸の奥で、小さく、冷たい音がした。


――ゆめはまだ知らなかった。

次の章で、その冷たさが“形”になることを。


2章 完

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陰キャjk異世界で心バグらせる 凪雨カイ @nagusame_kai

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