『母さんと繋がる炬燵~実家から温かい塩辛が届く毎日~』
冬野ミトン
第1話:ある日突然、こたつに塩辛が湧いた
東京の冬は、思ったよりも乾燥していて、そして骨身に染みる。
大学進学を機に上京して二年目。木造アパートの二階、六畳一間の部屋で、僕、佐藤健太(けんた)は震えていた。エアコンのリモコンはどこかへ行ったし、頼みの綱はこの安物の電気こたつだけだ。
「さっむ……」
かじかんだ手をこすり合わせながら、僕はこたつのスイッチを入れた。まだ温まりきっていない布団の中に、思いっきり足を突っ込む。
その時だった。
ゴツッ。
僕の足の裏に、何か硬くて温かいものが当たった。
「え? リモコン?」
足で探ってみるが、感触が違う。もっとゴツゴツしていて、妙に生温かい。僕は布団をめくり、中を覗き込んだ。
そこには、瓶詰めが転がっていた。
桃屋の『イカの塩辛』だった。しかも、人肌に温まっている。
「……は?」
思考が停止した。なぜ、俺のこたつの中に塩辛が? そもそも、俺は塩辛なんて買っていない。
恐る恐るそれを手に取ると、蓋に付箋が貼ってあった。見覚えのある、丸っこくて癖のある字だ。
『ご飯、ちゃんと食べてる? お父さんがお歳暮でもらったやつ、好きだったでしょ』
母さんの字だ。
いや、待て待て。実家はここから新幹線で三時間の距離だ。なぜ母さんの差し入れが、俺のこたつの中に湧いて出るんだ?
ブゥン……とこたつのヒーターが唸る。
すると今度は、ヒーターの赤い光の奥から、何かが「ニュッ」と音もなく落下してきた。
バサッ。
それは、スーパーのビニール袋に入った『スルメ』だった。
「うわあ!」
僕は思わずのけぞった。スルメはこたつの熱でほんのり炙られ、香ばしい匂いを放ち始めている。
これは夢か? それとも、このこたつはドラえもんの道具か何かなのか?
僕は震える手でスマートフォンを取り出し、実家に電話をかけた。
「あら、健太? 珍しいじゃない」
母の能天気な声が聞こえる。
「母さん、今、何してる?」
「何って、こたつに入ってテレビ見てるわよ。お父さんとお茶飲みながら」
「……そっちのこたつに、何か入れたりしてないか?」
「ああ、入れたわよ! 健太、塩辛好きだったじゃない。あんたの部屋、寒いだろうなと思ってねぇ。『届けー、届けー』って念じながらこたつの奥に押し込んだら、スッと消えちゃったのよ。不思議ねぇ」
不思議ねぇ、じゃないよ。
時空が歪んでいる。母さんの「よかれと思って」という念が強すぎて、物理法則を無視して空間を繋げてしまったらしい。
「あのさ、塩辛はいいけど、温まっちゃってるから! 要冷蔵だから!」
「あらやだ。じゃあ、早く冷蔵庫に入れなさい。あ、そうだ。あれも入れたのよ、あれ」
母さんが言い終わる前に、僕の目の前、こたつの赤い空間に新たな物体が出現した。
もこもこの物体だ。
それは、つま先の部分にファンシーな『くまちゃん』の顔が刺繍された、厚手の靴下だった。
「……くまちゃんの靴下?」
「そう! スーパーのワゴンセールで安かったのよ。あんた、冷え性だから。家の中で履くなら誰にも見られないし、いいでしょ?」
二十歳の男子大学生に、くまちゃん。
脱力感でスマホを握る手が下がる。
「母さん……ありがとう、でもサイズが……」
「大丈夫、よく伸びる素材だから!」
電話が切れた後、僕は呆然とこたつの中を見つめた。
そこには、生温かい塩辛、炙られたスルメ、そしてこちらを見つめるくまちゃんの靴下。
シュールだ。あまりにもシュールな光景だ。
でも、不思議と恐怖はなかった。
スルメの袋を開けると、懐かしい磯の香りが六畳間に広がった。一口かじる。噛めば噛むほど味がする、実家でよく食べていた安物のスルメの味だ。
「……ったく」
僕は苦笑しながら、くまちゃんの靴下を手に取った。
試しに履いてみる。母さんの言う通り、驚くほど伸縮性があって、僕の足にもフィットした。
そして、悔しいけれど、ものすごく温かい。
「あったけぇ……」
一人暮らしの部屋は、いつも静かで、少しだけ寂しい。
でも今、このこたつの中だけは、実家の茶の間と繋がっている。
向こうでは、母さんがみかんを剥きながら、僕のことを考えているのだろう。
「次は、みかんが転がってきそうだな」
僕はくまちゃんの靴下を履いた足を、こたつの奥へと伸ばした。
こたつの赤い光が、まるで母さんの体温のように、じんわりと僕の足を包み込んだ。
塩辛は、あとで熱々の白飯に乗せて食べよう。
そう決めて、僕は教科書を開いた。心なしか、いつもより勉強が捗りそうな気がした。
『母さんと繋がる炬燵~実家から温かい塩辛が届く毎日~』 冬野ミトン @fuyuno_miton
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