Dear My...
櫻庭ぬる
また会おうね
別れ際。
「じゃあ、またね」と言うと、ちーちゃんはいつも小さな手をこちらに差し出して、「たっち…」と言った。
まだ幼いちーちゃんの手のひらはとても小さくて、ぷくぷくとして、温かい。
言われた側(たいていは大人たちなんだけれど)は、どこか照れたような、それでいてとても嬉しそうな顔をして、その小さな手のひらに自分の手のひらを合わせた。
よくうちに遊びに来ていたちーちゃんは、“たっち”のあとはとても満足そうな顔をして、「ばいばい」と言って聞き分けよく帰っていった。
たまに、その場がとても楽しかったようで、ちーちゃんは帰るのを嫌がって泣いてしまうこともあった。
そんな時でも、「ほら、たっちしよ」と言って“たっち”をすると、ちーちゃんはくすん、くすんと健気にも泣き止もうとしながら、小さな手のひらを差し出した。
“たっち”は別れのあいさつだけれど、“また会おうね”の約束でもあった。
ちーちゃんの“たっち”は小学校に入っても、高学年になってもずっと続いた。
「まだまだ甘えん坊で…」周りの大人たちはそう言いながら、ちーちゃんの手に、自分の手を合わせた。
“たっち”をすると、ちーちゃんは本当に幸せそうだった。
でも、それはきっとちーちゃんが気づいていたからだね。
“たっち”をした後、大人たちは目じりにしわを寄せて、とても幸せそうに笑うんだ。
いつも一緒にいるくせに、常にどこか険悪なおじいちゃんとおばあちゃん。
めったに会わないから少しよそよそしい親戚の人。
“たっち”をすると、相手が“また会いたいな”とか、“また会ってもいいかな”って気持ちになるのを、ちーちゃんは感じ取っていた。
ちょっとした綻びなら、“たっち”することで修復されていった。
だから、ちーちゃんは“たっち”することをとても大切にしていた。
月日は流れ──。
ちーちゃんは最愛のパートナーと出会い、結婚をした。
結婚式を開く人もずいぶん減ったけれど、ちーちゃんは開いた。
お友達、今までお世話になった人、ちょっとしか会ったことがない親戚。
できるだけ連絡をして招待した。
連絡をすることさえハードルが高くなった世の中だけれど、ちーちゃんはそれを実行する能力があった。とても凄いことだ。
白いドレスを着たちーちゃんは、とても綺麗だったよ。
結婚式の最後。
ちーちゃんと花婿さんが出口のところに立って、招待客の人たちをお見送りした。
ちーちゃんと花婿さんが手のひらを差し出して、そこにみんながタッチしていく。
みんな照れたような、恥ずかしそうな顔をしながらも、やっぱりとても嬉しそうだった。
感情がぐちゃぐちゃになったのか、涙を流しながら”たっち”する人もいたよね。
花婿さんもすごく恥ずかしそうだったけれど、楽しそうでもあった。
みんなの表情を見て、ちーちゃんはすごく満足そうな笑顔をしていた。
やがて、ちーちゃんに赤ちゃんが生まれ、その女の子はすくすくと育った。
その子も、やっぱり“たっち”をした。
だって、ちーちゃんの子だものね。
最初のうちは会う人会う人、ベビーカーから身を乗り出してたっちをせがんだ。
若い人はちらっと見て、無視していくことが多かったけれど、赤ちゃんはめげなかった。
特に年配の人たちなんかは、すごく嬉しそうな顔をして、”たっち”を返してくれた。
その赤ちゃんは成長してからも、やっぱり“たっち”を続ける子になった。
さらにたくさんの月日が流れた──。
ずいぶんとたくさんの、だ。
ちーちゃんは、今、お布団の中で寝ている。
本当は目は覚めているんだけれど、何もできない。
食事も、排泄も、もう何も…
小さくてぷにぷにだった手は、細く、しわしわでかさかさとしていた。
周りには、お別れに来た人たちが何人もいた。
みんな、ちーちゃんと”たっち”してきた人たちだ。
みんなわかっていた。
ちーちゃんは、もうすぐ命を全うするのだ。
ちーちゃんの指先がうごいた。
ほんの少し、だ。
見落としそうなその動きに、ちーちゃんの娘さんが気づいた。
ちーちゃんの娘さんは、3人の子を育て上げた。
立派なものだ。
すっかり大人になったその子たちも、ここにいる。
「あぁ、お母さん。“たっち”ね。」
娘さんの言葉に、周りの人たちははっとしてその手を見た。
娘さんが、ちーちゃんの手を支え、みんなが順番に“たっち”していった。
“たっち”するときは、誰が言うでもなく、できるだけみんな笑顔を作った。
いつも“たっち”するときそうだったように。
でもそれはとても難しいことだった。
中にはこらえきれずに声を出して泣いてしまう人もいた。
懸命に我慢している人は肩を震わせていたけれど、それも長くはもたず、やがてぽろぽろと涙が粒になって落ちていった。
“たっち”はお別れのあいさつ。
“たっち”は”また会おうね”の約束──。
3人の孫たちが“たっち”を終え、最後に娘さんが、自分の手のひらをちーちゃんの手のひらに合わせ終えた時。
ちーちゃんの手から、力が抜けた。
ちーちゃんは不思議な光の中にいた。
でも怖くはなさそう。
だってちーちゃんはわかっている。
ここに来たら、ちーちゃんの大好きな旦那さんや、お父さんやお母さん、おじいちゃん、おばあちゃん。
仲良くしてくれたあの人たちに会えるって。
だって最期にはいつも、“たっち”をしたものね。
お別れはとても悲しかったけれど、もう一度会いたかった人たちにようやく会えるんだ。
ねぇ、ちーちゃん。わたしもずっと待っていたよ。
ちーちゃん、ずっとがんばったね。
ずっと、みんなが嬉しい顔になるようにしてきたね。
姉さんがあなたを産んだ時から、わたしはずっとそばで見ていたよ。
さぁ、おいで、みんな君を待っていたよ。
また“たっち”をしておくれ。
わたしのかわいい姪っ子。
これは、『また会えたね』の“たっち”だよ。
Dear My... 櫻庭ぬる @sakuraba_null_shi
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