第10話 怖いものは怖いんです
私は軽自動車の運転席でトッポをポリポリ食べながら、眼の前の凶悪事故物件の窓と言う窓から異形のバケモノが焼き尽くされそうになっている光景を眺めている。
あぁ、一体何が悲しくて、アラサー女子の貴重な一分一秒をこんなことに使わなきゃいけないんだろう、そんな事を考えながら缶コーヒーを一口。
今、事故物件の中では晃太郎がスマホで相変わらず心霊系ユーチューバーのチャンネルでも見ながら、コンソメ味のポテチを食べていることだろう。
「ったく、ホントにこの仕事のせいで結婚できなかったらどうすんのよ」
1人呟いても誰も答えるものもいない。
今日1件目はオートロック付きのマンションの一室だった。パッと見た感じは割と新しくキレイなマンションで、特に変死や殺人事件が起きていたりという事情はない。なぜか突然、怪奇現象が起き始めたようだ。
坊さんの除霊でも神主さんの祈祷でもダメだったそうで、物件が購入した者がすぐに売却する、ということが繰り返されている。当然、売却が繰り返されるたびに価格は下がっていき、売却価格はなんと80万円だ。
同じマンションの他の部屋は数千万円で、とんでもない安値でたたき売り状態。どうも直前の売り主は『お金を払ってでも手放したい』と言っていたそうで、この物件はなんと祖父が購入した。なんでも私が結婚した後に新居として使って良いように、という話だった。
ちなみに、このマンションの『清掃作業』はわずか30分で終わった。4LDKの90平米と結構広い上に15階建ての最上階。悪くはないけれど、結婚の前にオトコを探さないといけないという現実を、みんなどう考えてるんだろうか。
「しゃーねぇ、もうホントに晃太郎にすっかなぁ……」
トッポの最後の1本を食べ終わると同時に、スマホのアラームがなる。
本日2件目の現場も無事に終了したことだろう。まぁ私がやることはこの後の現地確認程度で、晃太郎だってただスマホ見ながらポテチ食べてるだけだ。
これでお金が入ってくるというのは、もう祖父とお母さんがどこかで何か法に触れるようなことでもやってるのでは、と疑ってしまう。
スマホを操作して、家の中で動画を見ているであろう晃太郎に電話をかける。いつもなら3コールくらいで応答があるが、今回は何コールしても出ない。
「……寝たなこりゃ」
そう呟いてから車を降り、ちょっと古い一軒家に入り込む。
「晃太郎? 終わったよ」
玄関から声を掛けるが、返事がない。これは本格的にガチ寝だろうか。
「晃太郎、ちょっと起きて。晃太郎?」
声をかけながら家の中に入り込む。確かあの子はリビングと思しき部屋にいる、と言っていた。少なくとも私にも何かおかしなものは見えない。ということは『清掃』は終わっている。
「ねぇ晃太郎? ちょっとふざけんのやめてよ」
返事はない。家の中を見渡しても晃太郎の姿はない。
おかしい。今までこんな事はなかった。
大抵、作業が終わったら、いつも緊張感も何も無い様子で出てきて、車の助手席に乗り込んでスマホのゲームを始めるはずだ。
「……晃太郎? ね、ねぇ? 晃太郎ってば!」
何も無い、がらんとした家の中で私の声は妙に反響する。家具がないと家の中ではこんなに音が反響するものなのか、と思ってしまうほどだ。
「晃太郎!」
突如、どこかから水が流れる音がする。
不意にドアが開き、足音が近づいてきた。
まずい。
まさか晃太郎が失敗したのか、それか晃太郎のあの異常な力でも太刀打ちできない何かがこの家にいたのか。
「……ね、ねぇ晃太郎……やだ、やだよ……」
足音がどんどん近づいてくる。
恐怖で脚の震えが止められない。今日に限って動きにくいタイトスカートなんてはいてくるんじゃなかった。
私は腰を抜かしてへたり込み、無様に四つん這いになって足音から逃げようとする。が、恐怖のあまりに身体が上手く動かない。
「や、やだ、いや、助けて、お願い来ないで!」
とうとう私は恐怖のあまりに漏らしてしまった。スカートとストッキングが湿っていく感触が広がっていく。
涙が止まらないし呼吸も上手く出来ない。顔を上げることも出来ない。
あぁ、私の人生こんなところで終わるんだ。
こんなことなら、せめてもう一回くらい晃太郎と寝ておけば良かった。今まで私をマトモに女扱いしてくれたのはあの子だけだったのに。
私だって、男性経験は晃太郎だけなんだ。もし赦されるなら、もう一度くらい良い思いをしてから死にたい。あと出来ることなら、背腹身先生のどギツいBL本の新刊を読んでから死にたかった。
「日向ちゃん?」
なかば覚悟を決めた私に、いつもの緊張感のない声。
「どしたの? 車にいたんじゃないの?」
「……こ、こうたろ……」
「何か声がしたけど、トイレ行ってて途中で出らんなかったから」
安心感と、怒りと、恥ずかしさと、そして情けなさが同時に込み上げてくる。
感情が一気に押し寄せてきて、私のキャパを軽々と超えた。
「バカ! 何やってんのよ! 電話したらすぐ出なさいよ!」
「だって、トイレ行ってたって言ったじゃん。小の方ならまだしもさ、アレだよ? ビッグでラージでヒュージでグレートな方だよ?」
「何がグレートよ! こんのバカ! 死ね!」
「えーヒドい……って何この匂い? まさか日向ちゃん、漏らした?」
「見るなバカ! 最低! 嫌い! 死ね! 死んでしまえ!」
何かを投げつけたいけど何も無い家の中ではコップも何も無い。
私はただがらんとした家の中でうずくまってることしか出来ない。
「ちょい待ってて、そこにコンビニあったから、とりあえず下着だけでも買ってくるわ。後あれだ、スカートの代わり、俺のジャージでいい? 今日大学で体育の実習みたいなのあったからさ」
「……え?」
「すぐ買ってくるから」
晃太郎はそう言い残して、ついさっきまで凶悪ないわくつき物件だった家から勢いよく駆け出していった。
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