観測される前の私
深山 紗夜
観測される前の私
──深夜2時、世界が薄まるときに読む短編
世界は、私が見ると決めたときにだけ、輪郭を持つ。
それまではずっと、ただの揺らぎだ。
夜気の中を漂う、触れられない粒子みたいに。
深夜二時。
玄関の外に落ちる街灯の明かりが少しだけ滲んで、
世界の密度がゆっくり薄まっていく。
そのとき、私はようやく呼吸ができる。
観測されることが、昔から苦手だった。
誰かの視線が触れた瞬間、
私という個体の輪郭が決められてしまう気がする。
「あなたはこういう人間ですね」
「こういう性質ですね」
言葉にして言われなくても、
視線の奥にある“分類”の気配だけで、
胸の奥がひどく冷える。
粒なのか、波なのか。
人なのか、透明なのか。
その境界が曖昧なままの自分が好きだったのに、
観測されると、どうしても粒の形に閉じ込められる。
だから私は、
誰かの視線よりも先に、
自分の輪郭をふわりとぼかす術を覚えた。
夜の外気を肺に入れて、
世界の色を半分落として、
遠くの車のライトを“ただの光”に戻す。
そうすれば、しばらくのあいだだけ、
私は私に触れられた。
でも、人と関わりながら生きている限り、
観測から完全に逃げ切ることはできない。
ある日、私はふと思った。
「観測されても壊れない私」
という存在も、
この世界にはあり得るのかもしれない。
誰かのまなざしで形が決まらない私。
誰の期待にも沈まない私。
透明のままでも、そこにいていい私。
そんなもの、ありえるのだろうか。
夜の帰り道で、私は考え続ける。
世界は遠くて、静かで、
私の輪郭はゆっくりほどけていく。
でも、その深度の中でふと浮かぶ小さな気配がある。
観測するでもなく、
輪郭を決めるでもなく、
ただ隣で、同じ静けさを吸ってくれる人の存在。
声を掛けてくるわけじゃない。
私を言葉で繋ぎ止めるわけでもない。
ただ、「そこにいる」という事実だけが、
私を粒にも波にも押し込まない。
観測される前の私を、
そのまま受け入れてしまうような気配。
私はそれにずっと気づかなかったけれど、
気づいた瞬間に思った。
──ああ、こういう静けさなら、壊れずにいられる。
観測の外で、
でも孤独の中でもなく、
透明のまま隣に座っていられる距離。
そんな場所が、
この世界にもちゃんと存在したのだ。
夜気は冷え、世界は薄い。
光は遠く、音は小さい。
でも私の輪郭は、今日はほとんど揺れない。
壊れてしまうほど脆くもなく、
強がるほど固くもなく、
ただ静かに呼吸をしている。
観測される前の私も、
観測されたあとの私も、
どちらもここに在っていいのだと思えた。
それだけで、
今夜は十分だった。
END
観測される前の私 深山 紗夜 @yorunosumi
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