第20話 楽しい教室(嘘)

「そのまさかさ。あんたたちには、この舞踏会に潜入してもらう。公爵に近づき、隙を見てキーのデータを『スキミング』するんだ」


 メテウスはリチャードを見た。


「リチャード、お前は『変装』して裏方から潜入、いざという時にエレノアのバックアップ、そして退路を確保しろ」

「へいへい。ホンマに何でもお見通しやなオタク、裏方は得意分野ですわ、まかせとき」


 次に、私を見た。


「エレノア。あんたは『どこぞの国の令嬢』として、正面から堂々と乗り込むんだ。……顔と名前が割れてない『規格外』のあんたなら、招待客リストの偽造くらいはどうにでもなる」


「……私が、舞踏会だと?」


 私は自分の恰好を見下ろした。動きやすいズボンに、男物の外套。

 前世の記憶を掘り返しても、ドレスを着て踊った経験など、友人の結婚式の二次会で悪酔いした記憶くらいしかない。


「無理だ。私は礼儀作法なんぞ知らん。テーブルマナーも怪しいもんだ。一瞬でボロが出るぞ」


 ぴしゃりと断ると、メテウスは笑って答えた。


「そこは、プロに任せる。いるだろ適任さんがよ」


 メテウスが顎をしゃくった先。そこにはどこからかとり出した眼鏡をクイッ、と中指で押し上げる、一人の侍女の姿があった。


「……イザベル?」


 イザベルの雰囲気が、ガラリと変わっていた。

 いつもの『お転婆』でも、『お嬢様モード』でもない。

 もっとこう、背筋が凍るような……歴戦の鬼軍曹のようなオーラを放っている。


「お任せください、メテウス様」


 イザベルは、どこから取り出したのか、ピシッ!と教鞭を構えた。


「お嬢様。舞踏会までは、あと数日とありません」

「お、おい……?」

「本来なら数年かけて叩き込む『上流階級の嗜み』……これを一日で仕上げます。グリード家の名に泥を塗らぬよう、地獄を見ていただきますよ?」


 その眼鏡の奥の瞳は、一切笑っていなかった。

 私は、リチャードの戦闘力の高さを見た時以上の恐怖を感じ、一歩後ずさった。


「ま、待てイザベル。落ち着いて考えろ。適任と言った意味はそうじゃあない。私を誰だと思っている、不摂生な三十路だぞ? どう考えても私がやるよりイザベル自身がそれをこなした方が……」

 

「言い訳は聞きません! さあ、まずは『扇の使い方』と『ワルツのステップ』からです! 姿勢を正して! 背筋が曲がっております!」


 ――ビシィッ!と教鞭が私の背中を打つ。


「痛っ!?」


 何故だが自動防御は全く反応を見せず、痛みに私は呻き声をあげた。敵意や害意がないと反応しないのか……?使い勝手がいいのか悪いのか、判断に困る。

 

「『痛い』ではありません、『おほほ』です! さあ!」

「……嘘だろ?!」


 アジトの片隅、データのゴミ捨て場で、私の、血と汗と涙の特訓が幕を開けた。  設計者への反逆よりも過酷な時間が、今、始まろうとしていた。

 


 *――*――*


「背筋! 角度が甘い! それでは猫背の猫です!」

「ぐっ……!」


 ――ビシィッ!

 イザベルの教鞭が、容赦なく私の背中を叩く。


 まっさらなサイバーパンク空間で、私は今、頭の上にメテウスがゴミ山から拾ってきた紙の束を乗せ、一直線に歩くという古典的な特訓を強いられていた。


「お嬢様、顎を引いて! 目線は常に水平! 貴族は下を見ません、見るのは『下々の者』を見下ろす時だけです!」

「……どんな教えだよ、それは……!」


 三十路のデスクワークで凝り固まった首と肩が悲鳴を上げる。

 私の前世の姿勢制御機能は『パソコンの前で丸まる』ことに特化していたのだ。いきなりモデル歩きを強要されても、中身のOSが対応していない。

 ハードがうら若き令嬢のボディでも、ソフトの私が古ければ動けないのだ。


「あ、落ちます!」


 グラリ、と頭上の本が傾く。私は慌てて手で支えようとしたが――。


「手は使わない!」


 イザベルが神速で回り込み、私の手をパシッと叩き落とした。

 ドサドサッ、と本が床(仮)に散らばる。


「……はぁ、はぁ。イザベル、少し休憩を……」

「休憩? まだ開始から一時間です。舞踏会まで時間がないのですよ! 次!」


 イザベルは眼鏡の奥の瞳を光らせ、散らばった本を足先で退けた。

 作法作法と言いながら、足癖の悪い奴め。


「次は『ダンス』です。ワルツの基本ステップ!」

「だ、ダンスだと? 相手もいないのにどうやって……」


「お任せを。ワイが相手を務めさせてもらいますわ」


 どこからともなく、サイズが合っておらずパツパツの燕尾服を着込んだリチャードが現れた。

 こいつ、いつの間に着替えた?


「リチャード、お前踊れるのか?」

「商売の嗜みですわ。貴族のご婦人を転がすには、足捌きも重要でしてな」


 リチャードはニカっと笑い、恭しく手を差し出した。犬歯の光る優男にエスコートされる図は悪くないが、背景がバグった白紙空間なのが全てを台無しにしている。


「さあお嬢様、右手を」

「……こうか?」


 私が恐る恐る手を乗せると、イザベルの怒声が飛んだ。


「違います! その手は『掴む』のではありません、『添える』のです! 羽毛のように軽く、しかし存在感を持って!」

「注文が多い……!どこぞの料理店でももう少し少ないぞ!」


「御黙りなさいませお嬢様!ほら、ワン、ツー、スリー。ワン、ツー、スリー……はい、ステップ!」


 リチャードがリードを始める。

 意外なことに、彼のリードは滑らかだった。獣人の身体能力のおかげか、リズム感が抜群にいい。


 が、それに対する私がてんで駄目。全く追い付いていない。

 仕方ないだろう、昔からリズムゲームは苦手だったのだ。


 これまでやったことのあるのは太鼓叩きのイージーモードぐらいだ、それも学生の頃に。そんな状態からいきなりポンと踊れるわけがないだろう。

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