第17話 セーフティロック
王手をかけられた私は泣く泣く手を挙げた。
メテウスの案内に従い馬車諸共ついていく。道中の景色には顔をしかめた。
一般的に裏路地や都市の端には、何かしら『ある』。
ゴミや塵、道行く人が一瞥し、何事もなかったかのように見なかったことにする捨てられたものがあってしかるべきだ。しかしここにはそれがない。
完璧に区割りされ舗装された道を進み、裏路地を進んでいく。
「……こっちだ。この壁は『判定』がない。そのまま通り抜けられる」
路地裏のどん詰まり。あまりに綺麗な煉瓦造りの壁を指差し、メテウスは事もなげに言った。
一見すれば、ただの行き止まりだ。だが、彼の指先は確かに壁の表面に沈み込み、まるで水面のように波紋を広げている。
「へぇー! すごいです! !」
「判定がない、いや、壁に見えてそうやない。欺瞞のキャラ被っとる……まあともかくホンマにこの都市は穴だらけでんなぁ」
イザベルが無邪気に感心し、リチャードが呆れたように肩をすくめる。
メテウスは「早くしな。巡回が来る」と手招きし、自らの半身を壁に沈めようとした。
――だが。
「……」
私はその場から一歩も動かなかった。後手に回ったが、このまま言いなりになる訳には行けないからな。
腕を組み、冷ややかな視線で案内人の背中を見つめた。
「……おい。どうしたよお姫様。行かないのか?」
「行かんよ。今のままではな」
私が鼻で笑うと、メテウスは怪訝そうに眉を寄せた。
「このまま突っ立ってたら、それこそ捕まるぜ? 俺の案内を疑ってるのか?」
「疑う? Noだ。私は、お前がシステムの穴を突くプロだということは認めてやる。だがな」
私は、彼がずっと右手で庇っている脇腹を、顎でしゃくった。
「信頼することとそれは別のお話だ。お前、万全じゃないだろう」
メテウスの動きが止まる。
「さっきから時折、呼吸が乱れている。……その『神の権限』とやらの代償か? それともシステムに拒絶されている副作用か?」
「……よく見てるねぇ」
「伊達に三十路……伊達に人の上に立つ教育は受けていないのでな」
危ない、設定がブレるところだった。
私は咳払いをして、彼を睨み据え、ゆっくりと人差し指を奴に向ける。
「素性の知れない男。しかも手負い。さらに案内される先は、物理法則が通用しないバグった空間ときた。……そんな状況で、のこのことついていくほど、私は平和ボケしていないんでね」
私は一歩、彼に近づいた。
「私が欲しいのは確実な『安心』だ。安心すれば理解できる。理解できれば、信頼できる。」
「……で? どうすれば信用してくれるんだ?」
メテウスは観念したように、壁から体を引き抜いて向き直った。その瞳には、面倒臭さと、ほんの少しの興味の色が混ざっている。
「簡単なことだ。『保険』をかけさせてもらう」
私は自分の左手の親指を、犬歯で軽く噛み切った。プチッ、と皮膚が弾け、鮮やかな血の珠がふわりと浮かび上がる。痛いが、まあ是非も無い。悪手をとった代償と捉える。
「口を開けろ。私の血を一滴、お前の体に入れさせてもらう」
「……血ィ?」
リチャードが怪訝そうな声を上げた。
「私の血は、私の意思で動く。この前の防御壁を見たなら分かるだろう? 私の血液は私の支配下にある」
私は浮かび上がった血の珠を、指先で弄ぶように空中で転がした。勿論そんな保証はない。しかし、私の能力を把握していないのは奴も同じ。重要なのは可能性を提示する事。エルメスも言っていた。取引をするのであれば、対等でなければな。
「もしお前が裏切り、私たちを罠に嵌めようとすれば……分かるな? お前の腹の中でこの血を凝固させ、無数の『針』に変えて、内臓を串刺しにするくらいは造作もない」
「うわぁ、エグい……」
後ろでリチャードが顔をしかめる気配がしたが、無視だ。
これはサディズムではない。リスクヘッジだ。
相手は『神』と崇められる『設計者』から権限を盗むようなイカれた男だ。セーフティのひとつでもつけておかなければ、対等な交渉など望めない。
「さあ、どうするメテウス。本当に私を『あの人』に会わせたいなら、その腹の痛みに、もうひとつ爆弾を抱える覚悟を見せろ」
路地裏に、重苦しい沈黙が落ちた。
イザベルが固唾を呑んで見守る中、メテウスは私の血と、私の目を交互に見つめ――。
「……ハッ」
乾いた笑い声を漏らした。
「いいぜ。気に入った」
「ほう?」
「『あの人』も大概だったが……あんたも相当、性格が悪い」
メテウスはニヤリと笑うと、大口を開けて舌を出した。
「極上の毒杯、いただこうか」
私は指を弾く。空中の血の珠が、弾丸のように彼の口内へと飛び込んだ。メテウスはそれをゴクリと飲み下し、不敵に笑って唇を拭った。
「……契約成立、だな」
「ああ。裏切るなよ? 私の血は、所有者の機嫌に敏感だからな」
ハッタリ八割、本気二割。だが、これで『繋がり』はできた。案外私は交渉の才があるのかもしれない。ヴァンプと混ぜあった影響か?
私はリチャードとイザベルに振り返り、頷いてみせた。
「よし、行くぞ。」
意を決して壁に飛び込むと、そこは「世界」の裏側だった。
ぬるりとした不快な感覚を抜けた先。
私の目に飛び込んできたのは、石畳でも空でもない。
何もない、無の空間。テクスチャが貼り忘れたポリゴンのような、無機質でどこか嫌悪感を覚える空間が広がっていた。
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