第5話 血の渇き

「では、次に『世界の常識』について」


 私がそう切り出すと、イザベルは待ってましたとばかりに手帳を開いた。


「はい。まず、この国は『オリシア王国』。王都はここから馬車で……」 「待て」


 私はイザベルの言葉を遮った。


「そういうマクロな情報も必要だが、もっとミクロな……私自身についての情報が知りたい」

「お嬢様、ご自身のですか?」

「ああ。特に、この身体の『食事』についてだ」


 私は、先ほどから断続的に続いている『飢餓感』を思い出していた。クッキーでは全く満たされなかった、あの渇望。


「イザベル。お前はさっき『朝ごはんを食べたばかりだ』と言ったな」

「はい。今朝も、厨房で調理した『滋養強壮スープ』をいつものようにお飲みになりましたが……」

「スープ?」

「はい。お嬢様は昔から食が細く、固形物をあまりお好みにならなかったので……いつも特製の……」


 イザベルがそこまで言って、ふと口をつぐんだ。

 リチャードも、何かを察したように真顔になっている。


「……イザベル。その『スープ』の中身は?」


 イザベルは答えにくそうに視線を泳がせ、やがて意を決したように口を開いた。


「……『血液』です」

「……やはりか」


「お嬢様は、生まれつき『ヴァンプ』の血……亜人の中でも特殊の血を色濃く引いておられます。日光の下では長く活動できず、普通の食事では十分な栄養が摂れない。故に、週に一度、城で飼っている家畜から採取した血液を……」


 なるほど。この身体は『そういうもの』をエネルギー源にしていた、と。

  だが、私がここに来てから、妙に腹が減っている。 スープとやらを飲んだはずなのに。


「……足りない」

「え?」

「その『スープ』じゃ足りない。今、猛烈に腹が減っている」


 私がそう言うと、イザベルとリチャードは息を呑んだ。

  特にリチャードは、自分の首筋を押さえながら、わずかに顔を引きつらせている。


 私はリチャードの鋭い犬歯をじっと見つめ返した。


「お前も、似たようなものだろう? リチャード。その犬歯は飾りか?」 「っ……!」

「ワイはハーフですから、そこまでやないですけど……姫は、その……『覚醒』しはった、いうことですかいな?」


「覚醒、ねえ……」


  中身が私に入れ替わった衝撃で、この身体のヴァンプとしての本能が目覚めた、ということか。 最悪だ。ただでさえ面倒なのに。そしてそのため体内に有ったリソースを使い切り、ガス欠を起こしているのが現状と。

 なんとも度し難い。


「イザベル。悪いが、血のストックを」

「も、もちろんです! すぐに!」


 イザベルが慌てて部屋を飛び出していく。 さっきの様子はどこへやら。

 すっかり元のお転婆侍女に戻っていた。


 部屋で二人きりになると、リチャードがため息をついた。


「いやはや……とんでもない姫が爆誕したもんですわ」

「うるさい。それよりリチャード、お前、ハーフと言ったな。何と何のハーフだ」 「……獣人ですわ。どっかのお偉いさんの血と……狼の血が少々。おかげで鼻が利くのとこの犬歯で、子供の頃はえらいいじめられましてなぁ。まあそれだけが理由とちゃいますけど」


 リチャードは自嘲気味に笑う。

 成程。だからこそ、種族や中身が変わった私を、面白がって受け入れたのか。 『差別』を知っている側だから。


「……姫。ひとつ忠告しときます」

「なんだ」


「姫のその『力』は、おそらくワイら亜人のもんとは比べモンにならんほど強力や。けど、その分『弱点』もキツいはずです」

「弱点……ヴァンプの弱点、か」


「ええ。例えば、イザベルが今慌てて扉から出て行きましたけど、もしあそこが『流水』……例えば城の堀やったら、姫は越えられへんかもしれへんっちゅうことです」


 ……流水。

 なるほど、吸血鬼(ヴァンパイア)の定番か。


 面倒くさい。 確かヴァンプこの世界は、『設計者』とやらが作ったゲームのような箱庭の世界だと言っていた。

 だとしたら、この『弱点』は、意図的に設定された『ルール』の可能性が高い。


 まずは、自分の身体の性能と弱点を把握するのが最優先だな。


 私が今後の行動指針に思考を巡らせていると、イザベルが銀のゴブレットを盆に乗せて、息を切らせて戻ってきた。


「お嬢様!お持ちしました!」


 ゴブレットの中には、赤黒い液体がなみなみと注がれていた。 普通の人間なら卒倒しそうな光景だが、今の私の身体は、それを『ご馳走』だと叫んでいた。


 私はゴブレットを受け取ると、ためらわず一気にそれを呷った。

  鉄臭い。

  だが、不味くはない。それどころか、乾ききった砂漠に水が染み込むように、冷たい液体が喉を通り過ぎるたび、身体の末端から力がみなぎってくるのが分かった。


 ぐうぅ〜と鳴っていた腹の虫は完全に沈黙し、先ほどまでの耐え難い飢餓感は、これ以上ない充足感へと変わっていく。


「……ふう」


 ゴブレットをテーブルに置くと、イザベルが安堵したように胸をなでおろした。


「よかった……いつものお嬢様に戻られたみたいです」

「いや、イザベル嬢。むしろ、いつもの姫とちゃいまっせ。こっからが本番や」


  リチャードが、面白がる目と警戒する目が半々の顔で私を見ている。


「さて、イザベル!リチャード!資金調達と情報収集、急ぎますよ!」


  あたかもモードチェンジしたかのようなイザベルが、再び手帳を片手に号令をかけようとした。

 

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