第4話 旅路の支度

 私は構わず続けた。


「医者が助走をつけて殴ってくるレベルの不摂生で死んだ直後、何にもない空間……言うなれば精神世界みたいなところでヴァンプと名乗る女に『召喚者が呼んでる』とかなんとか言われて、気づいたらこの身体にいた。この地図にある『招かれし者』ってのは、状況証拠から察するに十中八九、私を召喚したヤツのことだろう。だから私は、そいつに会って『何のつもりだ』と文句を言いに行く。……以上だ。何か質問は?」


 一息で言い切った。

 我ながら、あまりにも荒唐無稽だ。 普通の人間なら「頭がおかしくなった」と医者を呼ぶだろう。


 イザベルが青い顔でリチャードを見る。リチャードは固まったまま動かない。

 やがて、リチャードの肩が小さく震え始めた。


「く……」

「リ、リチャード……?」

「く、くく……くはは、あはっはは! あー、おもろ! 最高、最高ですわ姫!」


 リチャードは腹を抱えて大爆笑し始めた。椅子から転げ落ちそうな勢いだ。


「なっ!笑いごとじゃありませんよ、リチャード!お嬢が、お嬢が……!」

「あいや、すまんすまん。ふはは……。いやぁ、なるほどなぁ!『姫の様子』がいつもと違うとは思っとりましたが、まさか中身が全くのべつモンやったとは!」


 リチャードは涙を拭きながら、私を真っ直ぐに見た。その目は、からかっているというより、心の底から面白がっている目だった。


「ええわ。ええですやん、それ!『新生』エレノア姫、爆誕や!」

 

  彼は鋭い犬歯を見せてニヤリと笑う。

 

「『招かれし者』を探す旅、ね。儲け話……いや、姫の『ロマン』に、このリチャード、一枚噛ませてもらいますわ。面白そうやし」


(……こいつ、頭のネジが数本飛んでるな)


 だが、受け入れられたのは好都合だ。 問題は、もう一人。


 私はイザベルに向き直った。 彼女はまだ混乱しているようだが、さっきまでの動揺は消え、じっと私の目を見ていた。


「……信じられないか、イザベル」


 私の問いに、イザベルは数秒間黙って、それから、ふわり、と花が咲くように笑った。


「いいえ」


 その笑顔はお転婆な少女のものではなく、どこか聖母のような暖かい笑顔だった。


「なんだか、すごく難しいお話で、半分もわからなかったですけど」

 

 イザベルはそっと立ち上がると、私のそばに来て、そっと私の手を取った。


「でも、今ここにいるのは、私の大好きな『お嬢』です。お嬢の目が、さっきからずっと『本当のことだ』って言ってます」


 彼女は私の手をぎゅっと握りしめた。


「お嬢が『そう』だと言うなら、私はそれを信じます。お嬢が『召喚者』さんのへ会いに行くと言うなら、侍女として、友人として、イザベラはどこまでもついて行きます!」


(……こいつも大概、イカれてるな)


 ――だが、悪くない。 三十路の不摂生女として孤独に死んだ私には、縁のなかった類の『信頼』だった。


 私は、二人の顔を交互に見て、ふっと息を吐いた。


「……そうか。なら話は早い」


 私は立ち上がり、あの空白の地図を再び広げた。


「さて、新生エレノア様(仮)の最初の命令だ。イザベル、リチャード。まずは、この世界の『常識』と、この城の『資産』について、洗いざらい私に教えろ。旅の準備だ」


 *――*――*

 私が「旅の準備だ」と宣言すると、さっきまで温かい笑顔を浮かべていたイザベルの表情が、スッと真顔になった。


「……承知いたしました」


 空気が変わる。 さっきまでのお転婆な犬の子のような雰囲気は消え失せ、冷やりとするほどの理知的な空気が彼女を包んだ。


「――お嬢様」


(……ん?)

 違和感が私の体を包む。

 

「まず、自己紹介を。その後に現状の把握をさせていただきます。リチャード」

「へいへい。わかってますわ、イザベル嬢」


 イザベルは、侍女の模範のような完璧な所作で一礼すると、どこからともなく古風な革張りの手帳と羽根ペンを取り出した。 その着崩れていたエプロンドレスも、いつの間にかキッチリと着直されている。 そばかすの浮いた顔は変わらないのに、まるで別人のようだ。


 確かに常に目をやっていたわけではないが、瞬時に服装を正したのか?

 何か秘密がありそうだな。まだ、解明の時ではない謎が。


「私はイザベル・エリザベート・ベル。お嬢様が生まれし時よりずっと一緒にいた侍女ですわ。今後ともよろしくお願いいたします。では次、リチャード。」

「へーい。ワイはリチャード。腐れ縁で懇意にしてもろてる商人です、よろしゅう頼んまっさ」


 私は少しばかりの疑問を抱く。イザベルはフルネームを名乗ったがリチャードはそうしなかった。氏の仕組みが違って全員がそれを持つわけじゃあないのか?こればっかりは推察ではどうにもならん、聞くとしよう。


「リチャード、お前は苗字……イザベルのようなものは持っていないのか?」

「ン……あぁ、ワイはアインセルっちゅう名がありますよ。どっちでも好きな方で呼んだって下さいや」


「そうか。変な質問をしたな。悪い。これからもリチャードと呼ばしてもらうよ」

「はは、別に気ィ使う事あらしまへんって。ほな、イザベル嬢、このお寝ぼけ姫に状況説明したってくれや」

 

「では、まず『資産』から。お嬢様。はっきり言って、この領地の財政は火の車ですわ」

「火の車」

「ええ。先代――お嬢様の御両親が亡くなられてから、まともな運営をできる大人がおられませんでした。年貢は滞り、商人は逃げ出し、残った使用人も私と最低限の者だけ。この城も維持費だけでカツカツです」


 イザベルは眉をひそめながら、シビアな現実を淡々と突きつける。

 辺境の貴族と言う地位は、もはや形骸化したものらしい。領民の誰かが一揆をおこせばすべて失ってしまう。しかしそれは起こり得ない、反旗を翻すほどの価値がこの城にはないと見られているのだ。


 成程、私を取り巻くおおよそのイメージはつかめた。


「つまり、旅に出るような『資金』は、ない……と」

「ご明察。この城を売っ払えば別ですけどな。まぁ、買い手がついたらの話ですが」


 ……いきなり詰んだか。私の言葉にリチャードが同意する。

 私が眉をひそめると、イザベルがスッと手を挙げた。


「お待ちください、お嬢様。リチャードの言うのは『領地の資産』です。幸い、お嬢様個人に遺された『動産』……宝飾品やドレス類がまだ蔵に残っております」

「それを売れば金になるな」

「はい。ですが、足元を見られます。そこでリチャードの出番です」


 イザベルがリチャードを流し目で見ると、彼は犬歯を見せてニヤリと笑った。


「そういうことですわ。イザベル嬢が蔵からブツを出し、ワイがそれを『適正価格以上』で街の商人に売りさばく。しかしそれも問題はありますけど、まあそれ以外にないでっしゃろ」

「ふむ。取りあえず解決の策があるのなら一先ずはいい。気になることは山積みだからな」


 こいつら、思ったよりずっと有能だ。

 前世では縁のなかった、『信頼できる部下』というやつかもしれない。


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