第2話 私室にて
あの別嬪さん――名前をヴァンプと言うらしい。……との不毛な会話を終えた直後、私の意識は急激に現実へと引き戻された。 比喩ではなく、物理的に。
まるで深海から無理やり釣り上げられるマグロの気分だ。
「……っ」
まず感じたのは、視界の低さ。 そして、絹のような滑らかな感触と、過剰なまでのフリル。 どうやら私は、絵本の中のお姫様が寝ていそうな、やたらと豪華な天蓋付きベッドの上に放り出されたらしい。
(なんとも……趣味が悪い。いや、私と合わない)
不摂生な生活を送っていた私の家は、機能性重視の殺風景な部屋だった。この装飾過多な空間はどうにも落ち着かない。
おまけに、この身体。ヴァンプのやつが『キミの魂に合わせてほんのちょいと調整しといた』とか言ってたが、どう見ても子供だ。せいぜいティーンエイジャーといったところか。なんだ、私の精神が子供同然だとでも言いたいのかあの大女。
自分の手を見下ろす。 不健康な三十路女の、ささくれだった指先ではない。 透き通るように白く、小さく柔らかな、マシュマロみたいな手。 腰まである銀色のロングヘア。何から何まで以前とは比べ物にならない。
解せん。非常に解せない。
私が今後の人生に早々に絶望しかけた。
その時だった。
――バァン!!
「お嬢ー!起きてますかー!?」
重厚なオーク材と思しき扉が、世界終わったみたいな勢いで開かれた。 いや、蹴破られたんじゃないかしら、あれ。
息を切らして飛び込んできたのは、今の私よりも幾分か年上に見える少女。 燃えるような赤い髪を無造作なポニーテールにまとめ、そばかすの浮いた顔を好奇心いっぱいに輝かせている。 服装こそ侍女っぽいエプロンドレスだが、そのどれもが盛大に着崩れていた。
(……誰だ?)
少女は私をベッドの上に認めると、パアッと顔を輝かせ、犬の子のように駆け寄ってきた。
「よかった!今日は二度寝せずにちゃんと起きてたんですね、お嬢!」
「?……おじょう?」
「はい、お嬢です!さてはまだ寝ぼけてますね? だめですよ、今日はリチャードが来るって言ってたんですから!あいつ、また変なガラクタ仕入れてきたに違いありません!そんな様子だとまた売りつけてるでしょけど、このイザベルがしっかりと断りますからね!」
喧しい。声がデカい、 距離が近い。人なれしていないから少しだけドギマギする。何なんだこのお転婆ガールは。
彼女はベッドサイドに腰掛けると、私の手をブンブンと振り始めた。このお転婆娘、どうやらイザベルと言うらしい。
察するに私はこの一室……もっと言うとこの家、城ともいえる建物の主か令嬢で、この子がお仕えの侍女と言ったところだろうか。
「あのな、イザベル」
「はい、なんですかお嬢!」
「……いや、なんでもない。それより、腹が減った」
ひとまず、情報収集だ。この子は色々と使いやすそうだが、まずは腹ごしらえと状況把握が先決だ。
「えー!さっき朝ごはん食べたばかりじゃないですか!……もう、しょうがないですね! すぐに厨房に言って、おやつ貰ってきます!待っててくださいね!」
そう言うと、イザベルは再び嵐のように部屋を飛び出していった。 ……食べたばかり?私は首を傾げた。
成程。
私は、取り残された静かな部屋で、小さくため息をついた。
どうやら私は、この≪エレノア≫という子供の身体に、『途中から』入ったらしい。
――ご都合展開、ここに極まれり、だ。
*――*――*
イザベルという名の嵐が過ぎ去り、部屋にようやく静寂が戻った。 ……いや、静寂ではない。
――ぐうぅ〜……。
この身体の腹の虫が、予想外に大きな音を立てている。イザベルの言葉を信じるなら、この身体はついさっき朝ごはんを食べたばかりのはずだ。 だというのに、この強烈な飢餓感。まるで三日三晩何も食べていないかのようだ。
(……燃費が悪いのかこの身体。それとも)
ヴァンプの肉体。
ヴァンプ……ヴァンパイア。吸血鬼。まさかとは思うが、『腹』が減ったの本当の意味が、ビスケットや紅茶でない可能性も考慮すべきか。
面倒くさいこと、この上ないな。
私がベッドの上で今後の食糧事情について本気で悩み始めた、その時。
――コン、コン。
今度はやけに丁寧なノックの音がした。イザベルの突撃とは大違いだ。
「……どうぞ」
警戒しつつ短く答えると、扉はゆっくりと開かれた。
そこに立っていたのは、一言でいうなら……『胡散臭い優男』だった。
歳は二十代後半ぐらいだろうか。くすんだ金髪を無造作に流し、仕立ては良さそうだがどこか着崩したシャツを着ている。切れ長の目に人の良さそうな笑みを浮かべているが、どうにも信用ならない。
ただ、妙に整った顔立ちではある。ナイスガイ、というやつだ。
男は私を見ると、その人の良さそうな笑みを一層深くした。
「これはこれは、ご機嫌麗しゅう、姫」
「……ひめ」
(……は?)
男は部屋に悠々と入ってくると、芝居がかった仕草で胸に手を当て、優雅に一礼してみせた。
「お久しぶりです。相変わらず愛らしいお姿で、このリチャード、感激で涙が出そうですわ」
「……リチャード」
先ほどイザベルが言っていた男か。それにしても、なんだそのエセ貴族みたいな喋り方は。
「えぇ。イザベル嬢から『お嬢が呼んではる』て聞いとったんですけど、なっかなかお目覚めにならんかったみたいで。いやぁ、心配とったんですよ」
(……今、こいつなんつった?)
さっきまでの流暢な標準語はどこへ行った。急に、やけに滑らかな関西弁が飛び出してきた。
「姫? どないしました? まだ寝ぼけてはります?」
男――リチャードは、小首を傾げてニヤリと笑う。その時、彼の唇の間から、白く鋭い『犬歯』が覗いたのを、私は見逃さなかった。
(……情報過多に過ぎるぞ、おい)
紳士風の優男。関西弁。犬歯。
そして私を『姫』と呼ぶ。 こいつはイザベル以上に厄介かもしれない。
「……いや。少し、驚いただけだ」
「こりゃ、珍しい。姫がこのリチャードに驚いてくれるとはねえ。今日はええ日ですわ」
「それよりリチャード」と、私は本題を切り出すことにした。
「イザベルが言っていたが、何か『変なガラクタ』を仕入れてきたそうだな」
「シッ!」
リチャードは突然、人差し指を自分の唇に当て、声を潜めた。
「ガラクタやなんて、とんでももない! あれは『ロマン』ですわ、姫! 今回もとんでもない逸品を仕入れてきましてん!」
「ほう」
「興味ありますか? ありますやろ? ……で、お代なんですけど」
こいつ、やっぱり守銭奴だ。
私が呆れてため息をつこうとした、まさにその時。
――バァン!!(本日二度目)
「お待たせしましたお嬢ー! って、あー!リチャード!抜け駆けです!『ロマン』と称したガラクタをお嬢に売りつけるのは、私の許可を得てからにしてください!」
お盆に山盛りのクッキーとミルクを乗せたイザベルが、リチャードに掴みかからん勢いで戻ってきた。
「いやいやイザベル嬢、人聞きの悪い! これは姫との大事な商談でして」
「うるさい!お嬢、こんな胡散臭い男の言うこと聞いちゃだめですよ!」
「なんやとぉ!?胡散臭い言うな!」
……やかましい。 非常に、やかましい。
私はイザベルが持ってきたクッキーを一枚掴むと、とりあえず口に放り込んだ。
(……うん。甘いだけで、腹の足しにはならんな、これ)
私の異世界ライフは、どうやら前途多難らしい。
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