第4話
翌朝。
ふわりと柔らかな布団の中で、ラーナは緩やかに意識を取り戻した。
深い眠りだった。千年の封印中も精神は活動していたため、これほど安らかな眠りは初めてかもしれない。
「ここは……」
起き上がると、そこは清潔で簡素な、人族の寝室だった。木造の天井を眺めているうちに意識がハッキリしてくる。
そして、昨日の記憶が津波のように押し寄せた。
竜の肉を食らい、酒を飲み、酔いつぶれ、そして──
『猛りを鎮めるのも平穏を守ることの一環とは思わんか?』
自分が口にした、はしたない言葉。
そして、主殿の胸に抱かれて、そのまま寝入ってしまった事実。
最悪の醜態。
「っ、ぬ、ぬおお……!」
ラーナはベッドの上で悶絶した。ルビーの瞳は羞恥に染まりる。頭を抱えると、角の先まで火照ったように熱い。
魔族を束ねし真なる魔王ラーナが、人族の若者に甘えて、あまつさえ『主殿』の寝室で朝を迎えるとは。
(くうっ……! なんたる失態……! わらわの威厳、尊厳、すべてが地の底に落としてしまった!)
悶絶し続けていると、扉の外から声がかかった。
「起きたか、ラーナ」
涼やかで無感情な声。ハルマだ。
「朝飯を作った。冷める前に食ってくれ」
「分かった、今行く」
ラーナは慌てて応え、自らの威厳を取り戻すべく深呼吸をした。
(いいか、ラーナ。貴様は魔王だ。恩義から主殿と共にある。とはいえ、小娘のように振る舞ってはならぬ。己が立場を弁えよ)
そう心の中で言い聞かせ、咳払いを一つ。
そして、静かに階段を降りてリビングへと向かった。
◇
リビングは、台所と食卓を兼ねたシンプルな空間だった。
ハルマは台所で、異世界では珍しい白米と味噌汁を並べていた。
「おはよう、主殿」
ラーナは精いっぱい、平静を装って声をかけた。昨日の『ぷろぽーず』など、なかったかのように。
「ああ、おはよう」
ハルマは振り返りもせず、味噌汁と思しき汁物に味見をして頷いた。
「昨夜の件だが、気にするな」
「む……?」
「酒に酔うことは誰にでもある。気にして損なことはするな。俺の平穏が乱れる」
ハルマの言葉は、ラーナにとって屈辱的であると同時に、深い安堵をもたらした。
(気にするな、とはな。まるで、子を相手にするような言い草だが……)
魔王として、怒るべきところだ。
だが、ハルマは昨夜のラーナの醜態を、『醜態』とすら認識していない。
純粋に酔っ払いを介抱した、というだけのことなのだろう。
そう思うと、急速に心が落ち着く。
「……感謝する、主殿」
「構わん。朝飯にしよう」
食卓には、焼き魚と卵焼き、そして白米、汁物が並べられた。
どれもこれも、昨日食べた竜の肉のような野趣あふれる食事とは正反対の、繊細な調理が施されている。
「これは……何だ?」
「俺の故郷の朝食だ。食えばわかる」
ハルマから箸を手渡される。
ラーナは慣れない手つきで箸を持ち、まずは味噌汁に口をつけた。
出汁の香りが口の中に広がり、深い旨みが舌を包む。
「……美味い。これは、穀物を発酵させているのか?」
「ああ。味噌という。村人に頼んで作らせた」
次に米粒を食べる。粒立っている。甘い。弾力がある。
「口に合うか」
「ああ、絶品だ」
ラーナは感嘆の声を漏らし、白米と汁物を交互に食べた。強がる暇などなかった。腹が鳴りそうになるのを必死に堪える。
「さて」
食事がひと段落したところで、ハルマは茶を淹れながら言った。
「今後のことだが、お前は俺の平穏を守ってくれるんだな?」
「そうだ。わらわの言葉に偽りはない」
ラーナは威厳を取り戻し、凛とした顔で頷いた。
「ならば、まずその角をどうにかしろ。昨日、村人には『酒に酔った旅人』と嘘をついたが、隠し通せるものではない」
「ふむ……」
ラーナは自身のこめかみから生える二本の角に触れる。
「簡単だ。わらわの認識阻害の魔法を使えば、人族にはただの飾り物か、あるいは見えなくなる」
「やってみてくれ」
ラーナが魔力を練り上げると、周囲の空間が微かに歪む。
「よし。これで村の中では、誰もわらわの角に気づかぬ」
ラーナは満足げに頷くが、ハルマは次に黒と深紅の衣装を指差した。
「次はそれだ。派手すぎる。平穏とは程遠い」
「……ぐ、承知した」
魔王ラーナは、自らの威厳を保つため、全身から魔力を放出して衣服を作り変える。修道服のような、簡素な黒いローブに再構築した。
だが、その心は。
(くぅ……地味すぎる! しかし、主殿のそばで、その平穏を守るためだ。仕方あるまい……)
他人の家で目覚めるのも、料理を振る舞われるのも、TPOに合わせた服装をするのも、魔王にとっては初めてだった。
戸惑いや恥じらいの中、魔王は人を学んでいた。
公園の石像に触れただけで石化の呪いを解いてしまい、銀髪クーデレ魔王にめちゃくちゃ懐かれた。 会澤迅一 @eyesjin1
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