第6話 風真登場
「……一緒に行くのか?」
アイリスは小さな声で、キリエに確認してきた。
「まあね。……あなたとしては、わたしに頼りたくはないだろうけど」
「いや……確かに頼りたくはないが、助けてくれるというなら、断るのも不合理だ」
嘘だ。本当はキリエに頼りたかった。キリエが自分より強くて、賢くて、もしかすると彼女一人だけでもいいのではないかとすら思えるから。
でも、そんなことは言えない。言うわけにはいかないのだ。
「で、渡されたメモの住所は、どこなのかしら?」
「ああ、今見せるよ。……こんな夜中に行っても迷惑だろうな」
「どうかしらね? 相手も妖怪でしょうし」
メモを見たキリエはその瞬間に、うげっという顔でアイリスの方を見た。
「これ、風真くんの住所じゃないのよ!?」
「風真?」
「……わたしの『信者』よ。妖怪のね」
キリエはため息をついた。酒呑童子の再来、などという褒め言葉がいやで、言ってもやめてくれないから縁を切った。
その相手と再び関わらなければならないのだ。
「お前が嫌でも、私は行くぞ。治癒術が得意な種族は希少だ。こいつは必ず役に立つ。お前の信者である以上、危険か見極める必要もある」
「……でしょうね。思ってみれば、わたしも感情で判断を誤ったかもしれないわ。彼に謝りましょう」
キリエはふーっとため息をつき、何とか冷静になろうとしている様子だった。
「風真くんなら、今頃は友達と飲んでから家に帰ってるところなはずよ。彼のカーナビには電話の機能もあるし、連絡してみましょうか?」
「……詳しいんだな。仲が良かったのか?」
アイリスは、うまく言葉にできないが、どうしてかイラついてしまった。
自分でも驚くような、低い声が出る。
「あら、もしかして、わたしが風真くんと付き合ってたと思ってる?」
「どうして、私がお前の恋愛関係で腹を立てるんだ?」
「さあ……わたしに聞かれても分からないわ。でも、わたしの彼に対する認識は言っておくわね」
キリエは言葉を一度切ってから、こう続ける。
「風真くんは、たまにデリカシーがないけど、『可愛い』し『便利』だったわよ?」
あまりに、心を捨てたようなひどい言い草である。
しかし、アイリスはキリエの中で風真の存在が軽いという事実に、なぜかホッとしていた。
「そうか。私とは随分と扱いが違うな」
「ええ。あなたは『可愛い』だけじゃないもの。……憧れてもいるし、競い合えたらうれしい相手でもある」
アイリスは、キリエにとって特別だ。キリエほどの強者が、誰かに憧れるなんて普通はあり得ない。
アイリスの心を、世界に対する優越感と、奇妙な愛おしさが満たしていた。
彼女はその原因がわからないし、口にもしないが。
「もしもし、風真くん。……昨日は、衝動的に切るようなことして、ごめんなさいね。アイリスが、あなたに会いたいらしいの」
キリエは、アイリスに聞こえるよう通話をスピーカーにしながら、風真にそう言った。
「あー、あれは俺も悪かったんでいいっすよ。それにしても、アイリスさんってキリエさんを殺そうとしてる人っすよね? いいんすか、信者の俺と合わせて」
「うーん、協力して悪い妖怪と戦うことになったからね。あなたにも助けてほしいの」
「……了解っす。今から、家に来てもらってもいいっすよ」
電話越しに聞こえる風真の声は、いかにも軽薄そうだが、不思議としゃべり方に知性を感じた。
キリエが通話を終え、アイリスに笑いかけてきた。
「行っていいそうよ?」
「……分かった」
アイリスはぶっきらぼうに言いながら、首の後ろを右手で押さえる。
――それにしても、しゃべり方に不思議と知性を感じたな。
アイリスは心のなかでそう思う。話の流れを誘導しながら喋るタイプだ。信用はし過ぎない方がいい。
「胡散臭そうな奴だな。ストレートに言うと、私は風真とやらを警戒してるぞ」
「ええ〜? わたしの信者だっからって、疑い過ぎじゃないかしら、ふふふ」
「黙れ。崇拝の対象が狂人という時点で、貴様の信者も、次のゾルマ教になりかねん危険分子だ」
貴様に憧れている自分が言うことではないがな。アイリスは内心でそう付け加えた。
「あら、ゾルマ教もテロ路線を引き継いだのは『円卓派』だけって言うじゃない? わたしの信者でも、わたしのマネをする人って滅多にいないのよ?」
「現れた時にはどうしてるんだ?」
「……誰かのささやかな日常を壊すような、行き過ぎた子は殺してるわ」
キリエは、何の感情の変化も見せずにそう言った。
さながら独裁者のような振る舞いに、アイリスは背筋が凍るのを感じる。
しかし、それと同時に憧れも強まっていた。
アイリスは時々、わからなくなる。自分はキリエが持つ『自由』に憧れているのか、それとも、キリエという1つの『人格』に憧れているのか。
こうして、2人は風真の家へと行くことになった。
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「茶にしますか? それとも、酒にするっすか?」
風真の家は、夜刀神区にあるそれなりに広いマンションだった。
割と高級そうな家具が並ぶ部屋を見て、アイリスはなんとなく、彼が良い家柄の生まれだと察する。
しかし、家から漂う気品とは対照的に、風真は典型的な派手好きの若者だ。
緑色の髪と、耳を飾る大量のピアスが、やけに印象に残る
「……風真くん、わたし、コーヒーがいいわ?」
「わたしは何でもいい。だが、できれば紅茶で頼む」
風真は言われた通りのモノを、二人に用意した。
「茶菓子もあるっすよ。砂糖とかミルクは、ここに置くんでお好みで」
「ありがとうね、風真くん」
「……ありがとう」
三人は広いテーブルに着くと、さっそく話し合いを始める。
「――ということが、あったのよ」
キリエは簡潔に、今まであったことを説明した。風真はそれを、真剣な顔で聞いている。
「なるほどね。事情は理解しました。俺は、キリエさんとアイリスさんの手助けをすればいいんすね?」
「そういうことよ。今後も、アイリスの手助けは積極的にしてあげてね」
「キリエさんとアイリスさんが殺し合ってる時は、どっちに味方したらいいっすか?」
キリエは、芯まで凍るような冷たい目で、風真を睨む。
「……何もしなくていいわ。わたしとアイリスの戦いに、誰かが挟まるなんて許さない」
「了解っす。じゃ、お二人から連絡がない限り、いつもどおり人助けでもしてるっすね。キリエさんにしろって言われてるし」
なるほど。キリエにするなと言われたことはせず、見習いすぎず、人助けの手段としてだけ暴力を使う。
模範的なキリエ信者、というわけか。アイリスは風真を、そう分析した。
「俺はキリエさんと違って、グレーゾーン攻めてますからね。たしか、妖怪のルールに、『人に危害を加えちゃダメ』ってルールはあったとは思うっすけど」
グレーゾーンとは、おそらくは『アレ』のことだ。
アイリスは1つ、心当たりがあった。
「お前は恐らく、『今すぐ助けなきゃ死ぬ人の救助の過程で、降りかかる火の粉を払っただけ』という建前を使っているんだろう?」
「お? カンがいいっすね」
「そして、倒した悪人は拘束するだけで済ませて、ケガも治してやってる。……治癒術が得意な妖怪ならではだな」
妖怪の掟には『基本の5か条』というものがあり、明確な穴がある。
■基本の5か条(例外は別途記載)
1.原則として、人間に危害を加えてはならない。ただし、妖怪などの常ならぬ力が引き起こした問題は、同じ力を持つものが解決する。
2.人間の問題は、基本的に人間が、人間のルールに従って解決するものとする。妖怪が干渉する場合、人間のルールを破ってはならない。
3.全ての妖怪は種族や力に関係なく、互いを尊重せねばならない
4.自分、あるいは他者の生命が差し迫った危険で脅かされている時、上記の3箇条を無視しても良い。ただし、差し迫った危機に際して行う、救護と自衛のみに限る。
5.評議会は、掟の内容と罰則を決める際に、上記の4つの原則を参考に、どれだけ致命的な違反であるかを参考にすること。
評議会というのは、掟を決めたり裁判を行う組織のことだ。
ちなみに、大正の頃までは存在すらしなかった。
「お前は純粋な救助の目的という建前を使っている上、キリエと違って人間を殺していない。そういうことだろう?」
「そうっすね。人間から緊急で頼まれた、という建前も整えてます。まあ、そのせいで助けに行けない時もあるっすけど」
風真はヘラヘラと笑っていた。キリエの方も、彼を使う時には、このあたりに配慮するのだろう。
キリエは遠慮はしない。だが、『可愛い』モノを壊さない配慮はする。アイリスはそれを知っていた。
「歯がゆいっすよね、こんなガバガバな掟のために」
どこまで本音なのか分からない言葉で、風真はそう付け足す。
「本当に狡猾な男だよ。お前は信用ならん」
「正解っすよアイリスさん。でも、実際に治してあげてますからね。悪人にケガさせられた人」
「だろうな。アフターケアも万全にしなければ、貴様の建前は崩壊する」
「……まあね。キリエさんは好き嫌いで動きすぎなんすよ。そこがかっけぇんですけどね」
「掟を蔑ろにしているのは、貴様もキリエと一緒だがな」
アイリスは、深くため息をついた。
「それでキリエ、お前も同じ建前を使おうとは思わんのか?」
「あら、知らないのアイリス。……わたしの治癒術はね、他人に使ってあげられないの。鬼にそういう才能はないわ」
そもそも、鬼の得意分野は『壊す』ことと『奪う』こと。
生命力に干渉する治癒術を、生命力を奪う吸精の応用で身につけることはできた。
だが、それは他人に対しては使ってあげることすらできない、不完全なモノだったのだ。
「それに、キリエさんの目的は、嫌いなやつを殺すことっすよ? たまたま、好き嫌いと善悪が一致してただけっす。……あんただって、キリエさんのそういうとこが好きなくせに」
風真は一瞬、明らかに狡猾そうな、意地の悪い笑みを浮かべた。
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「まったく、勘弁してほしいですよ。こんな早朝に駆り出されるなんて」
「仕方ないだろ。心臓をえぐられたヤツに続いて、2人目の被害者だ。おまけに、今回はスケスケ女の目撃情報もある」
ため息混じりの若い刑事と、威厳のあるベテラン刑事が、そんな会話をしている。
世間の人々からは、まだスケスケ女と呼ばれ続けている影女。キリエたちが風真の家に向かっている間に、別の人間が殺されていた。
「……ひどいですね、これ。体の中身がぜんぶ取り出されてる」
「まったくだ。しかも見ろよ、まだこんなに若い。結婚指輪までしてよ。人生、これからだったろうに」
日常の象徴である、公園の滑り台。そこにつるされた、空っぽの死体。
あまりにも陰惨な風景に、若い刑事は吐き気を感じていた。
「ね、ねぇ。調べてる、の?」
背後から、異様にオドオドした、女の声がする。
――噂のスケスケ女が、そこにいた。
ウェーブした伸びざらしの黒髪は、まるで生き物のように思える。
黒いコートに、半透明な体は、まるで見られることを拒みたい願望のようですらあった。
「……どこから入った。何をしに来た」
ベテランの刑事は動揺せず、まずは言葉でそう聞く。
だが、そんな彼の首は、目にも留まらぬ速度で切断された。
スケスケ女、いや、影女の攻撃だ。
足元の影を、触手のようにうねる刃に変形させ、刑事を攻撃したのだ。
「うわぁああああっ!!」
若い刑事は銃を取り出し、乱射する。だが、霊体の影女には効かない。
彼もまた、首を斬られて死んだ。そして、胴体が倒れる直前で、影女は若い刑事の影を踏む。
……別の刑事の背後にある影に、彼女は瞬間移動していた。
そこからは、一方的な殺戮だった。逮捕のたとはいえ、戦闘の技術を仕込まれている警察官たちが、何もできず一方的に殺し尽くされた。
「ヒャハハハッ! 弱いなぁ! 人間ってのはよぉ!」
影女の影は、口の部分に三日月型の空白を作りながら、ゲラゲラと笑っている。
「う、ふふ。うん。楽しいね」
そんな彼を実体化させ、死体から抜けた魂を食わせてやれば、影女の体がどす黒いオーラに包まれた。
「もっと……欲しいよぉ……、気持ちくて、おかしくなりそう……。これ、好き……! 欲しい……、もっと、もっとぉ……!」
脳天を突き上げるような、魂食いの甘美な刺激。
麻薬めいたその快楽は、影女の正気を削る。
恍惚の熱量が、体を溶かしてしまいそうだった。
それを遠くから、赤いローブを来た男が眺めていた。
男はフードを目深にかぶり、顔を隠している。
「……今までは、深夜にしか人を襲わない理性があった。けど、魂喰いのしすぎで、もう限界らしい。そろそろ、『使い時』かも知れんな」
赤いローブの男は、そう言いながらニヤリと笑った。
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