第5話 夜の神社




「ふふ、こんなところなのに……。いや、こんなところだから、妖怪の溜まり場になってるわね?」


  

 街の外れ、山を少し登ったところにある、夜の廃神社。

 御神体を移し替えられても残る、かつて神の領域だった残り香。


 幽世との境界線が曖昧なこの場所を、妖怪たちは好み、たまり場としていた。



「よう、あんたも飲みに来たのかい」



 眼帯をした、右手と左足だけが鉄で出来た男が、話しかけてくる。



「……一本だたら? 都会で見るのは珍しいわね」

「お? いや、そうでもねぇだろ。ここはかつて、鍛冶師の街だった。今も、外人さん向けの工芸品として、残ってはいる」



 一本だだら。鍛冶を生業とする妖怪たち。

 彼らは特別な霊刀を打つ刀匠として知られるが、相応の素材と、対価を求めてくる。


 ちなみに、普通の刀や日用品を作るぶんには、普通の素材と報酬でいい。

 もっとも、現代においても芸術品として人気な彼らの刀は、それなりの値段が張ることも多いが。



「で、飲むのか飲まねぇのか、どっちだい」



 一本だたらの男は鳥居の下で、一人でどぶろくを煽る。



「ごめんなさいね。今日は情報屋に会いに来たの。わたしも鬼だから、お酒は好きなんだけどね」

「ハハハ。見てくれの割には、鬼らしい好みだな。……本当に、鬼が清楚系とは、珍しいな。今どきの鬼は、みんなチャラついてやがる」

「攻撃的なファッション、と言ってあげてちょうだい」



 鬼の基準での褒め言葉で、キリエは同胞たちのセンスを表する。

 個人的には好きになれないが、彼らは派手な髪色と、露出の多い服を好む。


 鬼の感性は攻撃的で、派手で、そして豪快だ。

 手段が暴力とは限らないだけで、他者を圧倒することを好む。


 キリエも根本は変わらない。



「情報屋に会いに行くなら、こいつを渡しな。西区の鉄治郎からと言えば、受け取るはずだ。アンタのことも、少しくらいは贔屓にしてくれるぜ?」



 男は、細長い袋に入った何かと、何か瓶のようなモノを渡す。



「……これは?」

「御神酒と、守り刀だ。飲んでよし、供えてよし、使ってよしの、厄よけだよ」



 鉄治郎と名乗った一本だたらの男は、そう言いながら笑っていた。



「……そう、ありがとうね」

「ああともさ。……なあ、あんた。もしや噂に聞く、酒呑童子の再来かい?」



 キリエの目に、一瞬だけ強い怒り、いや憎しみの色がにじむ。

 震える拳を握り、それがわずかに上を向いた。



「……その呼び方は、やめてちょうだい」

「おっと、こいつはすまねぇ。あんたが、強いやつだと言う噂ばかり聞いてたもんでな。言い訳にゃならんが、悪気はなかった」

「で、わたしのあだ名が、どうかしたの?」



 鉄治郎は、静かにすーっと息を吸うと、ゆっくりと吐いた。



「別に、なんともねぇさ。だがな、こうは思ってるぜ。……鬼がその呼び名を嫌がる理由なんざ、酒呑童子を嫌ってるから、以外にありゃしねぇ。あんた、奴に何されたんだい?」


 

 鉄治郎は、射抜くような目で、真っ直ぐにキリエを見た。



「……うふふ。奥さんを殺されたから、なんて言ったら笑うかしら?」

「笑いはしねぇよ。だが、女のあんたが嫁を娶るなんざ、平安の世じゃ珍しかったろうよ」

「ええ。他にいなかったんじゃないかしら? ……いや、違うわね。わたしは何を言っているの?」



 キリエは、ニコニコと笑っていたが、次の瞬間には急に無表情になった。

 自分に妻などいたことがない。むろん、夫もだ。

 隣に並び立つほどの存在など、平安から生きてきてほとんどいなかった。


――そもそも、わたしはなんで酒呑童子を嫌っているの?


 分からなかった。会ったことすらないから。



「……今のは冗談よ。あまり、人の事情に土足で踏み入らないとこね」

「ああ、すまなかったな。重ねて詫びを言うよ」


 

 キリエ自身も釈然としないまま、鉄治郎との会話は終わった。

 そのままキリエは、妖怪の情報屋のいる、小さなテントのようなスペースへと向かう。



「……アイリス。来てたのね?」



 キリエが声をかければ、相変わらず怜悧な印象を与える、金髪碧眼の女が振り返る。



「キリエか。……お前も、スケスケ女――いや、例の影女のことを調べてるのか」

「まあね。……敵の種族まで分かったの? 随分と調べたのね」

「いや、調べたと言うよりは、遭遇した」

「……なるほど」



 2人はそれから、情報屋の方に向き直る。


 情報屋は、やせぎすの中年だった。無精髭を生やした、妙な色気とくたびれた雰囲気を両立した男だ。


 背中からは、黒い翼が生えていて、着崩したスーツからは、薄い胸板が露出している。



「……飲むか?」



 ビールの瓶とスルメイカを差し出してくる情報屋。2人は丁重にお断りした。



「お酒なら、あなたのお友達にも勧められたわよ」



 キリエは言いながら、御神酒と守り刀を、情報屋に見せた。



「……西町の鉄治郎からか?」

「ええ、そうよ。ふふふ、仲がいいの?」

「悪くはねぇな。けど、稀に飲みに行く程度さ。話を積もらせなきゃ、盛り上がらねぇんでな。お互いに口下手なんだよ」



 情報屋は、ニヤリとニヒルに笑いながら、そう言った。



「で、何の情報が欲しいんだ?」



 尋ねてきた情報屋に、2人はまず自分が今持っている情報を明かす。

 情報というカードを先に見せるのは嫌だが、相手は結局のところ金と利害しか見ていない。


 だからこそ、どんな商品じょうほうを欲しがってるかを誠実に明かさないと、取引にすらならない。



「なるほど。俺としちゃ、鬼のお姉さんの情報の方が興味深いな。……さっきまで聞き込み調査をしてたと」



 そう、キリエは神社に来る前、聞き込み調査をしていた。

 その結果、スケスケ女の目撃例は、空辰町という繁華街に集中していること。

 その外側にも出現しているが、行動範囲が限られていることが分かった。



「わたしがやつと戦ったのも、オフィス街の東側……。空辰町のすぐ隣だ」



 アイリスも、近い場所でスケスケ女――改め、とある影女と戦った。



「あと、これは、わたしの『信者』が仕入れてくれた、新聞やオカルト雑誌に載ってる目撃例や事件ね」

「ほう……これはこれは。よし、じゃあこれらのスポットを、地図にマーキングしてみようか」


  

 情報屋は地図を広げると、油性ペンで1つずつ印をつけていく。



「……この真ん中あたりのポイントに、恐らく何かある」

「あら、何かってなぁに?」

「さあな。そこまでは知らんさ。その上でもう1つ。……影女は本来、アイリスってお嬢さんが言うほど、強い妖怪じゃねぇ」



 影女は、霊体の本体と、意志を持った影が、二人で1つの存在として生まれてくる妖怪だ。

 しかし、その能力はせいぜい、影を実体化して武器などに変形させる程度の力だ。



「……そうだな。夜の闇を媒介としたワープは、あの女の固有の特性、あるいは才能ということか」

「あるいは、魂喰いで無理な強化を重ねたか、だ。アイリスちゃんも察してはいたろうがな」



 魂喰い。それは、妖怪にとって最も手っ取り早く力を得る手段。

 人間や妖怪などの、霊的なエッセンスが濃厚な魂を食いまくり、己を強化する。


 しかし、魂喰いには当然ならがら、リスクもある。



「魂喰いは、やり過ぎたら人格がぶっ壊れて廃人になる。……当たり前だよな。他人の魂を食って、自分のものとして取り込むんだ。常識で考えりゃ、1度でそうなるのが本来のカタチだ」



 なのに、何度も何度も、無茶な魂喰いをしない限り、人格が壊れてしまうことはない。

 

 

「……だが、魂喰いは妖怪の掟で禁止されている。あれは、依存性があるからな」



 魂喰いは繰り返すほどに快楽を増し、やがては麻薬のような依存性を持つようになる。

 そして最後は、人格の崩壊まで引き起こすのだ。やろうと思わないのが、むしろ普通だろう。



「ヤツは、犠牲者の魂を食ったと言っていた。まず間違いなく、魂喰いに手を染めている」



 アイリスは、ハッキリとそう断言した。



「……となると、相手の能力がどれだけのスケールになってるかは、未知数な部分もあるのね」



 キリエは冷静だった。ため息すらつかない。

 何が来ようと、自分がいれば何とかなると、そう思っているのだ。



「……けどまあ、試す価値がある方法なら、あるぜ?」



 情報屋は少し考えてから、言葉をこう続ける。



「周りの影を全部消しちまうのさ。そうすれば、瞬間移動の媒介にしてる影が、そいつ自身の影なのかどうかや、ほかの影に触れてなきゃいけないかどうかは絞り込める」



 彼は言いながら、ニヤリと笑った。



「あと、もう2つ、情報を提供してやる。と言っても、片方は大したもんじゃない。1つ目は、あの女が隣町で下着を買ってたって話だ」



 おかしな情報に見えて、かなり重要だ。これは、影女が生活必需品を、隣町で購入しているということ。

 つまり、影女の生活圏は隣町か、あるいはこの夜刀神区の近辺だ。



「ちなみに、参考までにどんなのを買ってたか教えてちょうだい」

「地味目のスポブラだとよ」

「……なるほど」



 つまり、部屋で身につける用のを買っていたのか、見た目より機能性を重視しているのか……。あるいは下着のおしゃれさに頓着がない?


 後者の2つであれば、厄介だ。


 おしゃれさや優雅さより、効率を重んじる相手は、今の生活を捨てることへの躊躇いが薄い。


 下手を打てば遠くに逃げられる。キリエはそう考えて、警戒を強めた。



「……で、もう1つは?」

「大した情報をやれなかった詫びだ。知り合いを紹介してやるから、そいつに助けて貰え」



 情報屋はタバコをふかすと、アイリスに1枚のメモを渡した。



「隣のお嬢さんと一緒に、そこに描かれた住所を尋ねてみな。あいつは、あんたらみたいな美人に弱くてね。……優秀な治癒術使いだ。きっと役に立つぜ」



 情報屋はニヤリと笑うと、まるで魂が抜け出しているかのような、煙の息を吐いた。

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