第3話 エゴイスト
キリエは料理をするのが好きだ。
理由はただ1つ、『向いてるから』。彼女は自分が楽しいことしかしない。
向いてないことを無理に頑張ったって、つまらないだけ。
自分には強さがあり、そして他にも向いてることがある。
アイリスも、自分がこんなにつまらないことを考えてるなんて知らないだろうなと、キリエは苦笑する。
自分は常識に囚われるタイプだ。客観的にどうかはともかく、少なくともキリエ本人はそう思っている。
自らを例外とできるだけの、圧倒的な力に恵まれているだけ。
アイリスの方がよほど常識外れだとキリエは思っている。
あんなにも自然に、疑問に思うことすらなく、『みんなのためのルール』だけを理由に、自己を犠牲にできる。
そんな生き方の、どこが常識的なのか。
「……でも、そんなところが可愛いのよね」
キリエは小さくつぶやいた。フライパンの上のウィンナーに、いい感じに焼き色がつき始める。
アイリスと一緒に食べる朝食を、自分が作れる。彼女はそれが嬉しかった。
キリエの行動原理は、彼女の言う通りにシンプルだ。
自分の好き嫌い、ただそれだけ。
可愛いアイリスが好きだから、アイリスのために料理を作れたら嬉しい。
真面目なアイリスが好きだから、自分の生き方を否定されるのが嬉しい。
強いアイリスが好きだから、彼女と競い合えたら嬉しい。
この街に来たのは、アイリスに何度も戦いを挑まれて、生活に支障が出たからだ。
それなのに寂しかった。でも、彼女は追いかけて来てくれた。
「……アイリスったら、エッチな子ね」
キリエは昨日の夜を思い返しながら苦笑する。ベッドに潜り込んだキリエに対して、アイリスは言った。
自分は抵抗できないのだから好きにしろ、強者の権利を楽しめと。
あの震える声に滲んでいたのは、恐怖と屈辱だけではない。
真面目な彼女がずっと抑制してきた、女としての情熱。
よりにもよってそれを、同じ女である自分への屈服を言い訳に、解き放とうというのか。
「そんなの、許さないわ。わたしを否定しないアイリスなんて。アイリスじゃない。……うふふ、なんてね」
キリエの目が、一瞬だけ強い怒りの色を帯びた。
その時だった。アイリスが、起きた気配がした。
彼女は寝室から、キッチンまで歩いてくる。
「おはよう。……本当に朝食を作るんだな」
「ええ、まあね。もっと凝ったモノも作れたけど、朝からそれは重いでしょ?」
「まあな」
キリエとアイリスは、昨日殺し合ったとは思えないような会話をしている。
下着の上からエプロンをしたキリエの姿に、アイリスは思わず生唾を飲んだ。
「……どうしたの、アイリス?」
「なんでもない」
アイリスはわざと、ぶっきらぼうにそう言った。
言えなかった。キリエの後ろ姿が、女の自分から見ても、美しく扇情的だなんて。
細くて折れそうな腰も、キュッと締まった尻のラインも。
すべてが、アイリスがそうなりたいと憧れるような、理想のカタチをしていた。
「持ってくの、手伝ってちょうだい」
料理が完成し、キリエはそう告げた。
スクランブルエッグに焼いたウィンナー。サラダにインスタントのコーンポタージュ。そして、トースト。
2人はテーブルに朝食を並べ、手を合わせてから食べる。
「いただきます」
2人は美味しそうに、食事を楽しんだ。
「どうかしら?」
「……うまい」
「よかった」
やり取りはとても短かったが、キリエは満足そうにほほ笑んでいる。
「……行ってくる」
「うん。……お仕事、頑張ってね」
キリエとアイリスは、部屋の前で別れた。
キリエも、血まみれの服を幻術で誤魔化しながら、家に帰り、そして着替える。
彼女の家とは、『信者』の経営するカフェだ。
2階が住宅となっており、キリエは店主の娘が使っていた部屋を借りている。
ちなみに、娘は亡くなったわけではない。おとなになり、独り立ちしただけだ。
キリエは前にも、この街で暮らしていた時がある。昭和くらいのことだ。
その時に助けた若者が、彼女に心酔した。よくあることだ。
彼女は強く、強いが故に、そのワガママは流儀に昇華される。そして、人を惹きつける。
「……お待たせ。重役出勤ね。遅刻してごめんなさいね、岸本さん」
キリエは笑いながら、店主に言った。
「かまいませんよ。キリエ様には、恩義がありますから」
岸本と呼ばれた初老の店主もまた、笑いながらそう言った。対等とは言えないが、和やかな関係だ。
しばらくして、小腹を満たすためか、幾人かの客がやってくる。
「わ……! なんだあの人。すげぇ綺麗だな、モデルさんか?」
「……いや、違うと思うぞ?」
明るい少年の言葉に、クールな少年がツッコミを入れる。
クールな少年の方は、妖怪だった。
全ての妖怪は、人としてのもう1つの姿を、生まれつき持っている。
キリエの場合、鬼としての姿との違いは、角が生えてるかどうかだけだ。
「……ナンパとか、迂闊にやんなよ」
クールな方の少年には、同じ妖怪だから、キリエの正体が見えている。
しかし、片方の少年は、キリエのことを単なる綺麗なカフェの店員としか思っていない。
「バカ! あんなキレイな人にはゼッテー彼氏がいんだよ! ナンパなんかしねぇよ!」
「……そうじゃないが、それでいいよ」
2人の少年は、その後も和やかに会話していた。
「……いいわよね、ああいうの」
クールな少年の方は、妖怪としての正体を隠している。全ての本心をさらけ出せているわけでもないだろう。
それでも、互いに違う者同士が、健気につながりを持とうとしていることが、キリエにとっては愛おしかった。
キリエが守りたいのは、こういう世界だ。
違う者同士が結ぶ健気な絆が、彼女にとっては『可愛い』。
それが、人間という弱い生き物が、必死に誰かとつながろうとした結果なら、なおさらだ。
だからこそ、人の平穏な暮らしを壊し、時には健気な絆すら踏みにじる悪を、キリエは決して許さない。
どんな事をしてでも、殺し尽くしたい。だって、嫌いだから。
「お姉さーん! コーヒー頼んでいいっすか!」
「やめろよ、恥ずかしいなぁ……!」
少年たちが、注文のため、キリエを呼んでいる。
「……今、行きますすね」
キリエは薄く微笑み、彼らへの愛情をにじませた。
注文を終えたあと、彼らは噂話をしていた。
「なあ、しってるか? 例の女の話」
「……なんだ、それ」
明るい少年が、クールな少年に語りかける。
「しらねぇのか? 今噂の、スケスケ女だよ」
「エロい話なら、黙れよ? ここをどこだと思ってる」
「いや、ちげぇよ! ユーレイみたいにスケスケの、殺人鬼だよ!」
初めて聞く情報に、キリエは聞き耳を立てた。
間違いなく、何かの妖怪の仕業なら、自分が殺さなくてはならない。
「スケスケ女はさ、壁をすり抜けたりしながら人を殺すんだよ……。腹から内臓をぶち抜かれた人もいるってよ」
「……くだらないなぁ。もし本当のことでも、僕は関わりたくない」
クールな少年は、本心を言ってるのだろう。善良な妖怪であっても、みんながみんな、悪い妖怪と命がけで戦おうなんて考えない。
「俺さ! 探しに行こうと思うんだよ! だって、『影に首を絞められた』って話もあるんだぜ!? なんだよそれ、気になるじゃん」
「……やめときな、死ぬぞ」
クールな少年は、底冷えするような低い声で、友人に忠告した。
明るい少年は、その気迫だけで押し黙ったが、キリエはさらに畳み掛けることにした。
「そうよ。この街にはね、悪い妖怪がいるの。……良い妖怪が、あなたの隣にいたとして、守れる力があるとは限らない」
目の笑ってない笑顔で、キリエは少年たちに圧をかけた。
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