第2話 お忍びの少女との邂逅

翌日も、俺は同じ木ベンチで昼をやり過ごしていた。

 今日も働く気はない。いや、今日も働く気がないように見せる日だ。


 広場の中央では、露店の親父たちが声を張り上げている。

 焼き肉の匂い、香草、油の匂い。

 混ざって、少し焦げて、それなりに賑やかな街の音。


 その全部を、俺は半分だけ聞いていた。

 残りの半分は、空気の下を流れる魔力の方に向いている。


(揺れは、昨日より少ないな)


 市壁の向こうから流れ込む魔力のざらつきは、一時的に落ち着いていた。

 応急処置をしたわけでもない。

 ただ“大元が呼吸を整えた”ような変化だ。


(まあ、今はいいか。問題は……)


「今日も、ここにいらしたんですね」


 声に顔を上げると、やっぱりいた。


 浅茶の外套の少女。

 昨日と同じ服装、同じ護衛。

 ただ、今日は少しだけ表情が柔らかい。


「……物好きな旅人さんだな。二日続けてこの街かよ」


「この街、見たいところが多くて。もう少しだけ、歩いてみようと思いました」


 相変わらず、言葉が丁寧すぎる。

 旅人にしては、だ。


 護衛が一歩下がった位置にいるのも同じ。

 どこから見ても“守る側”の動きだ。


「そのベンチ、お気に入りなんですね」


「怠惰を貫くには定位置がいるんだよ」


「……素敵な考え方とは言いにくいですが、少し羨ましいです」


 少女はそう言って、また俺の隣に腰掛けた。

 俺は肩をすくめる。


「今日も街の話、聞きたいのか?」


「はい。もし、お時間があるなら」


「見ての通り、俺は暇だけはある」


 そう答えると、少女は嬉しそうに目を細めた。

 護衛は、何も言わず少し離れたところで周囲を見張っている。


「そういえば、お名前をうかがっても?」


「アルトだよ。ラグリスの」


 敢えて姓も出しておく。

 この街では“怠惰な伯爵家三男”として十分に知られている。

 それを知っていて近づいてくるなら、それはそれでいい。


「ラグリス……あ。やっぱり、あの……」


「噂の通り、怠け者の三男坊だ」


「いえ、その……噂ほどではないと、私は思いますが」


「会って二日で判断されるのは心外だな」


「ふふ。でも、こうして昼間から広場で過ごしているのは本当ですし」


「そこは否定しない」


 会話の調子は軽い。

 俺は怠惰を、彼女は旅人を演じながら話す。


「あなたは?」


「え?」


「名前。名乗られないと、呼ぶとき困る」


「あ……そうですね。すみません、礼を欠いていました」


 少女は小さく咳払いして、わずかに姿勢を正した。


「わたくしは──リーゼと申します」


 明らかに、用意してきた偽名だ。

 声のわずかな硬さでわかる。


(本名を出す気はない、ってことか)


 王家の血筋であることは魔力の質でほぼ確信している。

 偽名も当然だろう。


「リーゼね。じゃあ、旅人のリーゼさん。何を知りたい?」


「そうですね……この街の人たちは、どんなことで困っているんでしょうか」


「旅の話題としては妙に具体的だな」


「市場で少し話を聞いたのですが、皆さん“まあ、なんとか”と笑ってしまって。『なんとか』の中身が、気になりまして」


 俺は少しだけ黙った。

 この質問は、ただの物見遊山では出てこない。


「税金は、重いですか?」


「平均よりちょっと重いくらいだな。

 去年の不作の穴埋めと、上からの“取り分”がかぶってる」


「やっぱり……」


「でも、空から金貨が降ってこない限り、どこかで誰かが我慢するしかない。

 この街は、たまたま“我慢する側”を引いた」


「それで、皆さん笑って『まあ、なんとか』と」


「泣いても減りはしないからな」


 リーゼは小さく唇を噛んだ。

 その表情は、昨日見たときよりも少しだけ色濃い。


「……あなたは、不公平だと思いませんか?」


「不公平なのは事実だろ。

 でも、世界はだいたい不公平だ。

 生まれ、才能、運、全部バラバラだ」


「それでも、放っておいていいものなんでしょうか」


「少なくとも、怠惰で有名な三男坊の仕事じゃないな」


 わざと突き放すように言う。

 リーゼは一瞬だけ傷ついたような顔をしたが、すぐに笑みに戻した。


「厳しいですね」


「事実だ」


「……でも、昨日、荷車を支えてくれましたよね?」


「あれは、転がってきたら俺が面倒だから」


「ふふ。そういうことにしておきます」


 面倒くさい。

 だが、嫌いではない。


 彼女は、話すたびに“現場の声”に重心を置こうとする。

 王城の中だけで育った人間が持つ、奇妙な真面目さだ。


「他には?」


「えっと……このあたりで、最近増えた“変なこと”ってありますか?」


「変なこと?」


「例えば、魔道具の暴走とか。魔物が近くまで来たとか。

 市場で少し聞いたのですが、『昔より多い気がする』と──」


 そこは、聞き逃せない単語だった。


「……誰から聞いた?」


「薬草屋さんと、古い道具屋さんから。

 『気のせいかもしれないけれど』と、皆さん濁していましたけれど」


「気のせいじゃねえよ」


 思わず本音がこぼれる。

 リーゼが驚いて俺を見る。


「やっぱり、何か……?」


「魔力事故。

 魔道具の暴発。

 街の外での魔獣の出現頻度。

 全部、少しずつ増えてる。

 数字で見ても、増加傾向だ」


「数字で……?」


「ごめん。今のは、ちょっと仕事の話だ」


 危ない。

 つい、魔導院の資料まで視界に浮かんでしまった。


「とにかく、最近のこの街は“少しだけ不安定”ってことだ。

 それが、上の誰かのせいなのか、世界そのものの揺れなのかは、まだ分からない」


「世界、そのものの揺れ……?」


「物理的な話じゃない。

 魔力の流れ、って意味だ」


 説明しすぎないように、言葉を切る。

 リーゼは真剣な目でこちらを見ていた。


「……この街の人たちが、明日を少しでも安心して迎えられるようにするには、どうしたらいいんでしょう」


「それを本気で考えるのは、王都の連中の仕事だ」


「あなたは、考えないんですか?」


「怠惰で有名な三男坊に、期待しすぎ」


「……本当にそうでしょうか」


 彼女の視線は、まっすぐで、少しだけ刺さる。

 俺は視線をそらし、広場の露店を見た。


 そのとき、ひときわ大きな声が響く。


「見ていってくれ! 便利な魔道具だよ! 火も水も思いのままだ!」


 新しく出店した魔道具屋だ。

 昨日よりも客が増えている。

 台の上に、術式の刻まれた金属片がいくつも並んでいる。


「魔道具……」


 リーゼが、そちらをじっと見た。


「気になるのか?」


「はい。街の人が、『あれは安くて便利だけど、少し怖い』と」


「怖い?」


「時々、勝手に動き出すことがある、と」


 俺の背中に、冷たい感覚が落ちた。


(……今日も、揺れている、か)


 広場の空気の下。

 あの店の周辺だけ、魔力の流れが不自然に渦を巻いている。

 術式の組み方が下手なのか、素材が悪いのか。

 もしくは、その両方だ。


「近くで見てみても、いいですか?」


「好きにすれば。俺はここから眺める」


「よかったら、一緒に……」


 リーゼが言いかけたところで、護衛が一歩前に出た。


「リーゼ様──失礼。……リーゼ殿、あまり人混みには」


「あ、はい。少しだけ」


 “様”が出かけた。

 護衛の口が慌てて“殿”に言い換える。

 小さなミスだが、十分すぎる情報だ。


(リーゼ“様”、ね)


 俺は何も聞かなかったふりをした。


「じゃあ、見物ついでに」


 立ち上がり、彼女の後ろからついていく。

 護衛は俺をちらりと見たが、何も言わない。

 怠惰で有名な三男坊は、脅威にならないと判断したのだろう。


 魔道具屋に近づくと、術式の匂いが濃くなった。

 金属、魔石、安価な触媒。

 どれも質は高くないが、一番の問題は“刻み方”だ。


(線が太すぎる。安定化の回路も、無駄に詰め込んでる。

 これ、外の揺れと共振したら──)


 最悪だ。

 今の大結界の微妙な揺れ方と組み合わさると、小さな爆発くらいは平気で起きる。


「お嬢さん、見ていってくれよ!

 この《炎灯の欠片》なら、誰でも簡単に火がつけられる!」


 店主が、リーゼに向かって一つの欠片を掲げた。

 彼女の護衛が一歩前に出て、すぐに制した。


「結構だ」


「まあまあ、見るだけタダでね。ほら、こいつは──」


「……アルトさん」


 リーゼが振り返って、俺を見た。

 迷っている目だ。


「こういうもの、危ないと思いますか?」


「使い方次第だな」


 即答しつつ、俺は欠片に流れる魔力を視る。

 内側の術式は、ぎりぎり“商品として売っていいかどうかの線”を踏み越えていた。


「ただ──」


「ただ?」


「雑に扱えば、怪我人は出る」


 俺は店主に向き直る。


「兄さん、こいつ、どこ製だ?」


「へ? ああ、王都の卸から仕入れててな。細けえことは気にすんな。ちゃんと試験通ってる品だ」


「王都の、どの卸だよ」


「なんだ兄ちゃん、うるせえな。買う気ねえなら邪魔しないでくれよ」


 舌打ちしたくなった。

 王都のどこかで、質の悪い術式が量産されている。


「リーゼ。買うなら、絶対に一つだけにしろ」


「買うんですか?」


「興味があるなら、な。

 ただし、人の多いところでは絶対に使うな」


「……わかりました」


 リーゼは小さく頷き、護衛を振り返った。


「一つだけ、買ってもいいでしょうか?」


「……殿下、ではなく、リーゼ殿。あまりおすすめできませんが」


「旅の思い出として、少しだけ」


 護衛はため息をつき、やがて折れた。

 銅貨数枚を支払い、欠片が布袋に入れられて渡される。


 その間も、俺は欠片から漏れる魔力の癖を記憶していく。

 同じ型の事故が起きたとき、すぐに対処できるように。


「アルトさん」


「なんだ」


「さっき、“世界そのものの揺れ”と言っていましたよね」


「言ったな」


「もしそれが、本当に世界の問題だったとして。

 一人の怠惰な伯爵家三男に、何ができると思いますか?」


 妙な聞き方だ。

 俺は少し考えてから、肩をすくめた。


「怠惰な三男は、基本的には何もしない」


「……」


「ただ、目の前で誰かが死にそうなら、少しくらいは動くかもしれないな」


「“少しくらい”で、誰かを救えるでしょうか」


「さあな。

 でも、何もしないよりは、マシだろ」


 リーゼは、少しだけ笑った。

 さっきよりも、ほんの少しだけ力の抜けた笑い方だ。


「アルトさんは、本当に怠惰なんですね」


「褒め言葉として受け取っておく」


「……また、明日もここに来ますか?」


「さあ。怠惰な人間の予定は風任せだ」


「風任せ、ですか。……では、風が味方してくれることを祈っておきますね」


 リーゼは布袋を大事そうに抱え、護衛と共に人混みの向こうへ消えていった。


 残ったのは、安物の術式の匂いと、

 胸の奥に残る、言葉にしづらい違和感だけだ。


(王家の血。お忍び視察。安物の魔道具。

 世界の揺れ方と、街の事故。

 ……全部、たまたまか?)


 たまたま、で済むなら楽だ。

 だが、たいていそういうときは、たまたまじゃない。


「……面倒ごとの匂いしかしねえな」


 俺は空を見上げた。

 雲は薄く、陽光は穏やかで、何もかも平和そうに見える。


 その下で、魔力の流れだけが、かすかに軋んでいた。


 それが、明日の市場で起きる“最初の事件”の前触れだと、

 この時の俺はまだ知らない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る