第1話 転生①

(ここは……どこ?)


 目を開けた瞬間、見慣れない天蓋と刺繍のカーテン。豪華な家具に、やたらと柔らかなシーツ。


 なにこれ。夢?

 いや、違う。現実感が強すぎる。


「リリアナ様! お目覚めになられたのですね!」

 見覚えのない女の子が、笑顔で駆け寄ってくる。


 えっ、誰? メイド?

 ていうか今、“リリアナ”って言わなかった?


 鏡を見た瞬間、息が詰まった。

 映っていたのは、金の髪に紫の瞳。絵に描いたみたいな美少女。


 見慣れない顔がこっちを見返してくる。完璧すぎて逆に怖い。


 待って、この顔、見覚えある。……どこかで、何度も見た。

 まさか、よりによって――


(うそでしょ、なんで“リリアナ”なの!? 最悪!)


──


 私は、九条静。

 高校三年生。卒業間近。

 進学も決まり、ようやく家という呪縛から解き放たれるはずだった。


 複雑な家庭環境で育った私の、最後の記憶は雨の日。

 視界を切り裂く車のライトに気づいた瞬間、すべてが途切れた。


 ……そして、目を開けたらこの世界にいた。


 乙女ゲーム『聖なる恋は運命の中に』。

 私はあの物語を何度も繰り返し遊んだ。学園、魔族との戦い。


 そして――聖女セレナ。


 清らかで、優しくて、光をまとった存在。

 彼女の笑顔を見るだけで、心が軽くなった。誰よりも幸せになってほしいと、本気で願った。


 ……なのに。


 よりによって私が転生したのは、彼女を破滅に導く悪役令嬢リリアナ・グランベール。


 どのルートでも、闇の魔力に呑まれ、ラスボスとして討たれる。

 救済は一切ない。物語の終わりと同時に、彼女の破滅も決まっている。


 いや、厳密に言えばリリアナが勝つルートもある。

 でもそれ、人類滅亡エンドだからね。そんな後味最悪の展開、まっぴらごめんだ。


 ……せめてモブとして生まれたかった。安全な場所から、ただセレナを見守るだけで良かったのに。


 最悪の立場を引き当てた現実に、皮肉な笑みすら浮かんだ。


──


 まずは、状況を整理しよう。

 泣くのも叫ぶのもその後だ。


 コン、コン。

 控えめなノック音が部屋に響いた。


 ああ、もう!  まだ考えもまとまってないのに。

 でも無視するわけにはいかないし。……仕方ない、貴族令嬢ってやつを演じるしかないか。


「……ど、どうぞ」


 扉が少し開き、怯えた顔の若い侍女がそろそろと姿を見せた。

 両手には銀盆。上には水差しとグラス。

 揺れる手元が危なっかしくて、こっちまでヒヤヒヤする。


(……あー、これ、絶対なんか起きるやつ)


「リ、リリアナ様!お飲み物をお持ちしようと……その……」


 声が裏返り、侍女の目が一瞬こちらを伺う。


「ありがとう。そこに置いて」


 そう言いかけた瞬間、侍女の手が滑った。

 銀盆が傾き、グラスが床に落ちる。


 ガシャンッ――!


 乾いた音が部屋に響き、白い破片が散った。


 ……あーあ、やっぱりやった。


「っ、ひぃっ! も、申し訳ありませんっ!!」


 侍女は悲鳴のような声を上げ、その場に膝をついた。

 目に涙を浮かべ、震える声で言葉を紡ぐ。


「ど、どうか……どうかお許しを! お叱りならば……」


 ……え? なんで謝罪のテンションが命懸けなの?


 その音を聞きつけたのか、廊下の向こうから足音が近づく。

 扉が勢いよく開き、黒い燕尾服に身を包んだ初老の男性が現れた。


 ……はい、典型的な執事スタイル。確定だわ。


「お嬢様、この騒ぎは! ……なんてことを!」


 床に散らばる破片を見て、執事は顔を覆った。慌てて侍女の前に立ちはだかり、震える声で続ける。


「どうかお許しを……この者はまだ新入りでして、決して悪意はございません!ここを追い出されたら行くあてもないのです、どうか、どうかお慈悲を!」


 追い出す? なにを言ってるの?


 二人の表情には、恐怖と絶望が混ざっていた。

 まるで、怒りの一言で人生が終わると信じているように。


 ……あぁ、そうだ。ゲームの中のリリアナは、使用人を泣かせるのが日常だったっけ。


 小さく息を吐き、割れたグラスの破片に視線を落とす。


 ……片付け、どうしよう。ていうかこれ、絶対高いものよね。もったいない。


 手を伸ばそうとして、ふと動きを止めた。胸の奥が、わずかに熱を帯びている。


 ……なに、これ?


 説明なんてなくても、わかる。この体なら魔力が使える。呼吸をするように、当たり前のことのように。


 意識を集中すると、体の奥からぞわりと力があふれ出す。光の粒が指先に集まり、破片がふわりと浮かんだ。

 ひとつ、またひとつと欠片が寄り添い、光に溶けて消えていく。


 本当に、できた……。

 ていうか、捨てる手間まで省けるとか、便利すぎない?


 だが同時に、指先を黒い霧のようなものが包み込む。


 ぞくり、と背筋が粟立った。その冷たい気配は、まるで底のない闇に触れたような、異質な感触。


(……これが、闇の魔力)


 ゲームで、リリアナが最後に振るった禁忌の力。魔族しか扱えない、世界を蝕む魔力。


 前世なら歓喜してたかもしれない。でも今は、ただ、怖い。


(間違いない。私は本当にリリアナなんだ……よりによってラスボスって何の罰ゲーム?)


「お、お嬢様……今のは!」

 執事の声が裏返る。

「破片がひとつ残らず、消えた!? しかも魔力の波動が、まるで呼吸のように安定しておられる!」

「こんな制御、私は見たこともございません!」


「片付いたから、もういいわ。大したことじゃないでしょう?」


 私がそう告げると、執事と侍女は同時に息を呑んだ。


 あれ? 今の、そんなに怖かった?


「お嬢様……なんとお優しい! このようなお言葉を賜るとは!」

 侍女も涙を拭いながら、震える声で続けた。

「本当に、ありがとうございます……!」


 二人は深々と頭を下げ、震える声で礼を述べながら下がっていく。

 扉が閉まると、静寂が戻った。


 はぁ……ほんと、先が思いやられる。まだ何もしていないのに、屋敷の全員から恐れられてるなんて。

 これからどうやって普通に暮らせばいいのやら。

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