ラントカルトの遺物
北上悠
プロローグ『混凝土みたいな空の下で』
西山千尋が最初に思ったことは、『私はなんて馬鹿なことをしたのだろうか』、ということだった。
道路に飛び出した見ず知らずの子供を助けるために道路に飛び出すような行為を、馬鹿と言わずしてなんと呼べばいいだろうか?
もっとも、『自分の頭の悪さは今に始まった事じゃないけど……』と、千尋はもう動かない表情筋の代わりに心の中で自嘲した。
トラックに撥ね飛ばされたであろう体に痛みはなく、かといって指の一本すら動かすことはできない。
なんて呆気なく、なんて救いのない最期だろうか。
――他者よりいい成績を、他者より優れた経歴を……誰が言い出したかも分からない通説を信じて、競い、妬み、蹴落としあうだけの人生。
誰のために、何のためにというのも分からぬままに、隣の席に座る級友を敵視する人生。
そんな世界を鬱陶しい、どうでもいいと言えるほどの才能が自分にあれば良かったのに……。
"才能があれば、君は生きられるのかい?"
少年とも少女ともつかない、頭の中に響く奇妙な声が、何処からともなく千尋に問いかけた。
問い返そうにも、千尋の口からは掠れた声一つ出ない。
"金銭に困らなければ、楽に生きられるのかい?"
そんなこと、千尋には分からない。
『よりよい未来のため』、そんな漠然として曖昧なもののために今まで惜しむことなく努力し続けてきた。
なのに千尋には、それが一体どんな未来なのかという問いに答えることができない。
声は尚も死にゆく千尋に問いかけ続ける。
"他者より恵まれていれば、幸福になれるのかな?"
やはり千尋にはそんなこと分からない。
だが分からなくても、一つだけ言えることがある。
『努力が実らず、才能が正しく評価されない世界なんて間違っている』
"なら逆に、努力が実って才能が正しく評価される世界なら、君は幸福に生きられるのかい?"
そんな世界があるなら見てみたいものだと、千尋は思った――瞬きする間もないほどほんの一瞬、されど一瞬……千尋はそう思ってしまった。
"なら行ってみるといい、僕達が君の新たな門出を祝福しよう!"
千尋にはこの声の主が何を言っているのか分からなかった。
千尋の体は今にも死にそうだというのに、門出もなにもあったものではない。
"君の旅路が有意義で、幸多きものであることを祈っているよ"
その声を合図にするように、千尋の目の前が霞んで、走馬灯を見る間もなく視界が闇に閉ざされていく。
千尋が最後に見たのは、コンクリートで作られたビルと、今にも雨が降り出しそうな灰色の雲で構成される無彩色の世界だった。
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