数
カエデ
書けなくなった小説家
ついに今日ペンを持てなくなった。
いや、この文字を書いているということは少なくとも今日はペンを持つことができているのだろう。
小説を書き始めて数十年。
たくさんのことを書いてきた。
思ったこと。考えたこと価値観。
そして私自身。
初めて小説を書いたの確かは大学生のときだ。
ただ何となく、ぼんやりと死ぬのが怖い、そう思った。私が死んだあとに私が生きた何かを残したいと思った。こんな人が居たのだとみんなに知ってもらいたいと思った。死んだあと私を覚えてくれる人がいればまだ死んでいないとそう思えるような気がした。
そうして何かないかと考えているうちに小説なら多くの人に私を知ってもらえると思いついた。
試しに少し書くと書きたいことが溢れてきた。
それから私は沢山のことを書いた。
初めはどれだけ書いても書き足りなかった。書きたいことが溢れて続けた。書きたいことが次から次へと浮かんで来る。書き続けずにはいられなかった。幸い当時の私には時間があった。だから気が済むまで書いて書いて書きまくった。そしてそれは社会人になっても変わらなかった。働き始めて時間は減ったがそれでも書いて書いてたくさん書いた。そんな日々を過ごしているうちに気づけば私は小説家になっていた。会社もやめて小説だけを書けるようになった。小説家になっても私は変わらず書きまくった。
そんな日々を続けていると私の書きたいことが少しずつ減っていった。無限だと思っていたのに少しずつ、そしてゆっくりと減っていたらしい。それでも生きていれば書きたいことは少しずつだが増えていく。
テレビ、散歩、会話そんな些細なことから書きたいことは浮かんでくる。
増えては減り、増えては減りを繰り返す。それでも増えるよりも早く私は私を書いていく。それを実感しながら書くのはとても辛かった。ひとつ書く度に書きたいことがひとつ減っていく。それが感覚で分かってしまう。それを実感しながら書くのはとても辛かった。無数にあったそれらは一体どこに行ってしまったのだろう。書く度に私の中が少しずつ空っぽになるような、そんな空虚感を覚えた。
それでも私は書き続けた。書いて書いて書いて書いた。書かないと私は死んでしまう。私という存在が忘れられてしまう。だから私は書き続けた。
それでも今日、私はついに書けなくなった。書きたいことが無くなった。私は私の全てをこの世界に書ききったということなのだろうか。
「0から1を生み出すことは難しい」
私は今、心からそれを実感している。
そして「無数の中から1を引き続ける」それがいかに簡単で幸せだったのかということも。
もっともっと私の存在を証明したい。生きた理由を残したい。文字を書きたい。それなのに私の中の空虚感がそれを許してはくれない。
空っぽになった私はゆっくりとそして少しずつ死んで行くのだろう。無数の投影された私自身に囲まれながら。
数 カエデ @kaede000108
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