第2話 正室の嘘

 天子は天帝の子。それゆえ、超常的な力——異能を持つ。

 反面、子ができにくい、ないしは生まれても十五の歳になるまでは死にやすいため、後宮を持つのが普通だった。


 それはどの家がこの帝国を支配しても変わらない。


 易姓革命えきせいかくめいといって天が帝国を支配する家をかえた途端、その家の当主とその親族には異能が宿り、子ができにくくなる。

 りく家が前王朝に反乱を起こして政権を取っても同じで、「りょう」と国号を替えた途端、亮の初代皇帝とその子供たちは異能を持ちはじめた。子はできにくくなった。
 


 今の女帝である華容かようも例外ではない。



 穏やかな春の日の午後。

 正式な夫であり後宮の管理者である皇配こうはい郭啓英かくけいえいを茶に呼び出した華容は、彼に微笑んだ。


「また、夫を迎えようと思うの。いい?」

「そう。ご随意に」


 啓英は静かに白茶を飲んだ。どこまでも優雅で上品な夫だ。国内で最も高貴と言われ、初代皇帝が警戒したという南方貴族の出。


「どこのお方?」


 啓英がそう聞くと、甘党の華容は皿に並べられた月餅げっぺいを口にした。


黎博林れいはくりんの息子。すすめられたの。宰相に」

「黎博林……? ああ」


 啓英は記憶を辿るかのように目を斜め上に向けた。


戸部尚書こぶしょうしょだね。黎家自体、科挙合格者をよく輩出してとても知に優れた家だと聞いているよ」

「そうよ」

「宰相らしい策だね」


 広大な土地を所有して国の中枢に食い込む名門貴族と難しい試験を合格して国の支えとなっている科挙官僚は対立している。華容の治世ではお互いがお互いを排斥し始め、一触即発の状態が続いている。

 宰相はそれを抑えるべく、科挙官僚派の先鋒である戸部尚書の子を女帝華容の後宮にあげるという調停策に打って出たのだ。


 華容は啓英の膝の上に腰を下ろし、あかい唇を少し尖らせて彼にしなだれかかった。


「それに、子どもたちは全員亡くなってしまったでしょう? 新しい夫を作って子を儲けろと」


 啓英は菓子が並べられている円卓に茶器を置いて笑んだ。華容の腰に手を回す。


「いくつくらいなの? 黎博林の息子は」

「二十一歳ですって」

「若いねえ」


 三十二歳になる啓英はしみじみ言った。


耀輝ようき殿や静澄せいちょう殿よりはるかに若いよね」


 彼は華容の他の夫の名前を何のためらいもなく口にした。

 華容は啓英の耳に囁く。


「しかもとんでもなく美青年らしいの」


 啓英は優雅に吹き出した。


「それが本音?」

「んふ」


 華容はその垂れ目を細める。啓英の肩に頭を乗せる。


「本当に男性が好きだね、貴女は。少しは管理する側の身にもなってほしいけれど」


 正室は失笑する。

 華容は彼に身を任せながら、微笑する。


「そうねえ。何でか好きなのよねえ……。もちろんあなたも大好きよ。今夜どう?」


 啓英は一瞬顔を固くして背けたあと、笑んだ。


「……それは光栄だね。夜伽をするのは久しぶりだから」

「……嫌?」

「何を言うの?」


 動揺しなくても、と華容は正室の嘘を見抜く。


「あら、失礼したわ。今夜行くわ」


 啓英が謝罪するように口付けてきた。華容は口付け返す。


 完璧な正室。優雅で上品な彼。国で最も高貴な貴族。政略結婚で迎えた夫。

 その彼、啓英は華容の初めての男性だ。もちろんそれまでに宦官によって男性との行為に怯えないように教育されてきた。だが処女を捧げたのは啓英。

 華容を高級な茶器でも扱うようにとても優しく抱いてくれる。

 結婚した当初は毎晩のようにお互いに溺れていた。


 だが、彼はいま、華容を愛してはいないと思う。


 夕方。

 午後の政務を終えて華容が私邸である龍明宮りゅうめいきゅうへと戻ると、同居している妹の泰成公主春玲たいせいこうしゅしゅんれいの室の灯りが消えているのが見えた。


 ──あら。春玲、もう寝たの?


 賢く博識な反面、真面目でどこか繊細な春玲は読書好きで、夜中まで読書をするのが普通。

 春玲は仲がよかった華容を避けるようになっているから、少し話してみようかと思った。

 部屋をそっとのぞきこむと、足を止めた。啓英がいた。

 春玲を後ろから抱き止めている。


「泰成公主様……」

「……啓英様」


 華容の瞳がそっと曇る。


「もうこれきりにして……。わたくしを愛さないで……」

「……それはできない」

「でも、あなたは主上の、……姉上の夫で……あ」


 啓英が春玲の唇を唇で塞いだ。深く濃厚な啓英の口付けに、真面目な春玲は脳髄が融けていることだろう。

 春玲の力が抜けているようだった。


「もうあなたを義理の妹として見ることは出来ない……。あなたもそうだろう?」


 啓英が震える声で春玲に訴えている。


「……っ」


 春玲はおずおずと頷いた。そして、二人は固く抱き合って口付けを何度も交わしながら、寝台へ雪崩込んでいった。


 華容は微笑み、その場から去った。やはりそうだったのね、と。



 昔から、春玲は啓英をよく目で追っていた。だが、真面目な彼女は慎んでいたし、おそらく悩んでもいただろう。義兄に恋して良いのかと。

 啓英は好色な妻に内心では愛想をつかして、真面目な春玲のほうに惹かれた。その結果、激しく愛し合い始めてしまった。


 その夜の啓英はおかしかった。

 彼は何故か添い寝するばかりで身体を許そうとしなかった。彼は春玲との逢瀬の余韻が残っていたのだろう。深窓の令息であるためか、一度に二人の女のことは考えられないらしい。


 深夜に目が覚めると、啓英はうつ伏せに寝ていた。夜着の襟が乱れていたので直そうとした。首筋に春玲のものと思しき慎ましやかな紅い花のような痕がつけられているのを見つけてしまった。華容は溜め息をついた。


 さすがに心がひび割れる。だが、何人もの男と関係を持っている華容が啓英を責めることは出来ない。

 なのでこういうふうに思うことにした。

 ──これでは子は難しいわね。


(やっぱり……啓英殿がこうなった以上、新しい夫を迎えるしかないわね……)

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