第2話 窓際教師の地味すぎる初仕事

目の前に聳え立つのは、白亜の巨塔と尖塔の森。

 空には防衛結界が七色に揺らめき、手入れの行き届いた芝生の上を、将来有望な若き才能たちが闊歩している。人類最高峰の教育機関、『アークライト魔法学園』。


(はぁ……。場違い感がすごい)


 俺は校門の前で、深く、深いため息をついた。


 今の俺の姿は、魔王軍四天王『模倣』のゼクスではない。

 髪には部分的に白髪の染料を塗りたくり、背筋を15度ほど前傾させ、視力には全く問題がないのに度の入っていない分厚い眼鏡をかけている。歩き方も、膝のバネを殺してペタペタと足音を鳴らす『疲れた中年歩行』を完全コピー済みだ。


(完璧だ……)


 ガラスに映る自分を見て、俺は心の中でガッツポーズをした。

 どこからどう見ても、人生に疲れ果てた、覇気のない万年平社員。オーラなど微塵も感じさせない、枯れ木のような佇まい。


 これは『潜入任務』だ。決して『都落ち』ではない……。


「……涙が出てきた」


 気を取り直して教頭室の扉をノックすると、中から神経質そうな声が響いた。


「入れ」


 ドアを開けると、そこには書類の山に埋もれた、銀縁眼鏡の痩身の男がいた。いかにも管理職といった風情で、俺の姿を値踏みするようにジロリと一瞥する。


「……君が、ギルドから派遣されてきた新しい臨時講師、ゼクス・グレイ君かね」

「は、はい……。本日からお世話になります」


 俺は練習してきた、事なかれ主義の無気力な口調で応じる。


「ふむ。推薦状には『実直で真面目な人柄』とあるが……。見たところ、随分と覇気がないようだねぇ」


(おいおい、初対面だぞ。隠す気ゼロかよ)


「いやはや、長旅で少々疲れが……」

「言い訳は結構。君の魔力量も測定させてもらったが、正直、我が校の生徒の平均にも満たない。華がない。あまりにも華がないよ、君は」


(……またそれかよ!)


 魔王に言われた文句を、まさか人間の管理職にまで言われるとは思わなかった。俺の人生、どこへ行っても「華がない」で片付けられる運命なのか?


「まあ、よろしい。君のような『典型的な窓際族』にも、やってもらわねばならん仕事はある」


(窓際族って言った! こいつ、堂々と言ったぞ!)


 俺は内心で叫んだが、顔は「はぁ、そうですか」と気の抜けた表情を崩さない。完璧な擬態だ。嬉しくもなんともないが。


「君に担当してもらうのは二つ。まずは『初等魔法史』。これなら座学だから、魔力がなくとも務まるだろう。そしてもう一つが……」


 教頭は忌々しげに一枚の書類を摘み上げ、俺の前に放った。


「『魔獣飼育係』だ」

「……はい?」

「聞こえなかったかね? 校舎裏にある魔獣小屋の管理だよ。主にスライムの餌やりと排泄物の処理。それが君のメインの仕事だ」


 ニヤリ、と教頭の口角が歪む。


 その瞬間、俺の脳裏に、あの忌々しい脳筋野郎――ヴォルカの高笑いがフラッシュバックした。


『精々、ガキのお守りでもしてな! テメェのような地味な男には、便所掃除がお似合いだぜ!』


(……予言者かよ、あの馬鹿は)


 便所掃除ではないが、実質、魔物のフンの始末だ。何も変わらん。


「い、いえ! 滅相もございません! 光栄であります! 喜んでお受けいたします!」


 俺は引きつった笑顔で即答した。プライド? そんなものは魔王城のゴミ箱に捨ててきた。


「そうか。なら話が早い。職員室へ案内しよう」



 職員室は、俺の想像以上にキラキラした空間だった。

 聖騎士団の団長かと思うほどに鎧が似合うイケメン剣術教官。理知的な眼鏡の奥から蠱惑的な視線を投げてくる美人魔法理論教諭。


(……なんだこのエリート集団は。魔王軍よりよっぽど顔面偏差値が高いぞ)


「紹介しよう、新任のゼクス・グレイ先生だ。主に雑務を担当してもらう」


 教頭の雑な紹介に、エリート教師たちは俺のヨレヨレのローブと覇気のない顔を一瞥すると、興味を失ったようにすぐに自分の仕事へと戻っていった。完璧な空気扱いだ。


「君の席はあそこだ。一番奥の、窓際のな」

「……どうも」


 案内された席は、埃をかぶった資料が山積みになった、物置のような一角だった。教頭は汚れた作業着と錆びた鍵束をデスクにドサリと置くと、嵐のように去っていった。

 残されたのは、煌びやかな輪に入れない冴えない中年男と、泥の匂いが染み付いた作業着だけ。


「……やってられるか」


 俺は作業着を掴み、職員室を出た。


 校舎裏へ向かう途中、すれ違う生徒たちが露骨に顔をしかめて道を空けていく。


「うわ、何あのオッサン。超くさくない?」

「用務員さんでしょ? ヤダ、こっち見ないでほしいんだけど」


 廊下の向こうから、取り巻きを引き連れた金髪の美少年が歩いてくる。豪奢なマントを翻し、歩くたびにキラキラとエフェクトが見えそうなほどの美形。事前情報にあった、公爵家の嫡男にして学園の首席、レオナルド・フォン・ローゼンバーグだ。


「レオ様! 今度の実技試験、また記録更新ですよね!?」

「当然だ。僕の魔法は常に完璧で、美しくなければならない」


 レオナルドは爽やかな笑顔を振りまきながら、俺の横を通り過ぎる。


 その瞬間、彼はチラリと俺を一瞥したが、その瞳に映ったのは「無」だった。道端の石ころを見るような、あるいは視界に入れる価値すらない汚物を見るような目。

 彼は一言も発することなく、俺の存在を無視して通り過ぎていった。香水の甘い香りが、俺の作業着の悪臭と混ざり合って鼻を突く。


(なるほどね。徹底してるじゃないか)


 俺は心の中で毒づき、校舎の裏手へと向かった。


 そして、目的地にたどり着いた俺は、目の前の光景に絶句していた。


「……嘘だろ?」


 そこにあったのは、小屋と呼ぶのもおこがましい、崩壊寸前のボロ家だった。屋根は半分抜け落ち、柵を乗り越えて脱走したスライムたちが溢れかえり、そこら中に粘液を撒き散らしている。地面はヘドロの沼と化していた。


「これ、管理ってレベルじゃねぇぞ……。廃棄物処理場だ」


 呆然と立ち尽くす俺の足元に、一匹のスライムが寄ってきて、新しい靴にべちゃりと粘液を擦り付けた。


「あ」


 俺の中で、何かがプチンと切れる音がした。

 魔王軍を追い出され、学園では窓際族扱い。挙げ句の果てに、こんなゴミ溜めの掃除係か……。

 俺は几帳面だ。0.001%の誤差すら許せない完璧主義者だ。そんな俺に、このカオスを見せつけるだと?


「……上等だ」


「おい、そこのゲル状生物ども」


 俺はドスの効いた声で呟いた。


「今からここを、学園で一番清潔な場所に変えてやる。貴様らの生態、粘液一滴に至るまで、全て解析し尽くしてやるからな……!」


 こうして、俺の学園生活初日は、泥と粘液と、歪んだ探究心にまみれて幕を開けたのだった。

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