影が囁く現実

結奈城 黎(ゆうなぎれい)

うわっ…俺の点数悪すぎ…?

劣等感という影が忍び寄ったら、一瞬にして身体は取り憑かれる。


高校二年生の12月。

現実に向き合う時が来た。


いや、現実に向き合うという表現は語弊があるかもしれない。


追いつかれたんだ、現実に。


今までずっと現実から逃げてきた。それで何とかなってきた。


人生のマラソンは独走状態でいつまでも続いていくのだと。


現実に追いつかれることも追い抜かれることもない。そんな幻想にすがっていた。


そんな幻想は昨日の今日で崩れ落ちるほどに脆いのに気づかずに。


「え…」


返された模試の点数は、想像よりずっと低かった。


校内順位は300人中231位。

今までA判定だった大学がC判定にまで下がっている。


辺りを見渡せば、みんな単語帳と参考書を片手にしていた。


なんでそんなに勉強してんだよ。


いつの間にそんなに勉強してたんだよ。


「ここの公式何?」「reliableの意味は?」「信頼できる、でしょ?」「この証明はこうやって解いて…」「ここは助動詞の推定だから…」


ざわざわとした喧噪が、いつもより一層耳障りだ。


焦燥感が抱き着いて、首筋をゆっくりと舐める。

冷たい感触が全身を撫でていった。


放課後、俺は走って家に帰った。


パソコンを開くと小説を書き始める。慣れ親しんだいつもの日課だ。


けれど、今日は上手く筆が進まなかった。


脳裏にクラスメイト達がこびりついて離れないからだ。


──お前、勉強しないの?


頭の中で、真っ黒な影が問いかけてくる。


黙ってろ。今、いいところなんだよ。

そんな抵抗すら、もうできなかった。


影は嗤いながら罵倒し続ける。


──こんなことを続けても頭は良くならない。


──小説で食っていくことなんてできない。


──他人の作品を読めば分かるだろ?自分の文章がどんなに拙いか。


──ほら、早くそのノーパソ閉じろよ。


うるさい。うるさいうるさいうるさい!


気がめいってしまいそうだ。


お前ら、俺より努力すんなよ。


俺に夢を見させてくれよ。


好きなこと続けることすら、俺には叶わねぇのかよ!!


思わず机の上の教科書をなぎ倒す。


床に落ちた教科書が散らばっていった。


……もう、いっそ大学いかなければ。


だが、その考えは打ち消される。


親は進学を望んでいる。学校のやつらも皆大学に行く。


大学に行かないでやりたいことなんてないし、働きたくもない。


八方ふさがりだ。


好きなことするだけじゃ生きていけない。


これが人生かよ。


小学生でも知ってるようなことを、壁にぶち当たって今更気づかされるとは。


思わず乾いた笑いが出る。


椅子に座ったままのけぞると、ぷかぷか宙を浮かぶその影に向き合った。


──ほら、早く勉強しろよ


俺は無視して、キーボードを打つ。


──何やってんだよ、早く、早く


影がそうせかすほどに、早く、強くパソコンに文字が刻まれていく。


──何をやってるんだ!


影が──いや、理性が遂に叫んだ。


今まで心のどこかで理解してたんだ。これじゃ俺は何者にもなれないって。


じゃあ、なってやるよ。何者かに。


──勉強しろよ。何者かになるのに、それが一番手っ取り早いだろうに


ああ、そうさ。その通りだ。ぐうの音も出ない正論だ。


──それなら!なぜ!


黙ってろ。

今度は、その言葉がすっと出てきた。


これは、現実逃避だ。一種の開き直りだ。


誤魔化したりなんてしない。それが事実だから。


じゃあ、俺はとことん現実逃避してやる。

誰よりも現実逃避して、夢を叶えてみせるよ。


もう後には戻れない。


後悔すんなよ、未来の俺。


そう思うと、俺はエンターキーを強く叩いた。

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