第2話

時刻はまだ夕刻。

夕日に照らされた開けた道を、イレニスとギルバートが馬に跨ぎ駆けていく。

作戦通り、副団長エディル率いる救出部隊は前方の二人から距離を取り、慎重に後を追っていた。


 モラドス伯の館は、耳を澄ませば小鳥の囀りしか聞こえないほど閑静で、まさに務めを終えた老齢の貴族がひっそりと暮らすに相応しい佇まいだった。しかし、館の入り口には槍を握り盾を構えた護衛兵の姿が二人。まるで来訪者を威圧するかのように、玄関前に無言で立ち尽くしている。

イレニスはその光景を見た瞬間、胸の奥にわずかなざらつきを覚えた。没落したと聞くモラドス伯にこれほどの護衛を雇う余裕があるとは思えない。

だが――もしかの噂が本当で、館の奥に“飼われた者”がいるのだとしたら。

想像したくもない光景が脳裏に浮かび、イレニスは手綱を握る手に力を込めた。


(今回もおそらくは……」)


 夕陽の赤が、イレニスの横顔を染める。

照らされた横顔と瞳の奥には、静かに燃える怒りの火が灯っていた。

館へ向かう二人の影は、夕暮れの道に長く伸びていった。


 モラドス伯の館に到着した二人は、静かに馬を降り、柵へと導いた。手綱を結びながら、イレニスは館を見上げる。玄関前には二名の護衛騎士が立ち、鋭い視線で来訪者を値踏みしていたが、その圧に怯むことなく、イレニスとギルバートはまっすぐ玄関へと歩みを進めた。


「何者だ?」


護衛の一人が低い声で槍を構え穂先をこちらへ突きつける。


「解放の灯火だ、定期巡回に来た。モラドス伯がエルフを飼っているか館内を調査させてもらう」


 イレニスの胸元の留め金には、灯火の象徴たる徽章が光を反射していた。解放の灯火を象徴する模様が刻まれており、それを指でつまみ護衛兵へ見せた。その瞬間静かに警戒態勢を取っていた彼らの肩が小さく跳ねたのをギルバートは見逃さなかった。


(どうやら"お察しの通り"のようですね……)

「……通れ。」


 護衛の二人が被っていた兜を深く被り、館の扉から離れた。イレニスとギルバートは一礼して館内へ侵入していく。館の扉をくぐると、そこには想像とは異なる光景が広がっていた。

古びた外観に反して、内部は磨き上げられた大理石の床が陽光を映し、壁には香油のような匂いを放つ花瓶が並べられていて、家隅々まで手入れが行き届き、どこにも乱れた様子はなかった。


「……随分、整っているようですね」

ギルバートが低く呟く。

「ああ、没落した貴族の館とは思えない。埃ひとつ見当たらん」


 イレニスは目を細め、壁に掛けられた絵画や飾り棚の金細工を順に見ていく。

どれも手入れが行き届いており、まるで“見せるための部屋”のようだった。

――エルフの気配は、ない。

それでも、静けさの底に何かが潜んでいるような、不穏な気配が空気をわずかに震わせていた。

イレニスは胸の奥に微かなざわつきを覚えながら、廊下の奥へと進む。

やがて二人は、多人数が食事をとるための広間にたどり着いた。

部屋の奥には調理場もあり、どの机も清潔に整えられている。

食器のひとつひとつが、かつての栄光を思わせる高価な品ばかりだった。


「これはこれは――“解放の灯火”の団長殿と参謀殿ではないか。」


 白い髭を蓄えた恰幅の良い男が、背後からゆっくりと歩み寄る。

タバコの紫煙がゆらりと揺れ、夕陽の光に淡く溶けた。

モラドス伯。その顔には貧しさの影すら見えず、むしろ余裕すら漂っている。

嫌な予感が、イレニスとギルバートの胸を掠めた。


「伯、突然のご訪問失礼いたします。近日この辺りで、エルフの姿を見かけたとの報告がありまして。」


イレニスが一礼する。しかしモラドス伯は窓の外に目を向け、煙を吐き出したまま応じた。


「物騒な話だね……静かに暮らしている私にとって、いい迷惑だよ。」

「ご不安にさせてしまったこと、お詫びいたします。ですが、これも我々の使命ですので。」

「使命、ねえ……ふん、わざわざご苦労な事だ。」


モラドス伯は口の端で笑い、二人の後をついて歩きはじめた。

彼は絵画の値段を自慢し、家具の細工を語り、まるで自分の富を見せつけるかのようだった。

煩わしさを覚えつつも、イレニスたちは聞き流しながら館の奥へそして、壁一面を本棚で覆った書庫へと辿り着いた。小さな図書館とも言えるほどの本の量に驚きつつも二人は本棚全てに目を凝らす。背後で伯がまた自慢話をし始めた、だがギルバートの目はある一点で止まった。

――一冊だけ不自然に並びの乱れた本


(他の本棚は全て巻数順に本が配列されていた……だけど此処は一巻と六巻が入れ替わっている……)


「伯、少しだけ本棚を触らせていただきますね。」


 ギルバートがそう言って本に手を伸ばした瞬間モラドス伯は自慢話の途中、まるで喉を掴まれたように声を失いギルバートの手首を強く握った。


「おい、待て!これは私の大切な本なんだ!汚い手で触れるな!」

「おや?なぜそんなに焦られているのですか?」

「焦っているわけではない!私の私物に触れるなと言ったんだ!今すぐ此処から出て行け!」

「伯、これは国が正式に要請をした正式な調査です。落ち着いてください。それに、悠々自適な生活をされていた貴方が本一冊ぐらいで取り乱すのはいささか不自然だと思いますが?」

「何だと!?この澄まし顔野郎め……!!」


モラドス伯は顔を赤くしてギルバートへ向けて拳を下ろそうとしたがその手首は背後からイレニスに強く掴まれ彼の方へ引き寄せられると瞬く間に羽交い締めの状態にされ、身動きが取れない状態になった。


イレニスは手足をばたつかせ暴れる伯を拘束しつつ、黙ってギルバートが本の入れ替えを行う様子を目視していた。彼は一巻と六巻が置かれていた場所を入れ替え本を巻数順に並び替えた。すると並べた本全てが青白く光り、本棚の前に魔法陣を描いた。その魔法陣から放たれた線状の光が書庫の床に四角形を描き発光するとそこに取っ手のついた扉が現れた。地下室へと続くであろうその扉からイレニスは視線を背け目を深く瞑った。


(この下に”彼ら”が……胸の奥が焼けるようだ……この男に与えるべき“報い”が、頭の中でいくつも浮かんでは消えてゆく……)


モラドス伯は必死に抵抗しながら喉の奥から大声を出し始めた。


「おい!誰かこいつらをつまみ出せ!報酬はたんまりやる!今すぐ此処へ来い!!」

「聞こえてないのか!?役立たずどもが!”私のモノ”以外は全てお前らにやるぞ!」


鎧が震える音が書庫へと迫りくる、この男の言う”報酬”とやらは護衛である彼らにとって一体どれ程の価値があるものだろうか。


「伯、ご協力ありがとう御会いました。」

「ああ、貴方の素性がよくわかった。感謝する……」


イレニスとギルバートの視線が合い、互いが頷く。次の瞬間イレニスは片腕でモラドス伯の背中を腕でどつきそのままギルバートの方へ突き飛ばされた。伯はそのままギルバートが受け止め再び羽交い締めの状態になる。迫り来る鎧の金属音は書庫の前で止まり、5人の護衛兵が到着した。その中の一人が槍の鋒を突きつけながら、剣を構えたイレニスに詰め寄る


「死にたくなければ、その老いぼれを開放しろ」

「……。」


イレニスは何も言わずに彼らへゆっくり、ゆっくりと詰め寄った。金色の前髪が彼の表情を隠し静かな怒りの気をその場に漂わせていた。


「聞こえなかったのか?忠告はしたぞ、それ以上近づくなら……」


 兵の警告を裂くように握った剣を一振りすると視界では捉えられないほどの速さで土色の何かが現れ護衛兵全員の四肢に張り付き拘束した。それは一見ただの泥のようであったが瞬時に硬直し棘の出っ張った岩へと変化した。その岩棘は兵たちの鎧と肉をを貫通し突き刺さった状態になり、もがけばもがくほど痛みを感じる仕組みになっていた。兵たちがたちまち悲鳴を上げ狭い廊下に倒れ互いの体をぶつけ、転げ回るがそれは自滅に等しい行為で、うごけばうごくほどもがけばもがくほど岩棘が彼らの肉を深く突き刺すのだった。男達の低い悲鳴が響く中で入れにすは”扉”へ歩みを進めた


「忠告は聞いた。」


 おびたたしい血で満ちた廊下と歯を食いしばり激痛に藻掻く兵たちの様子を見てとうとうモラドス伯も堪忍したのか、顔を青くして黙り込んだ。


「ギル、此処は頼む。俺が行ってくる。」

「わかりました。団長」


血の匂いが充満する廊下の先にある書庫に現れた扉、そこについた取手をイレニスは掴み、持ち上げた。

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解放の灯火 @kokorororo

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