願う桐
高橋玲
1. 完璧主義者
完璧な人間なんていない……というのがこの俺、
勉強ができても運動はできず、運動ができても容姿は兼ね備えず。文武両道、才色兼備でも性格にどこか歪みがある。ましてやこのご時世、値踏みされるポイントは余りにも多い。絵を描き曲を作り、かと思えば自ら歌って踊り、挙げ句の果てには指先一つで商品を売る。インフルエンザとインフルエンサーの区別もつかない人間だらけの現代で、『完璧』や『万能』といった言葉は重箱の隅をつつきたがる輩の餌でしかない。
人は誰しも完璧を望むが、完璧な人間を望んでいるわけではない。誰かに対して「あの人は完璧だね」などと言えば当て擦りが見え透いているし、むしろ完璧な人間に欠点が見つかることが当たり前とさえ思われている。私だけがあの人の弱さを分かってあげられるのだと、自らを特別扱いするための口実に過ぎない。
長々と持論を述べたが、俺は決して自分が完璧になれなかったことを気にしているわけではない。勉強だけは取り繕って進学校に入ったことを慰めにしてなんていない。そんなことはあり得ないのだ、絶対に!
「いやめちゃくちゃ気にしてるし」
目の前に座る女、
「気にしてない」
「そこ見栄張る必要ある?」
「見栄とはなんだ。俺は持論を述べただけであってだな」
「はいはい、そうだね。羽柴くんが完璧だったら今頃は部員も見つかってるかもねー」
「お前……」
空返事のくせに佐藤は痛いところを突いてくる。ガラクタの転がる殺風景な部室には俺と佐藤の二人だけ、いや正確に言えばこの部活には俺と佐藤の二人しかいない。
歴史研究会、これが俺たちの所属する部活で。
二週間、それが廃部までのタイムリミットだ。
「そもそも部員の募集を俺たちに丸投げするなよ。去年の時点で三年生しかいないって分かってたんだから、先に手を打っとけって話だ」
「先生たちも忙しいからねえ。羽柴くんならなんとかしてくれるって思ったんだよ」
「その割には頼み方が雑だったけどな」
二年の春、つまり先月。俺は歴史研究会を担任に託された。よっぽど俺が暇そうに見えたんだろう。
特に歴史が好きなわけじゃなかったが、俺は引き受けることにした。家に帰るまで時間を潰す場所ができるからだ。毎日ファミレスやカフェに通うのは金がかかるし、それに部員がいないなら煩わしい人間関係に混ざる必要も無い。
このまま卒業まで悠々自適……とはいかなかった。入部して早々、任から五月末までに部員を集めなきゃ廃部だと告げられたのだ。
先に言えよと頭を抱える俺に声を掛けてきたのが、さっきから目の前で卵焼きをもぐもぐしている佐藤だった。同じクラスの隣の席、同じ中学の別のクラス。距離感は曖昧で、声を掛けてきた理由も「なんとなく?」と曖昧だった佐藤を入部させて、そして今に至る。
「やっぱり適当に数合わせした方がいいと思うけど」
その佐藤が俺の煎れたお茶に口を付けながら言った。
「それだけは嫌だ。〝王子〟に見つかってみろ、ここなんてすぐ奴らの溜まり場にされちまうぞ。その時には俺はお払い箱だ」
「うーん、あたしも追い出されるのは嫌だなあ」
「むしろ佐藤は……」
口にしようとして止めた。悍ましい妄想が浮かんできたからだ。
佐藤は世間の男どもの目を惹く容姿をしている。焦茶のショートボブにぱっちり猫目、自然と笑みのできる口元。人当たりも良く、男女問わず好かれるタイプだ。追い出されるどころか〝王子〟なら自分の手元に……そのまま部室で……いやダメだ何を考えているんだ俺は。
「あたしがどうしたの?」
「なんでもない。と、とにかく、ちゃんと歴研の活動をしてくれる奴をあと三人探すんだよ」
「そんなこと言われてもねえ」
佐藤は呑気に弁当のおかずをぱくぱくと口に運んでいく。もう少し危機感を持って欲しいんだが、無策な俺が突っ込むのは気が引けた。
大人しく惣菜パンを頬張って沈黙をつないでいると、
「あ、いるかも」
と佐藤が唐突に箸を止めた。
「いるって何が」
「羽柴くんの言うすごい人。こっちに来るって噂になってた」
「待てまて、もっと具体的に教えてくれ」
佐藤のふわっとした話について行けず、俺は昼飯の手を止めた。
「そのすごい人ってのは誰で、こっちに来たってのはなんだ? 部員の話か?」
「えーっと、つまりね」
続く佐藤の説明もふわふわだったが要点をかいつまむとこうだ。海外の名門進学校から転校生がやってくる。その転校生は親の事情によりこっちに戻ってきた日本人で、どこぞの名家のお嬢様らしい。
「タチバナさんだったかな? すっごく頭が良くて、おまけにめちゃくちゃ美人なんだってさ」
「よく容姿のことまで知ってるな。会ったことがあるのか?」
「んーん。保健の先生が教えてくれたの」
「……情報漏洩じゃないのかそれ」
「あー……ごめん! やっぱ先生には聞いてなかったかも」
「別にどっちでもいいけどな。最近は海外の高校に行く奴も増えてるし、言葉さえなんとかなれば点数だって取れるだろ。でもそういう奴に限って運動音痴だったりするもんだ」
「そうかなあ?」
「そうだぞ。勉強ができても運動はできず、運動はできても」「あ、もうこんな時間」
俺の弁舌の途中で佐藤は弁当を片付け始めた。時計を見ると、もうすぐ昼休みが終わりそうな時間になっていた。
「ほら羽柴くんも早くはやく。何ぼーっとしてるのさ」
「むが、まへっへ」
ぱぱっと片付け終えた佐藤に続き、俺も残っていた惣菜パンを口に突っ込みながら部室を出た。
歴研のある部室棟から教室棟までの廊下には忙しなく制服姿が行き交っていて、自分が二年生になったことを実感する。廊下は走るなよ新入生諸君、少しぐらい授業に遅れたって落第なんてしないぜ。
「羽柴くん遅刻! ダッシュ!」
……うちの部員も新入生だったかな?
エネルギーを充填したメカのようにたったか小走りの佐藤を仕方なく追いかける。すれ違う先生に白い目で見られ、女子生徒には生暖かい目で見られ、なんとも居た堪れない気持ちになってくるのに、前を往く御仁は俺のことを全く気にしていないようだ。
ままよままよと付き従い、エントランスホールまで来たところで脇腹が痛み始めた。
「待てって佐藤。ゆっくり行っても間に合うだろ」
「およ、ごめんごめん」
俺の声にようやく佐藤は立ち止まった。
エントランスホールは昇降口と教室棟を繋ぎ、上階とも合流する学校の結節点になっている。小さめの体育館ほどの広さに吹き抜け仕様と、普通の高校にしては開放的な造りだが、生徒の往来も多く急いでいれば誰かにぶつかる危険は大いにある。佐藤なら間を縫って進めても、アジリティ皆無の俺は派手にタックルをかまして土下座コースまっしぐらだ。
「いやー、なんかごはん食べたら動きたくなっちゃって」
「子どもじゃねえんだぞ。大体お前――」
リン、と俺の声を遮って、鈴のような音が聞こえたのはその時だった。
その音は周囲のざわめきの中にあって、やけに大きかった。
いや、逆だ。その音がした瞬間、周囲のざわめきがピタッと聞こえなくなったんだ。
「あ、あの人」
隣にいる佐藤の声だけは聞き取ることができた。俺はつられて佐藤の視線の先に目を向けた。二階から下りてくる集団の、その中心にいる女へ。
図ったように天窓からの光がその女を照らした。周りの連中との明暗がくっきりと分かれて、今が真っ昼間だということを忘れちまいそうになるほどに。
煌めきに揺れる黒い髪、見る者全てを魅了するような美貌と優雅な立ち振る舞い。高貴な人間だけが纏う特別なオーラ。
その女が急にこっちを見た。その凛々しい眼からは自信と慈しみと繊細さと、よく分からないがとにかく様々な要素を兼ね備えていると、目が合った数秒で理解させられてしまった。
心臓の鼓動が高まって胸が熱くなってくる。ぐらぐらと地面が、俺の足元が揺れる。
「ほわぁ、すっごい綺麗……」
通り過ぎていくその女に佐藤が感嘆を漏らしている。
「あれがタチバナさんじゃない? うん、絶対そうだよ」
佐藤がその名前を口にする。でも、そんなことは一目見た時から分かっていて。
「羽柴くん?」
頭の中で一つの単語が、俺が否定しなければならない言葉がぐるぐると回っていて。
「認めん……認めんぞ。俺は絶対に認めんからな!」
「え、どしたの急に?」
その女を完璧な人間だと認めないために、俺は虚しい対抗策を必死で考えていた。
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