課金戦争 〜スマホゲームを愛する女刑事 城ヶ崎玲子の事件簿〜

影山さくら

第一章 居場所を奪わないで下さい

第1話 スマホゲームを愛する女刑事

『快勝!』


 スマートフォンの画面に現れた文字を見て、絶叫したくなった。歓喜の叫びが口から飛び出す前に、今いる場所を思い出した。


 警視庁の女子トイレ。あらゆる意味で叫び声を上げないほうが良い場所だ。

 生理現象のためではなく、隠れてスマホゲームをするために、女子トイレにやって来た。


 趣味に捧げる資金を増やすために、猛勉強を重ねて巡査部長になった。だが、推しの俳優に捧げる金が増えても、捧げる時間がない。二十四歳の私――じょうさきれいは、トイレ休憩中にスマホゲーム《英雄の逆襲》をプレイして、ストレス発散をしていた。


 腕時計を見ると、トイレ休憩に入ってから、十分が経過していた。情報が渦巻く戦場に戻る時間だ。

 溜息を漏らしながら、《英雄の逆襲》のアプリを閉じ、便座の上から立ち上がった。女子トイレに別れを告げると、刑事部捜査支援分析センター――情報を武器に戦う刑事たちの根城に戻った。


 ドアを開けると、痛いほどの視線を浴びた。

 自席に戻ると、同期の植村健司が、爽やかに笑っていた。いかにも好青年に見える植村の口から、毒が吐き出された。


「城ケ崎玲子巡査部長、余裕で犯行を行える休憩時間の長さでしたね」


 態々わざわざ、階級を付けて、敬語で話された言葉を吟味した。意味が分からない。

 私は植村を睨み付けた。慇懃な口調で植村に言葉を返した。


「植村健司巡査部長、意味の分かる言葉で話して下さい。貴方の発言は報連相ほうれんそうの要件を満たしていません」


「城ケ崎が割り出した振込口座が、城ケ崎が大好きなスマホゲーム《英雄の逆襲》の全世界チャットで公開されたんだよ。振込口座の凍結と投資詐欺集団の資金移動。どちらが早いかな? 今、SNSが大いに盛り上がって警察として困っているよ」


 植村の言葉が脳に浸透すると、大きく息を飲んだ。


 捜査二課からの依頼で、投資詐欺集団である《ビルド・アップ・マネー》の振込口座を短時間で私が探し当てた。被疑者を連行してから、振込口座の資金が移動されるまで、時間との争いだった。十五分前まで、今居る空間は歓喜に沸き立っていた。


 スマートフォンを取り出し、《英雄の逆襲》の全世界チャットを開いた。

 五分前の六時二十五分に、「リーダー」と名乗る人物が、爆弾を落としていた。


『俺たちの課金は、《ビルド・アップ・マネー》に流れている。《ビルド・アップ・マネー》の口座番号は「GB82-WEST-0517-5407-3249-31」だ』


「リーダー」――無課金で粘っている私ですら知っている。無敗の課金王だ。


「どうやって釈明するつもりだ? 刑事が捜査中の情報を全世界に公開するなんて、釈明の余地はないぞ」


「いい加減にしろ。言い争っている時間が、勿体ない」


 山内大吾係長の声が割り込んだ。山内係長は胃を押さえながらも、笑みを浮かべていた。


「……山内係長も、私を疑っているんですか」


「優秀な部下を疑うはずがないだろう? 勿論、信じている」


 山内係長は柔和な笑みを浮かべたままだった。だが、顔の筋肉が、僅かに強張っていた。

 私は喉の奥が詰まった。山内係長の顔が、一瞬でも私を疑ったと語っている。


 一瞬にして、胸中で炎が燃え滾った。私は大きく息を吸い込むと、言葉を叩き付けた。


「愛する《英雄の逆襲》の全世界チャットに、私が情報漏洩する訳がないでしょう!」


 山内係長の顔から、完全に笑みが消えた。

 荒くなった息を整えながら、山内係長を睨み付けた。


 私を信用しない人物との対話など、今は時間の無駄だ。実力で叩きのめす。

 自席に座り、姿勢を正した。《Ⅹ》を自分のパソコン上に表示した。


 現時点では、「リーダー」が犯罪関係者か、分からない。システムの使用対象は犯罪関係者に限定されている。残る道は一つだ。

 一般市民と同じ方法で情報を解析する。公開情報のみを使用して、「リーダー」を見つけ出す。


 私の周りに空気の壁が現れた。空気の壁が厚くなっていく。植村の声が遠ざかっていった。空気で覆われた私の空間には、私とパソコンのみが、存在した。


 まず、SNS上での被害状況を確認しよう。


《Ⅹ》の検索欄に「#英雄の逆襲」と入力した。

 検索結果がパソコン画面上に広がった。本名と顔を隠した人間たちが、囃し立てていた。


『リーダーって名乗っているなんて、痛いよね。自己顕示欲、強そう』


『リーダーの戦力、無駄に高くない? 自爆しているし、笑える』


『リーダーって、Ⅹをやっているかな。特定しようぜ』


 新しい罵詈雑言が増え続けている。パソコン画面をスクロールする指が間に合わない。


 既に一般市民が「リーダー」のアカウントの特定に走り出している。誹謗中傷も溢れ続けている。

「リーダー」のメンタルの強度は、分からない。平然としている可能性もあれば、今頃、取り乱している可能性もある。


「リーダー」の精神状態によっては、《Ⅹ》上にアカウントを持っていたとしても、アカウントを抹殺する可能性がある。フォロワー以外が投稿内容を閲覧できないように、アカウントに"鍵"を掛ける可能性もある。


 時間との勝負だ。大きく目を見開いた。


 再び投稿に目を通し始めると、眉をひそめた。


『私も《英雄の逆襲》のプレイ中に、《ビルド・アップ・マネー》の噂を聞いたことがある。信じなくて良かった』


『《英雄の逆襲》内で流行はやっているよね?』


『《ビルド・アップ・マネー》に百万円以上、注ぎ込んじゃった。どうしよう?』


『警察に相談したら?』


『弁護士でしょ』


『リーダーは、俺たちの救世主だ。リーダー、ありがとう!』


《英雄の逆襲》内で、《ビルド・アップ・マネー》の投資詐欺が横行していた?


「リーダー」は、被害者を救おうとしている英雄なのだろうか。仲間を騙した犯罪関係者なのだろうか。


 今、本名も顔も知らない「リーダー」との戦いが始まった。

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