第一章:溢れ出したコップ
「……バッファオーバーフローか。古典的だが、凶悪だな」
三宮涼(さんのみや りょう)は、CyberSpaceの危機管理室でログを解析していた。
28歳、セキュリティ研究者。
洋子とは、以前のセキュリティセミナーで知り合った仲だ。その時、熱心に質問をする彼女の真摯な姿に、涼は密かに好感を抱いていた。今回の緊急事態に、洋子が個人的に連絡をくれたことが、涼には嬉しくもあり、同時に心配でもあった。
「バッファオーバーフローって、メモリが溢れるってこと?」
洋子が尋ねる。彼女の顔色は蒼白だ。
「ああ。コップに水を注ぎ続けると、いつか溢れるだろ? プログラムも同じだ。用意された『バッファ(メモリ領域)』よりも大きなデータを無理やり流し込むと、溢れたデータが隣の領域を侵食する」
涼はホワイトボードに図を描いた。
「今回の標的は、MicrosoftのWebサーバーソフト『IIS』だ。攻撃者は、通常のHTTPリクエストに見せかけて、約3600バイトもの巨大なデータを送りつけている。サーバーはそれを受け止めきれず、メモリが溢れる」
「溢れるとどうなるの?」
「溢れたデータの中に、攻撃者の『命令(シェルコード)』が含まれているんだ。メモリ上の『次に実行する命令のアドレス』を、そのシェルコードの場所に書き換えてしまう。つまり、サーバーの脳を乗っ取るんだ」
涼はモニターを指差した。
「乗っ取られたサーバーは、ゾンビとなって次の獲物を探す。ランダムなIPアドレスに同じ攻撃を仕掛ける。1人が2人に、2人が4人に……。ネズミ算式に感染者は増え、インターネット全体を埋め尽くす」
「どうすれば止められるの?」
「パッチ(修正プログラム)はすでに出ている。だが、皮肉なことに、感染したサーバーが吐き出す大量のスキャン通信のせいで、回線が詰まってパッチがダウンロードできないんだ」
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