終章「ノイズ・アリア」

静寂が戻った。


ドローンは床に転がり、火花を散らすだけの金属片となっている。


シアは、震える身体を支えながらゆっくりと顔を上げた。

視界からARのアイコンは完全に消えていた。


世界は薄暗く、汚れている。

でも、その色は鮮烈で――生々しい。


シアは這うようにしてレンに近づき、血に濡れた彼の頬に触れた。

温かい。

鉄の匂いがした。


――これが痛み。

――これが生きている味。


胸の奥で何かが砕けた。

そして、新しい何かが生まれた。


「……レン」


掠れた息の混じる声で、たった一つだけ、彼女は名前を呼んだ。

それは正しい発音でも、美しい響きでもなかった。

でも、確かに「声」だった。


シアはまだ、都市の中枢システムと繋がっている。

明日の朝、自我を消されるはずだった接続パス。


その繋がりを――逆流させた。


レンから受け取った「ノイズ」。

彼の叫びの残響。

それを核に、彼女の能力のすべてを「増幅」と「拡散」に振り向ける。


「聞いて……都市(みんな)」


喉を震わせる。

痛い。

でも、止めない。


彼女は歌った。


それは賛美歌でも、旋律でもなかった。

軋み、歪み、叫び、泣き叫ぶような――反逆のアリアだった。


地下室から響き渡った歌声は通信網に流れ込み、瞬く間に都市全体へ広がった。


地上の人々が立ち止まる。

頭上の感情アイコンがノイズに侵食され、ひび割れ、砕け散る。


都市は初めて――「産声」を上げた。


シアは歌い切ると、力尽きたようにレンの横に倒れ込んだ。

瓦礫と埃、血の匂い。それらすべてが、初めて「美しい」と感じられた。


レンはぼんやりとした意識の中で、隣に伸ばされたシアの手を握り返した。


彼女の手もまた、彼の血で赤く染まっていた。


言葉はもうない。

都市の光は砕けた。

荒い呼吸の音と2つの心臓の鼓動が、新たなノイズと共に空気を揺らしていた。

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ノイズ・アリア 和よらぎ ゆらね @yurayurane

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