「修行」

「修行」

　建物に入る。服を脱ぐように言われる。

オレンジと白のストライプ。ワンピース風の服。着替える。

待合室。雜誌が並ぶ。オルゴール風の音楽が鳴る。

　呼ばれた。黒い画面に白い線。中央に、かすかに動く白い楕円。心拍だという。

新たな修行が始まった。

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　ソファに横になる。食欲はない。断続的に訪れる吐き気。ビニール袋を敷いた小さなゴミ箱を、持って歩く。口から吐く胃液。前の修行よりきつい。

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　病院のベッドの上。腰が壊れる。内側から骨盤がこじ開けられる。５分おきの激痛。本を読んで練習した呼吸法。くその役にも立たない。

右側に向き、ベッドの横の鉄柵を両手で掴む。

死刑囚が覗く独房の鉄格子は、こんな感じか。鉄柵を握る。

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　本番の台に歩いて移る。腹の中で風船が割れた。下半身に、生あたたかい液体が流れた。破水。想定外。酸素マスクをつける。とにかく、いきんで出す。濡れた頭。続いて体。足。泣き声は元気。

　初めて産んだ我が子。ガラス窓の向こうに陳列された。ひときわ細い。１人だけ、毛糸の帽子をかぶる。臍帯が細く、栄養が十分にいかなかったという。

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　病棟の個室。母乳を与える。毎日、体重の測定。増えない。粉ミルクを加えたい、と伝えた。家族から、アレルギーが心配だと却下。

カフェインはとれない。ポットの湯でハーブティーを大量に作る。母乳として出す。

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　毎日、個室に医師が来る。我が子の心音を聴く時間が、日に日に長くなった。

　退院の前日。夫婦で呼ばれた。診察室の奥の部屋。心臓に疾病がある可能性が高いという。

　退院と同時に、小児循環器内科がある別の病院に、車で向かった。

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　広い病院の廊下。チャイルドシートから取り外したいすで、我が子を運ぶ。すれ違う人が見る。その小ささに、驚きの目。眠っている間に心臓エコー。心室と心室を隔てる壁に穴あり。１歳６ヶ月まで、２ヶ月に１度の経過観察。穴がふさがらなければ、手術の検討も。

　虫歯、重篤な風邪にかからぬよう、注意を受ける。

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　自宅での育児。レンタルした体重計で測る。１日数回、記録する。増えない。焦る。母乳を与える。排泄。また減る。母乳を与える。

　夜。我が子は息をしているか。ベビーベッドに近づく。小さな鼻に、指を近づける。わずかに上下するベビー布団。傍らの敷布団に戻る。気配に耳を傾ける。

　ある夜、右耳が聞こえなくなった。翌日の昼。聞こえた。安心した。

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　健康な成長のために、日光浴を。ベビーカーに我が子を乗せて、近くの公園に向かう。寝不足の頭。信号の判断を間違えないように、細心の注意を。

　きまって歩道をふさぐ、近所の専門学校の生徒たち。頭を下げながら、ベビーカーで通る。舌打ちしながら、よける彼ら。耳に残る舌打ち。

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　おむつをきらした。ドラッグストアに行く。ベビーカーも一緒に。

帰る。おむつを替える。SSサイズでも、足の周りがふさがらない。苦しい。

母乳を与える。数字は増えない。

　日光浴。頭を下げる。舌打ち。

　翌日。食品の買い出し。ベビーカー。頭を下げる。舌打ち。

耳のすぐ近くで聞こえる、舌打ち。

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　夫が平日いる。夜勤明けだ。ベビーベッドに眠る我が子を託した。

ベビーカーを玄関から出す。広げる。車輪のストッパーをはずす。家を出る。

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　歩道をふさぐ彼ら。３人。オス。１０代か。７メートルほど先。

真ん中に、舌打ちが得意な金髪。ベビーカーで突っ込む。ひざの裏にあてる。

前のめりに転んだ。背中に馬乗りになる。目の前にある、金髪の下のうなじ。

　自分のカーゴパンツの右ポケットに、手を入れた。取り出す。

前に乗り切った修行で、体の一部のように手に馴染むそれ。２つ折り。広げた。

　　おまえ、だれから産まれた？　

　　おまえ、なにに、なる？

　彼は理容専門学校の生徒。私もそこで修行した。陽に光る美しい刃。

うなじに近づける。教わった顔剃りを、今するつもりはない。

（了）