第33話 地下スパの新メニュー「闇の儀式」
「いらっしゃいませぇ~! 本日は特別なお客様だけにご案内する、新メニューのご紹介でございますぅ~!」
地下スパ『ロイヤル・スライム・スパ』のVIPルームに、私の猫なで声が響き渡る。
目の前に座っているのは、この国の裏と表を支配する……もとい、当店の最重要顧客(ビッグ・フィッシュ)であるお二人だ。
一人は、王立学園最強の寮監にして、地下帝国の共同経営者、マーサ・ヴァン・ダイン先生(会員番号1号)。
もう一人は、素顔を晒したことで学園中の話題をさらっている「鉄仮面」改め「美の女神」、近衛騎士団長ベアトリクス・ガードナー様(会員番号2号)。
「新メニュー、だと?」
ベアトリクス様が、興味深そうに身を乗り出した。
先日、私の施術と「生体金属(スライム)」による聖剣修復のおかげで、彼女の表情は以前よりも晴れやかだ。だが、長年の戦いで蓄積した体の芯の疲れまでは、まだ完全には抜けきっていないように見える。
「はいっ! その名も――『深淵のデトックス・コース』! 昨夜、私が命がけで仕入れてきた……あ、いえ、独自のルートで入手した『奇跡の泥』を使用した、究極の浄化プランでございます!」
私はワゴンに乗せた銀のトレイを、もったいぶって恭しく掲げた。
その上には、クリスタルガラスのボウルにたっぷりと盛られた、艶やかな漆黒のペーストが鎮座している。
『深淵の泥(アビス・マッド)』。
その正体は、私が昨日、旧・錬金術研究塔で退治した「合成魔獣(ヘドロ)」の成れの果てであり、ぷるんちゃんが体内で毒素を濾過しきった排泄……いや、抽出物だ。
原価ゼロ(私の労働力プライスレス)。しかし、その効果は国宝級(SSSランク)。
「……黒いな」
ベアトリクス様がゴクリと喉を鳴らした。
その黒さは、ただの色ではない。光すら吸い込むような、底知れぬ闇の色。
普通なら「呪いのアイテム」にしか見えないが、今の彼女たちの目には、それが「美へのパスポート」に見えているはずだ。
「ええ、黒いですとも。これはあらゆる穢れを吸い尽くす『虚無の色』。お客様の毛穴の奥の汚れから、古傷の痛み、日々のストレス、さらには過去のトラウマまで、根こそぎ吸着して無に帰すのです」
「……トラウマまで?」
「気分の問題ですが、スッキリしますよぉ~」
私は営業スマイルを張り付け、ゴム手袋を装着した。
「さあ、まずは毒素の溜まっている箇所に塗布させていただきます。少しひんやりとしますが、すぐに『魂が吸われるような』感覚になりますので、ご安心ください」
「魂が吸われるのは安心できない気がするが……まあいい。アリア、其方を信じよう。私の全てを委ねる」
ベアトリクス様が覚悟を決めたように目を閉じ、ガウンを寛げた。
その鍛え上げられた背中には、数多の戦場を潜り抜けてきた古傷が白く残っている。
「では、失礼いたしますぅ~」
私はヘラでたっぷりと泥をすくい、騎士団長の背中に塗りつけた。
ペタリ。
ヌルリ。
「っ……!?」
ベアトリクス様の体がビクンと跳ねた。
「な、なんだこれは……! 冷たいのに、熱い……? 肌の奥に、何かが侵入してくるような……!」
「侵入じゃありません、吸引ですぅ~。悪いものが引っ張り出されている証拠ですよぉ~」
私は容赦なく、彼女の全身を漆黒の泥で塗り固めていく。
顔、首筋、デコルテ、そして指の先まで。
数分後、そこには王国の英雄の姿はなく、全身真っ黒な「泥人形」が完成していた。
「次はマーサ先生、まいりますか?」
「ええ、頼むわ。最近、生徒指導で眉間の皺が取れなくてね」
マーサ先生も優雅に横たわる。
私は手際よく、二人目の「犠牲者(お客様)」を作り上げた。
薄暗いVIPルームに、全身漆黒の女が二人、微動だにせず横たわっている光景。
その異様さは、スパというよりは、もはや邪教の『闇の儀式』そのものだ。もし今、ギデオンあたりが乱入してきたら、「悪魔召喚の現場だ!」と勘違いして卒倒するに違いない。
「きゅぅ~(まっくろ~)」
部屋の隅で、同じく漆黒に進化したぷるんちゃんが、仲間が増えたと思って嬉しそうに震えている。
「……うぅ……」
沈黙を破ったのは、ベアトリクス様のうめき声だった。
「重い……。体が、鉛のように重い……」
「はい、それは泥がお客様の『業(カルマ)』を吸っているからです。じっと耐えてくださいねー」
適当なことを言いながら、私は心の中でガッツポーズをした。
『精密洗浄眼』で見ると、泥が猛烈な勢いで彼女たちの体内から「灰色のモヤ」を吸い出しているのが分かる。
疲労物質、老廃物、微量の魔力毒素。それらが泥に吸着され、漆黒の色がさらに深まっていく。
「よし、そろそろ頃合いですね。――ぷるんちゃん、吸引(バキューム)!」
「きゅッ!(了解!)」
私の合図で、ぷるんちゃんが飛び出した。
黒いスライムが二人の体の上を滑るように移動し、塗布された泥を一瞬で吸い取っていく。
シュゴオオオッ!
掃除機のような音がして、二人の体から黒い泥が消滅した。
そして。
後に残されたのは――。
「……!」
私は思わず息を飲んだ。
発光していた。
比喩ではなく、物理的に。
泥を洗い流した二人の肌は、陶器のように白く、内側から発光するような透明感を放っていた。
ベアトリクス様の背中にあった無数の古傷は、跡形もなく消え去り、生まれたての赤子のような滑らかさを取り戻している。
マーサ先生の顔からは、年齢という概念が消滅し、全盛期の少女のようなハリが蘇っていた。
「……こ、これは」
ベアトリクス様が、恐る恐る自分の肩に触れた。
「軽い……。嘘のように、軽いぞ」
彼女は立ち上がり、信じられないといった顔で腕を回した。
「肩に乗っていた岩が消えたようだ。それに、古傷の疼きも……完全に消えている。体の中にあった澱みが、全て洗い流された感覚だ」
彼女は鏡の前に行き、自分の顔を見つめた。
そこには、戦士の顔ではなく、ただの美しい女性の顔があった。
「アリア……。其方は、また奇跡を起こしたのか」
ベアトリクス様が、潤んだ瞳で私を振り返る。
「これは単なる美容ではない。私の肉体を、全盛期以上の状態へ『再構築』してくれたのだな。……感謝する。この礼は、言葉では尽くせぬ」
彼女は感極まった様子で、私の手を強く握りしめた。
騎士団長の握力で骨がミシミシと言ったが、私は笑顔で耐えた。金貨の音が聞こえるから痛くない。
「喜んでいただけて何よりですぅ~。『廃棄物処理』……じゃなかった、デトックス大成功ですね!」
***
一方。
もう一人の顧客、マーサ先生は、静かに鏡を見つめていた。
その目は、自分の美貌に酔いしれているのではない。もっと別の、冷徹で計算高い光を宿していた。
「……アリア」
低い声で呼ばれ、私は背筋を伸ばした。
「は、はいっ」
「この泥。在庫はどれくらいあるの?」
「えっと、瓶詰めにして50本分くらいは確保してあります。原料の……『発生源』を完全に処理しちゃったので、これ以上の追加生産は不可能ですけど」
「50本……。限定品、ということね」
マーサ先生の口元が、三日月形に吊り上がった。
その瞬間、部屋の温度が2度くらい下がった気がした。
「いいわ。素晴らしいわ、アリア」
先生は指先で、自分のツルツルになった頬を弾いた。
「この効果。回復魔法でも錬金薬でも再現不可能な、絶対的な『若返り』。……これを、地上で売りましょう」
「えっ、売るんですか? 私たちの独占じゃなくて?」
「愚かね。独占して楽しむのは『優越感』だけど、売れば『支配力』と『莫大な富』が手に入るのよ」
マーサ先生は立ち上がり、まるで悪の組織の女幹部のように、黒い泥の入った瓶を手に取った。
「ターゲットは、エルザ・フォン・ローゼンバーグをはじめとする、美容に飢えた上級貴族の令嬢たち。彼女たちは今、私の肌を見て焦り、金に糸目をつけずに『美の秘訣』を探し回っているわ」
「はぁ……まさにカモですね」
「ええ。そこで、この泥を市場に流すの。ただし、普通に売ってはダメよ」
先生の瞳が、ギラリと怪しく輝く。
「これは『出処不明の東方の秘薬』。古代遺跡から発掘された、幻の『黒の聖泥』ということになさい」
「うわぁ……詐欺スレスレの設定」
「演出と言いなさい。そして価格は――グラム単価、白金貨一枚からスタートよ」
「はぁぁぁッ!?」
私は素っ頓狂な声を上げた。
白金貨!? それ、家が一軒建つ値段ですよ!? 元はただのヘドロなのに!?
「いいのよ。あの手合は、『高ければ高いほど効果がある』と信じ込む生き物だから。安売りしたら逆に疑われるわ。希少価値を煽りに煽って、彼女たちのドレスや宝石を質に入れさせてでも、骨の髄まで搾り取ってあげるのよ」
こ、怖い……。
この人、本当に元侍女長? 実は闇ギルドの元締めとかじゃないんですか?
でも、その提案は、私の「老後資金貯蓄計画」にとっては、あまりにも魅力的すぎた。
「……分かりました。やりましょう、先生」
私もニヤリと笑い返した。
「私が裏ルートで噂を流します。『最近、騎士団長様の肌が綺麗なのは、闇市で取引されている黒い泥のおかげらしい』と」
「ふふ、話が早くて助かるわ。ベアトリクス、貴女も協力してくれるわね? 広告塔(モデル)として」
話を振られたベアトリクス様は、真面目な顔で頷いた。
「アリアの利益になるならば、私の顔などいくらでも使ってくれ。それに、この泥の効果が本物であることは、私が保証する」
最強の広告塔、ゲットだぜ。
国の英雄が太鼓判を押す「東方の秘薬」。これで売れないわけがない。
「決まりね。さあアリア、忙しくなるわよ。今夜から、学園の地下で『闇のオークション』の開催だわ」
マーサ先生が高らかに宣言し、私たちは共犯者の笑みを交わし合った。
***
こうして、私の地下帝国に、新たなドル箱メニューが誕生した。
元・実験廃棄物のヘドロが、最高級ブランド化粧品に化ける錬金術。
これこそが、私の目指すSDGs(すごく・大胆に・がっぽり・搾り取る)だ。
――けれど。
浮かれていた私は、この時、ある重大なリスクを見落としていた。
ベアトリクス様が言った『体の芯の疲れまで洗い流す』という言葉。
そして、『漆黒』に進化したぷるんちゃんの『超・吸着』能力。
この泥は、汚れを落とす力が強すぎるのだ。
強すぎて――肌の表面にコーティングされている「魔法的な付着物」まで、区別なく剥ぎ取ってしまうということに。
もし、自分の魔力量を「化粧品に含まれる増幅剤」で誤魔化している生徒が、この泥を使ったらどうなるか?
その答え合わせは、数日後に迫った「全校一斉魔力測定試験」という、最悪のタイミングで行われることになるのだが……今の私は、目の前に積み上がる予定の金貨の山に目がくらみ、そんな未来など知る由もなかった。
「ふふふ……待ってなさいよエルザ様。あなたのその綺麗なお財布も、スッカラカンに洗浄してあげるから!」
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