第2話 侵入者
重力が戻る。
硬い石の感触。肺に入ってくる空気は、排気ガスの混じったそれではなく、香辛料と古い羊皮紙の混じったような異質な匂いがした。
「……成功、しましたか?」
重々しい声が響く。
顔を上げると、そこは映画のセットのような場所だった。
天井まで届く巨大な石柱。真紅の絨毯。ステンドグラスから差し込む極彩色の光。
そして、正面の玉座に見下ろすように座る、王冠を被った初老の男。
「ここは……どこだ?」
クラスメイトたちがざわめく。30人の生徒、そして担任の教師までもが、石畳の上に転がされていた。
俺は最後列で、膝をついていた。
心臓が止まる。蘇生する。止まる。蘇生する。
転移のショックで、この数秒間で百回は死んだ。
《蘇生》の反動で、俺の尻の下の石畳が微細な振動で粉末状になり、俺はわずかに浮遊していた。
「ようこそ、異界からの勇者たちよ! 我が国、グラン・アライズへ!」
王の隣に立つ、仰々しいローブを着た魔術師が進み出た。
彼は杖を掲げ、陶酔したように語り始めた。
魔王の脅威。滅びゆく世界。古の予言。異世界からの救世主。
テンプレだ。あまりにもテンプレすぎる。
ライトノベルを嗜まない俺でも知っているような、手垢のついた導入。
「状況が飲み込めないな。つまり、僕たちは誘拐されたわけだ」
ケンジが眼鏡の位置を直しながら冷静に呟く。
剛道が立ち上がり、魔術師に詰め寄る。
「ふざけんな! 帰せよ! 俺は明日、地区予選があるんだよ!」
「静まれ。貴様らにはすでに『ギフト』が与えられている。各自、心の中で『ステータス』と念じてみよ」
言われるがまま、クラスメイトたちが虚空を見つめる。
次々と歓声が上がった。
「うおおお! なんだこれ! 筋力S!? スキル『剛力無双』!?」
「私、魔力がAランクだって! 『聖女の祈り』? なんか凄そう!」
「Meは『タンク』ですか。Hahaha! HPが5000もあります!」
「わたくしは『黄金律』……ふふ、異世界でもお金持ちですのね」
クラスメイトたちは、恐怖よりも興奮に支配され始めていた。
与えられた力の万能感が、危機感を麻痺させているのだ。
個性豊かな30人。それぞれの欲望や特性に合わせたチート能力。
まるで、彼らのために用意された舞台のようだ。
「さて、そこの君」
魔術師の視線が、最後列の俺に向けられた。
クラスメイトたちの視線も集まる。
俺はゆっくりと、死にながら(・・・・・)立ち上がった。
「……俺か」
「そうだ。君だけ様子がおかしい。顔色が死人のようだが……ステータスを開示せよ」
俺は小さくため息をつき、念じた。
目の前に、半透明の青いウィンドウが浮かび上がる。
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名前:葛原彼方
種族:人間(?)
職業:■■■■(エラー)
レベル:1
HP:0.0000000000001/0.0000000000001
MP:測定不能(ループ中)
筋力:G-
耐久:G-
敏捷:G-
魔力:G-
運 :測定不能
ユニークスキル:
《黄泉帰り(リ・インカーネーション)》 Lv.∞
《■■■■(文字化け)》
称号:『すぐ死ぬ』『生ける屍』『バグの温床』
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「……ぷっ」
誰かが吹き出した。
それを皮切りに、爆笑が広間を包んだ。
「HP、ゼロ点ゼロ……? なんだそれ! ミジンコ以下じゃねーか!」
「やっぱり『埃』は異世界に来ても『埃』なんだな!」
「運も測定不能って、悪すぎて測れないってこと?」
「魔王と戦う前に、階段で転んで死にそう!」
王も、魔術師も、呆れたような顔をしている。
魔術師が冷淡に言い放つ。
「……ふむ。どうやら召喚の過程で紛れ込んだ不純物のようだ。能力値は幼児以下。スキルも意味不明。……廃棄処分とする」
「廃棄って、殺す気か?」
ケンジが声を荒らげる。
「いや、城の外へ放り出すだけだ。魔物の餌になるだろうがな」
その時だった。
広間の巨大な扉が、轟音と共に内側にひしゃげた。
爆風が吹き荒れる。
舞い上がる砂埃の中から、異形の影が現れた。
全身が黒い金属のような甲殻で覆われた、四本の腕を持つ巨人。顔には目鼻がなく、ただ巨大な口だけが裂けている。
背中からは、禍々しい赤黒いオーラが噴き出していた。
「な、なんだ貴様は!? ここは王城であるぞ!」
近衛兵たちが槍を構えて殺到する。
だが、巨人が腕をひと薙ぎした瞬間、十数人の兵士たちが「赤い霧」に変わった。
悲鳴すら上げる暇もない。
ただの肉塊が、壁にへばりつく。
「ヒッ……!」
「う、嘘だろ……」
クラスメイトたちの顔から血の気が引く。
さっきまでの万能感は消え失せ、原初の恐怖が支配する。
『……勇者……召喚……感知……』
巨人が、擦り切れたレコードのような声を発した。
その圧迫感だけで、ステンドグラスが割れ落ちる。
「ま、魔族の将軍クラスだと!? なぜ結界を抜けて……!」
魔術師が杖を震わせる。
「お、俺たちがやるしかねえ!」
剛道が震える足を踏ん張り、前に出た。
「俺には『剛力無双』がある! あんな奴、一発で……うおおおらぁぁ!」
剛道が拳を振り上げ、突進する。
その拳は確かに光を帯び、岩をも砕く威力を秘めていた。
だが。
バシュッ。
乾いた音がした。
剛道の身体が、空中で止まる。
巨人の指先が、剛道の腹を貫通していた。
「が……は……?」
剛道がボロ雑巾のように投げ捨てられる。
壁に激突し、動かなくなる。HPバーが見えるなら、一撃でレッドゾーンに突入したはずだ。
「キャアアアアアアアア!」
「剛道!?」
「嫌だ! 死にたくない! 帰して!」
パニックが連鎖する。
ビリーが盾になろうとするが、巨人の蹴り一発で吹き飛び、石柱にめり込む。
魔法を使おうとした女子生徒は、恐怖で詠唱を噛み、失禁して座り込む。
チート? 最強?
そんなものは、圧倒的な「暴力」の前では何の意味も持たなかった。
ここはゲームではない。
レベル1の素人が、レベル99の殺戮機械に勝てるわけがないのだ。
巨人が、ゆっくりと歩を進める。
その視線(目はないが)が、震えるクラスメイトたちを品定めし――そして、最後列にいた俺で止まった。
『……異質……排除……』
巨人が俺に向かって跳躍した。
速い。
音速を超えている。
だが、俺には見えた。
なぜなら、俺の動体視力は「死」によって研ぎ澄まされているからだ。
(来るか)
俺は一歩も動かなかった。
動く必要も、動く力もなかったからだ。
ドガァァァン!!
巨人の拳が、俺の頭蓋を直撃した。
俺のHP、0.0000000000001が、瞬時に蒸発する。
頭が弾け飛び、首から下が肉片となって飛び散る。
壁、床、天井に、俺だったものが撒き散らされる。
「彼方ーーっ!!」
ケンジの絶叫が聞こえた。
ああ、死んだ。
本日、二万三千四百回目の死。
痛み?
そんなものは、とっくの昔に飽きた。
暗転。
そして、即時再生。
世界が逆再生するように、飛び散った肉片が光の粒子となって収束する。
物理法則を無視した、強制的な復元。
それは「治癒」などという生易しいものではない。
「時間」と「因果」を捻じ曲げ、俺という存在を世界に再定義する行為だ。
そのエネルギー量は、核融合に匹敵する。
《蘇生発動:対象、葛原彼方》
《欠損率100%からの復元》
《反動エネルギー、放出》
カッッッッッ!!!!
俺が立っていた座標を中心に、純白の閃光が炸裂した。
巨人の拳が俺の頭があった空間を通り過ぎようとしたその瞬間、再構成された俺の肉体が、巨人の腕を内側から弾き飛ばしたのではない。
《蘇生》の際に発生する「存在の確定」という絶対的な圧力が、巨人の腕を原子レベルで分解し、弾き飛ばしたのだ。
「……あ?」
俺は無傷で立っていた。
制服の埃を払う仕草をする。
目の前には、右腕を肩から消滅させられた巨人が、呆然と立ち尽くしていた。
『……ガ……? ナ、ニ……?』
広間が静まり返る。
泣き叫んでいたクラスメイトも、腰を抜かした王も、何が起きたのか理解できずに口を開けている。
「彼方……? お前、今、頭が……」
ケンジが震える声で呟く。
俺は首を回し、ボキボキと音を鳴らした。
蘇生したての身体は少し硬い。
「……うるさいな。死ぬのには慣れてるが、流石にミンチにされるのは寝覚めが悪い」
巨人が後ずさる。
本能的な恐怖を感じ取ったのだろう。
目の前のこの「弱者」は、何かがおかしい。
HPは相変わらずゴミクズのようだ。指先でつつくだけで死ぬ。
だが、「殺しても死なない」のではない。
「死ぬこと」そのものが、攻撃手段となっているのだ。
『キ、サマ……ナニモノ……』
巨人が残った三本の腕で、同時に殴りかかってくる。
全方位からの同時攻撃。逃げ場はない。
「避ける必要はない」
俺は棒立ちのまま、呟く。
ドガッ! グシャッ! バキィッ!
俺の身体は再び砕け散る。
胴体が千切れ、手足が引きちぎられ、内臓がぶち撒けられる。
一度の攻撃で、三回死んだ。
だが、その直後。
ドォォォォォォォォォン!!!!!
三回の《蘇生》が同時に発動した。
三重の衝撃波が、巨人を至近距離から直撃する。
巨人の強固な甲殻が、飴細工のように砕け散り、巨大な肉体が後方へと吹き飛んだ。
王城の分厚い壁を突き破り、遥か彼方の空へとかっ飛んでいく。
土煙が晴れると、そこにはやはり、無傷の俺が立っていた。
少し肩が凝ったな、という顔で。
「な、なんだ……今のは……」
「彼方が、あんな化け物を……吹き飛ばした?」
「死んでたよな!? 今、完全に死んでたよな!?」
クラスメイトたちが、化け物を見るような目で俺を見る。
俺はため息をつき、壁に空いた大穴から外を見下ろした。
巨人はまだ生きているようだ。瓦礫の中で蠢いている。
俺は一歩、足を踏み出した。
そのまま、空へ。
ヒュン。
俺の身体が落下する。
重力に従って落ちるのではない。
一瞬だけ心臓を止め、自分を「死」の状態にする。すると世界が俺を「物体」として認識しなくなるバグを利用し、慣性を殺す。
そして即座に《蘇生》。
その反動を利用して、空を蹴る。
ドパァァァン!
空気が破裂する音と共に、俺は弾丸のように空を飛んだ。
一秒に数十回の死と再生を繰り返しながら、空中をジグザグに機動する。
傍から見れば、それは黒い稲妻が走っているように見えるだろう。
眼下の巨人が、口から破壊光線を放つ。
極太の熱線が俺を包み込む。
「無駄だ」
俺は熱線の中で蒸発した。
そして、熱線の中で蘇生した。
蒸発。蘇生。蒸発。蘇生。蒸発。蘇生。
光線の中を、死滅と再生を繰り返しながら強引に突き進む。
痛みはある。全身を焼かれる激痛は、普通の人間なら発狂するレベルだ。
だが、俺にとってこれは「日常」の延長に過ぎない。
毎朝、目覚まし時計に叩き起こされるのと大差ない不快感だ。
俺は巨人の目の前に着地した。
いや、着地と同時に足が折れたので、即座に治して立った。
『バ、バケモ……ノ……』
巨人が怯える。
HP数万を誇る魔族の将軍が、HP0.0000000000001の最弱人間に恐怖している。
俺はゆっくりと近づき、巨人の鼻先(鼻はないが)に指を突きつけた。
「俺の攻撃が効いてないように見えるか?」
巨人は答えられない。
「違うな。効いてないんじゃなくて、既にもう何万回も死んでるんですよ、こっちは」
俺は自らの心臓を指先で突いた。
自壊。
そして、指向性を持たせた最大出力の《蘇生》。
「――《死出の旅路(デス・パレード)》」
俺という存在の「復元力」が、指向性の衝撃波となって巨人を飲み込んだ。
それは物理的な破壊ではない。
「生きていること」の強制力が、巨人の「存在」を上書きし、消滅させる。
空間ごと抉り取るような一撃。
巨人は断末魔を上げることもなく、光の粒子となって霧散した。
後には、巨大なクレーターと、埃を払う俺だけが残された。
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