昨日の敵は、今日の友

ペン子

昨日の敵は、今日の友

 その日は曇天で、弱い風が吹いていた。

 墓に眠る男の家族には、両親と妹がおり、家族仲は良好。

 両親は既に高齢で亡くなっており、今は妹家族が墓を守っている。


 男の妹は赤子の時におぶってくれていた男……兄と一緒に交通事故に遭い、脚に障害を負う。

 男はそれをずっと気に病み、徴兵で首都へ行くまで妹の介助を続けた。


 男が軍人として武勲を上げ出世し、政府の治安部隊に転属し防諜作戦部へ配属変えされた後も、継続的に妹家族へ仕送りを続けてくれていた。

「兄様、私も夫も働いています。仕送りは不要です」

 妹は「兄様は十分すぎる程、私によくしてくれた」と感謝している。

 ずっと尊敬していた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 しかし、男は60歳の誕生日に仕事を辞め、行方をくらませた。

 戦地で難民支援団体に紛れ込む。

 自国が隣国に侵攻し、隣国人を殺めるのを、捨て置けなかったのだ。


 男は戦火から逃れる難民を乗せたバスを見送ろうとしていた。

 しかし乗車した難民の男性が「うちの子供がいない!」と焦り始める。


 男は難民の男性から子供の特徴を聞き、探しに行った。

 諜報員だった男に、子供を探すなど造作もないことだから。

 すぐに迷子になって泣いていた子供を見つける。


「君のお父さんはもうバスに乗った。早くお父さんの所へ行こう」


 子供の父親の名前を言うと、子供は男に抱き着いた。

 しかしここは戦場でもある。

 男は子供を抱きかかえ、バスへ急いだ。


 その様子は、隣国の狙撃兵と自国の狙撃兵から見られていた。


「あの男は!」

 隣国の狙撃兵は、男が敵国の元諜報員だと知っていた。

 何故なら男は、「世界最高の諜報員」として、各国の軍や警察、諜報機関からマークされていたからだ。

「子供を誘拐する気だな。あの国の連中は、やはり野蛮な悪魔だ!」


 同時に、自国の狙撃兵も男の正体に気づく。

「何故あなた程の諜報員が、国家に背くのか! これは反逆だ!」


 奇しくも二人の狙撃兵が、同時にトリガーを引いた。

 いくら優秀な諜報員だった男でも、生身の身体で狙撃銃には勝てない。

 隣国軍からだけでなく、自国軍からも同時に狙撃され、男はその場に倒れた。


 子供と瀕死の男を救い出したのは、かつて男が出征していた異国の戦争で保護し、男の武術や剣術を学び取った、継承者ともいうべき青年。

 傭兵として難民護衛のため、同じ職場の妻とともに派遣されていた。

 男は忌まわの際、青年とその妻に伝えた。


「私はもうすぐ死ぬ。私がしてきたことを考えたら、私の人生は長すぎたぐらいだ」


 男はわかっていた。

 自国の政府からは「英雄」と称えられた自分がしてきたことが何か、を。

 男は善のために悪を行ってきた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「大佐は……おまえの兄上は、戦士であり、軍人でもあった。戦うというのは、そういうことなんだ」


 妹の夫は、男が軍にいた時の部下。

 かつて男が戦士として軍人としての全盛期だった頃、妹夫婦の子供たちを可愛がってくれたことを思い出す。

 その子供たちは成人し、今は都会で働いている。


「そろそろ行こうか」

 妹にそう促し、夫婦連れだって男の墓に向かった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 男の墓の前に、異国の男が訪れていた。


 顔立ちなどの見た目が、男の国の人間とは全く違う。

 生前の男は、白い肌にくすんだ金髪、ブルーグレーの瞳だった。

 異国の男は、少し日焼けした肌に、黒い髪、黒に近い茶色の瞳。


 外見上は人種が違うと見てわかる。

 しかし二人には共通点があった。


 二人とも、極限まで鍛え抜かれた、戦場で戦ってきた軍人の身体。


 異国の男は墓標の前に立ち、しばらく物思いに耽る。

 弱く吹く風が、異国の男と墓標の間を通り抜ける。


「狙撃なんぞで死んでんじゃねぇぞ、死ぬなら俺様と殺し合って死ねよコノヤロー!」


 ずっと黙っていた異国の男は、癇癪をぶつけるかのように怒鳴った。

 だがすぐ冷静な顔に戻り、語り掛ける様に静かに言葉を紡ぐ。


「勝ち逃げしやがって。……まぁ俺様ももうしばらくしたらテメーと同じ地獄に行ってやっからよ、そしたら武道館での続きでもしようや。それまで待ってろ」


 踵を返し立ち去る異国の男。

「もうここには来ない」

 異国の男は、次に男と会うのが常世だと知っているから。


 異国の男が墓地を去ろうとした時、一組の夫婦が墓地を訪れてきた。

「……こんな観光地でもない田舎に、何故日本人が」

 夫がすれ違いざま、異国の男に振り向く。

 妻に日本人がいると告げようとしたが、異国の男は既に姿が見えなくなっていた。


「きっと、大佐の墓参りに来てくれたのだろう……」

 夫は男の妹婿であり、男と自分の妻が日本語を解すると知っている。

 だから自分の妻に、異国の男に話しかけてほしかった。


「俺が大佐とは共有できなかった感覚を、きっとあの日本人はできたんだろうな」

 そう思うと、羨ましいと感じた。


 праведник во грехе ―― 神に許されぬ聖人。

 男はそういう人生を送ってきたのだ。


 戦火が及びそうになったクラスノダールの風。

 まるで子を慈しむ母の様に男の墓標を撫で、通り抜けていく。

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昨日の敵は、今日の友 ペン子 @semifinal79

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