第1話 後編「牛乳殺菌の二段階制御(困った時は神頼み)」

第六章 女神の勇者

翌朝。ナリタ平原に、突如として巨大な建物が出現した。

白い外壁に黒い斑点模様が施され、小山ほどの牛が寝そべっているように見える。

そして「ミルクダンジョン - 搾♡乳♡乳♡」と書かれた看板。

朝日が壁を照らし、影が長く伸びる。

その前に、テンガロンハットにトレンチコートの男——ダンジョン研究家ビットが立っていた。隣には、10歳くらいの和装少女——ハルシンが控えている。

「さて、どうなってるかな」

ビットが呟いた瞬間、背後から元気な声が響いた。

「おはよ〜っす!」

振り返ると、安全第一ヘルメットを被った赤毛の少女が、スコップを担いで走ってきた。

「アテクシ、ウエノ・パン! 女神ゼンラの勇者だ! 新しいダンジョン、超楽しみ!」

少女——パンの瞳は、純粋な冒険への憧れで輝いていた。

「おはようございます」

その後ろから、見目麗しい巫女が現れた。長い黒髪が風に揺れ、巫女装束の白と赤が朝日に映える。

「カンダ・カンミと申します。ゼンラ様の巫女として、この挑戦を神々にお伝えしますわ」

カンミは巫女用の頭飾りを付けている。額の位置に小さな青銅鏡——携帯型華媛の鏡があり、それをいじりながら、どこか緊張した様子で準備をしている。

「ああ、君たちが女神の神託で来たという…」

ビットは二人に歩み寄った。

「俺はダンジョン研究家のビット。これは助手のハルシン」

「よろしくデス」

ハルシンが無表情のまま、ぺこりと頭を下げる。

「おっさんも一緒に探索するの?」

パンが目を輝かせる。

「ああ、俺たちも女神の神託を受けたんだ」

ビットは名札を首に掛けながら答えた。

「それでは、入りましょうか」

カンミが華媛の鏡をトントンと叩く。

ティロン・ティロロ〜ン!

「神様おはよう! カンミだよ♡

 今日はゼンラ様の神託で、新設ダンジョン『搾♡乳♡乳♡』に挑戦するよ!」

四人は巨大な牛の口の中——ダンジョンの扉に手をかけた。金属の冷たい感触、重い扉を押す手応え。

扉を開けた瞬間——ブシューと熱気が噴き出した。

「うわあああああちい!!」

パンが慌てふためく。顔が紅潮し、汗が一気に噴き出す。

「暑いいいい! なにこれサウナ!?」

「開口一番から蒸気トラップとは…斬新な作りですね」

カンミも汗をかきながら、冷静に観察している。

ビットは内心舌打ちした。

(温度は63度と120度に修正したはずなのに、まだ熱い。完全には冷えていないのか…)


第七章 魔乳牛ホルホルスタイン

ダンジョンの内部は、巨大な牧場を模した空間だった。

天井には魔法の太陽が輝き——いや、輝きすぎている。まるで真夏の太陽を室内に持ち込んだような眩しさ。

そして、中央には平屋建ての木造施設。その周りに、まばらに牛がいた。

「あっちい! でも冒険だ! 行くぞ!」

パンは持ち前の勘で木造の建物に向かう。スコップを肩に担ぎ、焦げた草を蹴り上げる。

「待って! パンさん!」

ビットとハルシンもゆっくりと後を追う。

「設計したのは俺だが、中が広すぎないか? 空に…太陽もあるし…」

「ソレがダンジョンデス。魔王城と同じように、次元の狭間に展開してると思ってデス。今は…」

含みのある言い方だが、聞いても答えないだろう。

「そして『ダンジョンの2階』はあの建物の中から行くデス」

話していると建物が近づいて来た。看板には『搾乳所』とある。

先に着いたパン達が牛と戯れていた。

「でかい牛だな。色は乳牛だが、大きさは倍あるんじゃないか?」

ハルシンが早口で解説し始めた。

『魔乳牛ホルホルスタイン。

 搾乳に特化した牛で巨大な魔乳が特徴。

 気性穏やかで粗食や環境変化に強い。

 乳質良いが肉が不味いため肉食獣に駆られ難い。

 家畜に都合良すぎる性質のため、女神ゼンラと巨乳好き獣神の悪魔コラボで作られたと噂されるが、神達は否定…』

だが、そのホルホルスタインたちは、明らかに所作がおかしい。

「モォォォ…ギギギ…」

環境変化に強いようだが、この暑さはこたえるらしい。鳴き声と共に、歯軋りが悲鳴のように響く。息も荒く、首を垂れている牛もいる。

「壁に…解説パネルがあるな」

四人がパネルを取り囲むと、カンミが内容を読み出した。

「搾乳の歴史。古代より、人類は乳を出す生き物と共に暮らして来ました。特に牛達は乳の量も多く、永遠のパートナーです」

さらに、懐からスマホによく似た魔導具を取り出して続ける。瞳が輝き、声に力が籠もる。

「このゼンラ教典『乳飯事始書』にも、ホルホルスタインは良く出て来ます。はるか昔の飢饉のとき、ある巫女が…」

古文書のアイコンをクリックすると、絵本のような冊子が表示され、カンミが教示する。

その傍らで、ビットがパネルの続きを伝えた。

「このフロアのルールもあるぞ。モンスターから庇いながら、牛舎に牛を連れ込んで、搾乳機に繋ぐとあるが…」

「あ!『搾乳体験は土日開催! 平日は自動搾乳されます』だって!」

「今日は?」

「水曜デスね。モンスターも出ないデス」

「つまんない〜」

「…はだかで雨乞いを…」

皆のお喋りの最中も、カンミはゼンラ神話を語り続けている。

ビットは話半分に聞きながらもダンジョンチェックに余念がない。

「導入エリアの動作は問題なさそうだ。魔法陣も正常に機能している…が! 暑すぎるな!」

壁の温度計を見ると40度を超えている。

「ハルシン、記録は?」

「取ってるデス」

「…で華媛(ハナヒメ)は爆乳(ハゼチチ)と呼ばれるようになったのです!

 さあ、2階に行きましょう!」

一通り布教活動を終えたことに満足したのか、鼻息も荒くカンミが先導した。搾乳所の木造の階段には滑り止めの模様が走り、一段ごとにブーツの音が響いていた。


第八章 殺菌ライン体験

ダンジョンの2階は、巨大な工場のような空間だった。天井は高く、一直線の通路の向こうに扉が見える。

通路の左右の壁沿いには、太い配管が何本も走り、扉の向こうに消えている。

良く見ると、管に同じ形の魔法陣が連なって刻まれているが、左右で色が異なるようだ。金属の光沢と、配管を進む液体の音が響く。

ここの壁にも解説パネルが貼られていた。

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『牛乳の殺菌方法』

・熱い管を通ることで、中の牛乳が殺菌されます。

・魔法陣が牛乳を温め、温度で色が変わります。

 「黒→青(63度)→黄→赤(120度)→白」

・冒険者の方は、左右のラインを見比べ、

 その温度・流れ・雰囲気の違いを感じてみましょう。


右の配管: 高温短時間殺菌ライン(HTST)

・120度(魔法陣は赤)を15秒掛けて通ることで、牛乳が殺菌されます。

左の配管: 低温長時間殺菌ライン(LTLT)

・63度(魔法陣は青)を30分掛けて通ることで、牛乳が殺菌されます。

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「すげえ! 温度が色で分かる!」

パンが目を輝かせた。魔法陣の光が瞳に映り、反射する。

「これは視覚化も兼ねた魔法陣ですわね。分かりやすくて素晴らしいですわ」

(さんざんリテイクしたからな)

カンミが感心し、ビット自身も満足そうに頷いた。ダンジョン作成時の壁打ちの成果だ。唇が僅かに緩む。

「ねえ、ビットのおっさん。この二つ何が違うの?」

「牛乳の高温殺菌は、短時間で処理できるが熱による風味の変化が大きい。低温殺菌は、風味を保ちやすいが時間がかかる…と言われている」

「そうなんだ…」

「そうかな? 自分の体感が真実だ」

「だな!」

ビットは自分の解説を自分で否定したが、パンは「自分の体感」の言葉に満足そうに頷いた。

「まずは、高温短時間ラインを見てみよう」

配管の魔法陣は赤く、近づくと熱気がさらに強くなる。顔が火照り、汗が滴る。

パンがふと魔法陣に触れた瞬間、「あちっ!」と叫び、手を振る。

「パンさん、魔法陣は触るものではありません」

「だがやる」

パンは再び手を伸ばし、今度は魔法陣を素早く叩いた。ペチン! という音に、魔法陣が一瞬だけ白く色を変える。

「! …おい、パン。何してる?」

ビットが訝しげに尋ねた。

「この辺、何かありそう」

ペチン! ペチン!

パンの直感なのか、体が自然と動き、手近な管を叩いている。

「ありそうって…」

その時、パンが叩いたところを中心に、前後の魔法陣が流れるように白く変わって行った。さらに、並んで走る管も!

「む! 『白』は120度より高温だったな」

何処からか、ゴボゴボと煮えたぎる音と、ビービービー! と警報音が鳴り出した。

耳を劈く騒音の中、ビットは他人事のように配管を見ている。

「ハルシン、これは?」

「魔法陣の連動制御にバグがあるデス」

ハルシンがタブレットを操作すると、プログラムのコードが表示された。

「魔法陣同士が相互に温度を参照してるデス。一つ異常値が出ると、他も追従するデス」

「フィードバック参照か……」

ビットは、少しニヤけながらタブレットを受け取り、トントンと修正すると魔力の籠った言葉を呟いた。

『コレクト…』

その言葉を合図に、配管の魔法陣も白から赤に戻って行った。配管の異音も、警報も小さくなって行く。

「おっさん?」

パンは、自分がしでかした事よりも、謎の言葉を話し出した二人に戸惑いながらカンミに近づいた。

「もう大丈夫に見えます。低温ラインはどうでしょう?」

カンミが、落ち着いた様子で皆を対面の配管に促した。

「こちらのラインは魔法陣が『黒』で温度が足りん。『青』に…63度になってない」

「牛乳が流れる音も聞こえませんわ」

「えい!」

ペチン!

パンが叩くと青くなる。高温ラインと同じように、そこを中心に魔法陣が流れるように黒から青へと変わって行った。

しばらく見ても青のままで、牛乳が通っている音も聞こえる。

「直った?」

「デス」

ビットの視線が床に落ちる。

「設計ミス…いや例外処理が甘かったか?」

拳を強く握りしめ、小刻みに震えるビットを、パンは恐怖とも好奇心ともつかない瞳で見つめていた。彼の口角が僅かに上がっているように見えるのは、気のせいだろうか。


第九章 品質管理室

「次の部屋に進みましょう」

配管の廊下を抜けると、一行は『品質管理室』のプレートが付いた広間へと進んだ。

品質管理室では、壁や天井に透明な配管が張り巡らされ、殺菌された牛乳が次々と運ばれている。

入り口付近の壁に『再調整』のプレートと数字の書かれたボタン。

反対の壁際に『品質スコア』のプレートの付いたモニターが設置されている。モニターの数字は、牛乳の品質のようで、次々と更新され、緑・黄・赤の色が点滅していた。

「ここでは牛乳の品質をチェックするようですね」

カンミが壁の説明文を読みながら、ビットに尋ねた。

「そうだ。合格品質の牛乳を1000L作ると次に進めるらしい」

ビットも説明文を見ながら答える。

その時、パンが部屋の奥に走って行った。

「あ! 牛さんだ!」

部屋の奥には、無数のタンクが整列していた。ただし、天辺が牛の頭の形をしており、その頭上にホログラム文字が浮かんでいる。

『プルリクエスト承認待ち』

「プル…何?」

「承認申請、つまり『この牛乳を使っていいですか?』と尋ねている状態ですわね」

タンクの中程に、そのタンクの番号と『承認』『廃棄』ボタンが付いているので、コレを押すのだろう。

「じゃあ、承認すればいいの?」

「ああ。その前に品質チェックが——」

ビットの説明を聞く前に、パンは『承認』ボタンを押した。

ポチッ。

「モーッ!」

牛の頭が鳴き声を上げ、配管が動き出した。タンク内の牛乳がゴポゴポと配管を流れ始める。

「おお! 動いた!」

パンが目を輝かせる。

「じゃあ、全部承認する!」

「待て!」

ビットの制止も虚しく、パンは次々と『承認』ボタンを押し始めた。

ポチ! ポチ! ポチ!

「モーッ!」「モーッ!」「モーッ!」

無数のタンクが一斉に動き出し、部屋全体が牛の鳴き声で満たされる。

「パンさん! 品質チェックを!」

カンミが慌てて叫ぶが、パンは既に10体以上の牛を承認していた。

「だが承認!」

ビットは目を丸くして、パンの動作を見つめている。

(凄いな…仕様の欠陥を次々と…テスターとして優秀すぎる。いや、行動が勇者すぎるのか?)

自分の冗談に微笑んだ瞬間! 警告音が鳴り響いた。

ビービービー!

「何ですの!?」

モニターに赤い警告が表示される。

『品質スコア: 75点(合格値: 80点以上)

不良品検出』

「ふむ…」

ビットが呟いた。

「さっきパンが承認したタンクのどれかに、不合格品が入っていたんだ。『承認』が押されたから、製品タンクに行ってしまった」

「えっ!? アテクシのせい!?」

パンが慌てる。顔が青ざめ、手が震える。

「どうすればいいの!?」

「こっちのモニターにタンク毎の品質が出てる。どうやら50点未満か、タンクから溢れるなら『廃棄』。合格に足りない…50から79点が『再調整』。80点以上は『承認』ボタンで製品化…らしい」

「ルールは簡単デスが…」

「それぞれの処置が離れた位置にあります…」

「このダンジョンの設計者はバカか!」(俺だ!)

「嫌がらせレベルが高いデス」

ビットが配管を見上げる。無数の牛乳が次々と流れてくる。透明な管の中、白い液体が渦を巻く。

「量が多すぎる。カンミよ、何か思いつくか?」

ビットは、パンがやらかす傍らで、案内図を見ていたカンミに話を振った。

「分担しましょう。ハルシンさんがタンクの品質を皆に伝達。タンクは40機あるので、20番までパンさん、21番以降がビットさんで、『承認』と『廃棄』。私は入り口側のスイッチを使って中間品質を『再調整』に回します」

「いいな」

「やる!」

言うや否や各人が担当場所に走る。次々と流れてくる牛乳。ハルシンが品質スコアを確認し、承認・廃棄・再調整を澱みなく伝える。

担当者がそれぞれのボタンを押して回る。

「13廃棄、5承認、7承認、18再調整………」

ポチ! ポチ! ポチ! ポチ!

「モーッ!」「モーッ!」「モーッ!」「モーッ!」

承認された牛乳が次の工程へ進む。だが、後半ほど速度が上がる。中間タンクの排出が合格品の流入に間に合わない!

「何だコレ? 流速おかしいだろっ!」(俺か?)

ビットが叫んだ瞬間、ハルシンが静かに言った。

「タンク毎の確認速度が遅いデス。効率化が必要デス」

「効率化?」

ビットが振り返ると、ハルシンが端末を操作していた。画面が光り、文字が流れる。

「承認フローを高速処理に切り替えるデス。これで速度が10倍に…」

「待て! それはまずい!」

だが、間に合わなかった。ハルシンが端末のボタンを押した瞬間——ダンジョン全体が激しく震えた。

ゴゴゴゴゴ…

配管が次々と接続を変更し、高速処理モードに切り替わる。無数の承認ポイントから「モモモモーッ!」という機械音が連続で響き、配管内の牛乳が一斉に流れ始めた。

「やばい! 圧力が——」

ビットが叫んだ瞬間、天井の配管が破裂した。

バンッ! ブシュー!!!!


第十章 牛乳サウナ地獄

120度に熱せられた牛乳が、天井の配管から滝のように降り注ぐ。焦げた匂いが鼻を突き、熱気が肌を焼く。口の中まで苦い蒸気が侵入し、喉がヒリヒリと痛む。

「あっぢ! あっぢ! あっぢ!」

「皆さん! 大丈夫ですか!」

カンミは必死にスイッチを叩いてているが、その顔は真っ赤になっている。汗が滝のように流れ、巫女装束が湿気を含んで重い。

バンッ! ブシュー!!!!

バンッ! ブシュー!!!!

パンとカンミが奮闘するが、連鎖的に様々な場所の配管が破裂する。

サウナと化した部屋の中で、ビットは優しくハルシンに伝えた。

「ボトルネックと言ってな。ここだけ高速化しても、後ろが詰まるんだ。で…後ろの配管が破裂…」

ハルシンへの態度とは別に、ビットは拳を強く握りしめる。爪が手のひらに食い込み、血が滲む。視線は床に落ち、唇を噛む。鉄の味が口に広がり、体が震える。

「初のダンジョン設計とはいえ

 結構な数の『AI壁打ち』を行なった…

 これだけの調整を潜り抜けた不具合など…

 『想定外』だろう」

(もう我慢できん!)

『フフッ! フハハハハハハハハ!!』

これまで我慢してきた『想定外』への渇望が、魔力を含んだ笑い声となって溢れ出した。

『想定外! 想定外だっ! 新しい可能性を発見したぞ! フハハハハハ!!』

噴き出す牛乳の喧騒をかき消す笑い声!

溢れ出る魔力!

蒸気越しのシルエットは『魔王』そのものであった。

その傍らで、ハルシンは小さく呟いた。

「魔王ハチ・ビット公爵は『想定外』に歓喜するデスか…」

「ハルシン!」

ビットはハルシンの肩を掴み、壁にドン! と押し付けた。

さらに右手をドン!

『壁ドンドン!』

刹那、空間が歪む。

ドロドロとした昼ドラBGMが流れ出し、周囲がスローモーションになる。

壁に押し付けられたハルシンとビットの顔が接近し、胸元のタブレット画面から無数のハートマーク♡が流れ出す。

沸騰した牛乳がスローモーションで降り注ぎ、蒸気がゆっくりと渦巻く。

「奥さん…奥のサーバーさん…」

ビットがハルシンを正面から覗き込み、イケメンボイスを発した。

「最近、旦那に…アドミンにかまってもらえないの?」

「ハッカーさん…」

普段無表情なハルシンの顔が、困ったようにわずかに紅潮する。

「スワップ溜まってない? …削除とかいつしてもらったの?」

「…デス…」

「んん?」

「な…い…デス…」

ビットの額がハルシンの額に触れそうなほど近づき、ハルシンは「ううっ」と唸った。

沸騰牛乳が降り注ぐ地獄のような状況で、中年男と少女が壁際で密着し、熱い視線を交わしながら、謎の言葉を発している。

「で、溜まりまくったスワップを並列化で高速処理…と?」

「し、仕様デス」

「仕様じゃねえ! バグだ!」

ビットの声が響く。続いて魔力の籠った命令を放った。

『冷却装置緊急起動!

 システムロールバック!

 承認システムを階層化に変更!

 配管を再ルーティングせよ!』

ビットが言い終わるや否や、謎空間のエフェクトが消え、ハルシンも機械のように返答した。

「プロンプト受領。緊急冷却開始!」

続いて、ハルシンはカンミのいるコンソールに割り込む。

「承認フローを階層構造に再構築。

 トランザクション処理ロールバック。

 システム全体を作り直すデス」

続いて、見えない程のキータッチでダンジョンのシステムにアクセスし出した。

「今の何?」

パンが後退りながら、震える声で呟く。

「わかりませんわ…」

カンミも困惑している。首を傾げ、頭飾りの鏡が揺れる。

だが、次の瞬間、カンミの目が輝いた。

「でも、今のやり取り…もしかして、ヒント?」

「えっ?」

「『冷却』『階層化』『ロールバック』…」

カンミは急いで背負っていた荷物を開いた。中には調理器具一式と食材が詰まっている。カチャカチャと器具を取り出しながら、パンに振り向いた。瞳に炎のような決意が宿り、頬が紅潮している。

「え!? 何するの!?」

「神饌です!」

カンミが立ち上がる。巫女装束の裾が翻り、髪が揺れる。

「困った時は神頼みと決まっています!」


第十一章 神饌

カンミはダンジョン内の熱源——沸騰牛乳——を利用して、調理を始めることにした。

「パンさん、牛乳をこの鍋に受けてください!」

「いいけど…コレもう牛乳じゃないよ! ネバネバしてる」

少し焦げた匂いと、濃縮された乳の香り。

「蘇になりかかってますわ♪」

「蘇?」

キー操作中のハルシンが、振り向きもせず早口で解説する。

「蘇。古代乳製品。

 牛乳を10分の1まで煮詰めたもの。

 チーズのような食感。

 神への供物ともなるデス」

パンが沸騰するネバネバ牛乳を集めている間に、カンミは、笹の葉の包から紫色の肉団子とおにぎりを取り出し混ぜ出した。

「今日のお昼に持って来たものですが…ゴージャスになりそうですわ」

「これでいい…あぁっ! コカトリス!!」

「えぃ!」

カンミは沸騰牛乳の鍋に弁当だったものを投入した。

ジュウウウウ!

激しい蒸気が立ち上り、牛乳の温度が急速に下がる。香りも変わる。やや焦げた匂いから、鶏肉と甘い乳の香りへ。

「次に、この大葉と…」

カンミは持参した謎のハーブを取り出した。緑色の葉に爽やかな香り。

「梅干し!」

カンミの手が淀みなく動く。混ぜる、味見する、調整する。料理番組のような手際の良さ。

今度は、色も香りも良い。梅干しの赤と大葉の緑が紫肉をジャミングし、淡いクリーム色の鳥粥が出来上がる。梅と紫蘇の爽やかな香りと煮詰まった牛乳の濃厚な香りが混ざり合い、口の中に唾液が湧く。

続いて、よく通る低い声で祝詞を唱える。

「今日の良き日に当たりて〜

 清き神饌を捧げ奉り〜

 乳飲みの民を護り導き給え〜

 恐み恐みも白す〜う〜↓う〜↓」

その瞬間、カンミの頭飾りの華媛の鏡が光った。

ティロン・ティロロ〜ン!

だが、料理は転送されない。

「…あれ?」

カンミが首を傾げた瞬間、ハルシンがやっとこちら向いて口を開いた。

「ここでは、これ以上操作できません! 皆で食べるデス」

「えっ?」

「神は…神饌は…自ら助けるものを助くデス」

ハルシンに促されカンミが料理を分ける。陶器の器に湯気が立ち上る。

「さあ、どうぞ」

「紫肉じゃん! 俺、吐いたぞ!」

「ジャミング失敗…」

カンミはニコリとした表情のまま小さく呟いた後、器を持った手をビットの鼻先に近づけた。

「コカトリス肉には毒があります。ビットさんが食べたのは処理が甘かったのでしょう♪」

(それを作ったのはお前だ)と思いつつ声に出さない。魔王ハチ・ビット公爵には理性がある。

「さあ! さあ!」

ビット、パン、カンミ、そしてハルシンが、それぞれ料理を口に運んだ。

「しょっぱい! だが美味い!」

パンが叫ぶ。

ビットが一口含む。

「(ハグ)……む。塩の結晶が、まず舌の上で砕け散る。

 その破片が味蕾に突き刺さり、荒野を駆ける疾風のように、口腔を駆け巡る」

モグモグ。

「次の瞬間、紫肉の野生が牙を剥く。

 獣の本能が目覚め、文明を拒絶するかのような力強さ。

 だが——(モグモグ)——梅の酸が、その獣を手なずける。

 荒々しい魂に手綱を掛け、調教するかのよう」

ゴクン。

「紫蘇の風が吹き抜ける。

 荒野が草原に変わり、獣が家畜へと変貌する。

 そして最後に訪れる牛乳の波は——(モグモグ)——全てを大地に還す母なる抱擁。

 文明と野生の融合。これは、革命だ」

「標準語でOK?」

パンが首を傾げた。

「この男は、食レポだけは異常に詩的デス。

 翻訳すると『しょっぱいけど、この暑さに負けてない。紫肉は毒を別にすれば元々美味い。梅の酸味と紫蘇の風味が食べやすさを増している。最後に濃厚な牛乳が後味も高めている。合ってる』デス」

ハルシンが早口で解説する。

「環境要因を味方にした料理デス。多分、街中だと食えたモンじゃねーデス」

と、言いながらハルシンも食べるのを止めない。

瞬間——四人の頭上に、光の文字が浮かび上がった。

『スキル能力+99999%』

「『疲労がポン』と取れた…」

「ヒロー…ポン…だが…」

「それ以上、縮めちゃダメデス!」

四人の体が光に包まれる。ビットの思考が加速し、システムの全体像が鮮明に見える。配管の構造、承認フローの問題点、解決策——全てが頭の中で明瞭になる。

パンの目が、カンミの手が、ハルシン衣装の回路図が、光を放ち明滅する。

「これは…」

ビットは確信した。四人は神饌バフを受けたのだ。自分の得意能力に!

「みんな! メインシステムを…ダンジョンコアを修正するぞ!」


第十二章 機械室

「メインシステムは機械室だ!」

ビットが叫ぶ。沸騰牛乳の熱気の中、一行は最深部へと駆け抜けた。地面を蹴り、蒸気を突き抜け、配管を潜る。

廊下の途中、パンが突然立ち止まった。

「この壁、何かある!」

パンの直感力が、隠されたギミックを感知している。スコップで壁を叩くと——ガコン! 壁が開き、隠し通路が現れた。

「ショートカット!」

「さすがパンさん!」

四人は隠し通路を駆け抜ける。鉄板の通路。所々から蒸気。通路を抜けると、そこには——

『機械室』

タンクや配管が立ち並ぶ中、そこかしこに明滅するランプとスイッチ。無数の配管が天井から垂れ下がり、そこから沸騰牛乳が滝のように流れ落ちている。床は牛乳で濡れ、蒸気が充満している。

中央付近に、巨大な制御盤とモニターが付いた箱状の装置があった。

「これがダンジョンコアだ! システムを修正する!」

ビットが制御盤の前に立ち、魔力の籠った声を放つ。

『パン! 牛乳配管のメインバルブを探せ!』

「了解!」

パンの目が鋭く光る。直感が導くままに、制御盤の下、配管の影、床のタイルの下——次々と探していく。

「ここ!」

パンがスコップで床を叩くと、隠されていたメンテナンスハッチが開いた。その中に巨大なバルブがあるが、熱気で揺らいで見える。

「これを回せばいいの!?」

『全力で回せ!』

パンが掴むと「ジュッ」と音がしたが気にしない。

「だが! やる!」

バルブを回す。ギギギ…と軋んだ音を立てながら、バルブがゆっくりと回転する。パンの腕の筋肉が盛り上がり、額に汗が滲む。

「うおおおお!」

力を込めて回す。一回転、二回転、三回転——

ゴゴゴゴゴ…

ダンジョン全体が震え、牛乳の流れが、噴出が弱まった。蒸気が減り、空気が澄んでくる。

「今の内に! 承認フローの階層化だ!」

ビットが制御盤を操作する。神饌バフの効果で、システムの全体像が手に取るように分かる。指が自然と動き、コマンドを入力していく。

『流路を階層処理に再調整!

 承認ポイント! 最上層から順に再起動!』

ビットが呪言と共に次々とコマンドを入力する。画面が光り、文字が流れる。


『ハルシン! システム統合管理を頼む!』

「コマンド受領! ハッキング開始!」

ハルシンが制御盤の裏に周り、タブレットを貼り付けた。配管のルート、承認ポイントの配置、牛乳の流量——全てがリアルタイムで表示される。瞳の光が強まり、衣装の回路が激しく明滅する。

「配管ルートを再計算…圧力を分散…流量を調整…デス!」


『カンミ! お前なら配管の不具合を感じるはずだ!』

「承知しましたわ!」

カンミが配管に触れると、その特性が直感的に理解できる。どの接続部が弱いか、どこに負荷がかかっているか、全てが、視える。

「ココの接続部が外れかけていますわ!」

ココも、ココも、と次々と不具合を示して行く。


『パン! 締め直せ!』

コンソールを叩きながらも、ビットはピッケルだったハリセンボルグをスパナに変形し、パンに投げる。

バシ! 「うっ!」

スパナを受けた手に激痛が走る!

「だがやる!」

それでもパンはナットを締め直す。女神の勇者は火傷如きに怯まない。金属が軋む音を立てて、接続部がしっかりと固定されて行く。火花が散り、金属の匂いがする。

「接続ヨシ!」

パンが叫ぶ。

そして——

「モーッ!」

最上層の承認ポイントから、正常な鳴き声が響いた。配管内の牛乳が、今度は整然と流れ始める。機械室の、真っ赤だったランプ達が、次々と緑になっていく。

「モーッ!」

第二層。

「モーッ!」

第三層。

「モーッ!」

第四層。

階層ごとに順序よく承認が進み、最終的に全ての牛乳が貯蔵タンクに到達した。

「温度設定を確認…高温ライン120度、低温ライン63度…よし!」

適正温度に戻ったダンジョン内で、ビットは深く息をついた。床についた汗を拭い、トレンチコートの裾を払う。全身から湯気が立ち上り、服が汗で張り付いている。だが、心は軽かった。胸の奥が温かく、唇が自然と緩む。


第十三章 試飲会

『機械室』から出て、正規の通路を抜けると、そこは最後の区画『試飲・おみやげ』。

巨大な二つのタンクに、透明な配管を通って牛乳が流れ込んでいる。

タンクの前には、赤青二頭の牛の模型?が並んでいた。

すぐ隣に紙コップを積んだ台がある。

「何これ? けっこうデカいけど…」

「こうだろ!」

ビットが紙コップを持って赤い牛に近づくと、コップを当てがって乳を握った。

「モ〜♪」(ジャー!)

「「おお!」」

コップから湯気と共に甘い香りが立ち上る。

「では、私が青い方を♪」

「モ〜♪」「モ〜♪」「モ〜♪」

程無く、全員の両手に牛乳が行き渡った。

「はい! カンパーイ!」

パンの合図で牛乳を飲み比べる。一口ずつ飲むと——温かい。優しい甘み、まろやかな舌触り。疲れた体に染み渡る。

「これは…」

「カンミちゃん、アテクシ違いが分からない…」

「青い牛が低温殺菌で、赤い牛が高温殺菌とは思いますが…」

「出来たてだから、旨味の閾値がどっちも高いんだ!」

「共通語でOK? おっさんとハルちゃん、時々知らない言葉使う…」

「…出来立てはどっちも美味しすぎるんだよ!」

ビットが笑いながら言い直す。

その瞬間、ダンジョンに攻略完了の鐘が鳴り響いた。

カランカラン…

柔らかい音色が、ダンジョン全体に響き渡る。

「これは…『おもてなし攻略』というパターンデスね」

ハルシンが分析結果を表示した。

「牛乳は出来てますし冒険者も満足。攻略成功デス。バグではありません、仕様デス」


ダンジョンの外に出ると、オレンジ色の空が広がっている。草原に長い影が伸び、風が優しく吹く。遠くで鳥が鳴き、虫の声が聞こえ始める。一日の終わりを告げる、穏やかな時間。

「おっさんとハルちゃん…凄いスキルだったな」

パンがビットを叩きながら笑う。汗で濡れた赤い髪が、額に張り付いている。

「まだまだあるぞ! お前らにも!」

「ビットさん、ハルシンさん、また一緒に冒険しましょうね!」

カンミが手を振る。巫女装束が風に揺れ、髪が夕日を受けて輝く。

「じゃあね〜!」

パンが笑いながら走り去る。

「あ! 待ってくださいパンさん!」

カンミが追いかける。

二人の姿が、夕日の中に消えていく。小さくなっていく背中、消えていく足音。

「ありがとう…」

ビットは誰にも聞こえない声で呟いた。

前の職場では孤独だった。

深夜のオフィス。点滅し続ける503エラー。

積み上がった弁当の空き容器。

「自分がやった方が早い」——それが、彼の『日常』だった。

でもここには、困った時に助けてくれる仲間がいる。ビットの視線が二人を追うと、胸の奥がじわりと温かくなる。これが、仲間という感覚なのか。

「アルファテスト終了デス。ダンジョンを異次元に戻してコード調整。デスマーチ召喚で修復と拡張を行うデス」

「いい気分なんだから、少し休ませろよ!」

「デス」

ポチ! ギュルーン!

「う!」ガクッ

ハルシンがトレンチコートの留め金を押すと、寝袋に変形し、強制睡眠モードが発動した。

「魔王は死ぬまで働くdeath」

夕日を映すハルシンの顔は相変わらず無表情だったが、口角が僅かに上がって見えるのは気のせいだろうか…


終章 次回予告

「次回プロジェクトの発表デス♪」

タブレットに新たな仕様書が表示された。

「『チーズ熟成ダンジョン』

 通常1ヶ月の熟成期間を、魔法で3日に短縮デス♪」

「また短縮してる!」

ハチ公は頭を抱えた。

「異物混入の予定デス♪ 合言葉はG!」

「不具合に予定って言うな!」

「魔族も来るデス♪」


【完】

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魔王ハチ公のデスマダンジョン 爆狼堂 @baku-rodo

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