へそに咲く

江賀根

へそに咲く

【月曜日】

仕事中、へそ付近に若干のかゆみを感じることはあったが、特段気にするほどのものではなく、私はいつもどおりに一日を過ごした。


【火曜日】

朝、目覚めると、私のへそから何かしらの芽が出ていた。

サイズにすると1センチにも満たない小さな芽だ。

最初は、ゴミが付いているのだと思い、指でつまんで引っ張ってみたが、その瞬間、腹に激痛が走った。

まさか、私のへそから生えているというのか?そんな馬鹿な。


そんなことを考えているうちに、家を出て会社へ向かう時間となった。

下手に触らなければ痛みはなく、生活に支障があるわけではない。今日は様子を見よう。


そんなことより今は、来週金曜に控えているプレゼン資料の作成に全力を注がねばならない。

このプレゼンが上手く行けば、48歳と少し出遅れてはしまったが、課長の道が見えてくる。

そうなれば万年係長の汚名返上だ。


そうして、私は出社すると仕事に集中したのだが、デスクに座っていると、時折ベルトの金具によってへそのあたりに痛みを感じたため、途中からへその上にハンカチを当てて業務を行った。


【水曜日】

明らかに大きくなっていた。小学生の時に理科で習った双葉の状態だ。

こうなるとベルトが出来ない。いや、そんなことより病院へ行くべきではないのか。


しかし……へそから植物が生えたなんて、こんな特殊な状況を知られると、研究対象にされるに違いない。

下手するとマスコミに知られ、見世物にされる可能性もある。そうなれば課長の道が閉ざされかねない。


今は病院に行くわけにはいかない。特に痛みがあるわけでもないから大丈夫だ。


私は、家の中で最も適していると思われた、おちょこを双葉に被せて、その上からベルトを締めた。

こうすれば双葉が直接圧迫されることはない。我ながらナイスアイデアだ。


そうしてその日も、私は出社すると資料作りに没頭したが、時折おちょこがズレて痛みを感じたため、個室トイレに入って、おちょこをガムテープで固定して、以降の業務に当たった。


【木曜日】

双葉の間から一つの蕾が出ていた。そしてそのとき初めて、この植物が花であることを認識した。

蕾は3、4センチほどあり、もう、おちょこには収まらない。


そこで今度は味噌汁用に使っている汁椀を被せることにした。

今日は予めガムテープで固定を行い、抜かりはない。


しかし、玄関の姿見を見て、自分の異様さに気付いた。

元々、多少腹が出ているが、へその部分に汁椀を被せているせいで、なんというか、腹が尖って見えるのだ。


こんな腹のかたちは有り得ない。不審に思われて汁椀を入れていることがバレようものなら……。


私は思案した結果、シャツの中にタオルを詰めて、腹全体が出ているように形を整えた。

一日で随分と太ってしまったことになるが、なんとかごまかせるだろう。


そう思って会社に向かったのだが、いつもより一本遅い電車になってしまったため、事務所に入るなり、先に来ていた部長から「随分と腹が出て来たな」と指摘され、私は思わず「すみません」と返した。


その日は、退社まで一度も席を立たずに過ごした。


【金曜日】

目覚めると、10センチほどの花が開花していた。

そしてこれまで草花に一切関心のなかった私は、一目見た瞬間から、その花の虜になった。


私の語彙力では到底その魅力を伝えきれないが、芸術的な花弁のかたちに加えて、見る角度によって様々な色に輝くその花は、まるで宝石のようだった。


いつまでも眺めていたい……。


だが時計を見ると、そろそろ家を出る支度をする時間だった。

私にとっては、課長の椅子もこの花と同じくらい魅力的だ。休むわけにはいかない。


ただし、間違っても花を傷つけるわけにはいかないため、私は家にある食器の中で一番大きなどんぶりを被せ、厳重にガムテープで固定して、タオルでかたちを整えた。

この一日で更に太ったことになるが、今日も席を立たなければ大丈夫だろう。


そう思い、ベルトの穴もズボンのアジャスターも限界まで広げた状態で、私は出社した。


そして、いつものように仕事に専念するはずだったのだが——花が、見たい。

花のことが頭から離れず、集中できない。プレゼンまであと一週間という大事な時期にこれではまずい。


私は考えた結果、一度だけトイレで花を見ることにした。そして気持ちを切り替えてから、改めて仕事に集中するのだ。


私は個室トイレへ行き、ガムテープとどんぶりを外した。

そこには朝と変わらず私を魅了する花があった。


ああ、なんと美しいのだ。


あっという間に10分ほどが経過した。まだまだ眺めていたいが、そろそろ戻らないとまずい。

私は再びどんぶりをガムテープで固定すると、デスクに戻った。ここからは仕事に集中だ。


しかし結果的に、花を見たいという欲望に勝てなかった私は、この日4度個室トイレに入り、同僚から体調を心配されることとなった。


家に帰った私は、その晩、眠りに落ちるまでその花を眺め続けていた。

明日からは休日だ。時間の許す限り、この花を眺めよう。


【土曜日】

変わらず花は咲いていたが、明らかに前日とは様子が違っていた。

花弁は若干萎れ、輝きも明らかに弱まっており、元気がない。


私は急いで園芸店に出向き、鉢植え用の肥料アンプルを買おうとしたが、果たしてこの花に効果あるのか?

そして私のへそに注入して、私自身は大丈夫なのか?という懸念があった。


店員に相談しようかと思い悩んだが、警察を呼ばれかねないので、結局何も買わずに店を出た。


昨日ほどではないといえども、まだまだ十分に花の魅力は残っていたので、家に帰った私はずっとその花を眺めて過ごした。


しかし、時間の経過とともに魅力は徐々に減少していき、夕方にはすっかり枯れてしまった。

私は、ろくに夕食も摂らないまま、喪失感を抱えて眠りについた。


【日曜日】

目覚めてすぐにどんぶりを外し(この頃の私は就寝時も花を守るためにどんぶりを装着していた。)花を確認すると、そこには花も葉も見当たらず、私のへそがあるだけだった。


そして、どんぶりの中に、完全に萎れて根から抜け落ちた花の姿があった。


——花の命は短い。


まさか、自分がこんなセリフを口にする日が来るとは思わなかった。


その日は、何もする気になれず、ずっと花のことを思い返しているうちに、夕暮れになっていた。


明日からは、また仕事だ。花のことは残念だが、気持ちを切り替えて金曜のプレゼンに臨まなければならない。

私は課長になるんだ。


そう自分に言い聞かせ、半ば無理やり夕食をかき込んだ。

それから、花のせいでしばらく入れなかった湯船にゆっくり浸かり、早めに床に入った。


【翌月曜日】

目覚めた私が最初にしたことは、自分のへそを確認することだった。

また新たな芽が出ているのでは?という淡い期待があったのだ。


しかし、そこにあったのは平凡な私のへそだった。


私は淡々と支度をして、会社へ向かった。


エレベーターを待つときに部長と一緒になり、挨拶をすると「なんか、急に痩せたな。大丈夫か?」と心配されたため、またも「すみません」と妙な返しをしてしまった。

以降、自分たちのフロアにエレベーターが到着するまでの間、部長は何も言わなかった。


デスクに着いた私は、花のことはもう忘れて、金曜に向けて全力を注ぐんだと自分に言い聞かせてPCを立ち上げた。


しかし——また、花が見たい。

また、芽が出て欲しい。


どうしても、花のことが頭から離れない。


結局自分が予定していた半分も仕事が進まないまま、終業時刻となった。


まずい、このままじゃ金曜日がまずい。明日こそ気持ちを切り替えないと。


だけど——やっぱり、花が見たい。


私の頭の中は、ずっとその繰り返しだった。


【翌火曜日】

朝目覚めて私は歓喜した。なんと、新しい芽が出ていたのだ。これで、またあの花が見られる。


しかし——一つだけ問題があった。

なぜなら今回の芽は、へそではなく、右の鼻の穴から出ていたのだ。


金曜日には私の鼻に立派な花が開くだろう。

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