神童琥珀とダメな大人たち
みそ
第1話
新堂琥珀(こはく)、小学四年生。自分で言っちゃうけど、私は神童だ。
隠してもどうせすぐバレるから、もう自分で言っちゃう。新堂琥珀は神童だ。
苗字とかけたダジャレとかじゃなくて、ほんとうに神童なのだ。だって昔から大人たちからそう言われ続けてきたし、これはもう疑いようのない事実だと思う。
能ある鷹は爪を隠すと言うけど、私は隠さない派。いや、隠そうと思っても、ニョッキリ顔を出してしまう。だって生まれながらの神童だから、才能とかセンスとか、そうゆうものが溢れ出てしまう。まったく困ったものだ。
その片りんは保育園のころから現れていた。
ひらがなで名前を書けるようになるのは誰よりも早くて、すでに簡単な漢字にまで手を出していた。これにはひまわり組の担任のゆかり先生も腰を抜かしていた。ような気がする。
困ったことに頭脳明晰なだけでなく絵画の素質もあるようで、他の子たちが大人も子どもも区別がつかないような絵を描くなか、私はその人の特徴を捉えた絵を描いていた。天パとかそばかすとかほくろとか太ってるとか、そういうのをきちんと反映していた。そんな簡単な工夫だけで大人がこんなにほめてくれるのに、他の子はどうしてそうしないのかわからなかった。
小学校に上がると、もはや私の神童っぷりはとどまるところを知らなかった。
漢字は新しいのを書けるようになるのが楽しくてどんどん覚えたし、九九は立て板に水の勢いで淀みなくそらんじることができて、逆上がりだってすんなりできた。理科社会はこれまで知らなかったいろんな物事の仕組みを知れて、自分はこんなに世界の成り立ちに触れていいのかと、怖くなるくらい理解できた。
そのうち私は秘密を知りすぎた小学生として、コナン君の黒の組織みたいなのに狙われちゃうかもしれない。そうなったときのためのイメージトレーニングは寝る前に毎晩欠かさずしている。寝る前のルーティンワーク。
そんな非の打ち所のない神童な私にもコンプレックスがひとつある。それは身長だ。背の順で並ぶと比較検討もされずに問答無用の最前列。誰とも背比べすらできないくらいの悲しき小柄ボディ。しれっと後ろの方に潜んでいてもすぐに見つかって、最前列に送られる。
悔しいことにこれだけはどうあがいても、頭で工夫して補うことはできない。上げ底の靴を履くという手もあるけど、学校指定の内履きでそれは無理だし、履いているのがバレたときに絶対ダサい。最高にダサい。ナマイキな男子にこいつ上げ底してやがるぜーと、からかわれるのが目に浮かぶ。
だから私はできるだけ牛乳を飲むことにしている。毎朝毎晩、必ず飲む。そのおかげで骨は丈夫になった気がする。ちょっと転んだりぶつけたりしたくらいではビクともしない。頭突きも強い。でも身長には反映されない。なぜだ。
給食の牛乳は天の恵みだ。ご飯と合わねーじゃんという罰当たりなやつは私によこせ。残さず飲んでやる。そして本来、牛乳の栄養分で伸びるはずだったはずのお前の身長を吸い取ってやる。
私の低身長には理由がある。病気とかそうゆう悲しいことではなくて、パパもママも平均より背が低い。つまり遺伝というやつ。生まれつき背負ってしまった、悲しき運命(さだめ)。
ちなみにパパとママは、パパの浮気が原因で私が小一のときに離婚している。低身長のくせに、パパは浮気した。同じく低身長のママを裏切った。入学早々の一大事にもめげず、私はよく神童を貫いたものだ。えらいぞ、琥珀ちゃん。
まあそれは今は置いておくとして、身長の話。身内の身長の話。
そう、先祖代々の低身長かと思いきや、ママの方にはやたらと背の高い男がいた。ママの弟、私にとっては叔父にあたる慶次(けいじ)くん。
慶次くんは無駄に背が高い。こうして店先で瓶ケースを裏返して座っていても、私より背が高い。秋風が吹くどんより曇った空の下、今日もベンベベンと身体を揺らして楽しそうにベースを弾いている。ご自慢のフェンダーとかいうメーカーの、赤いボディがカッコいいベース。
私に気がついた慶次くんがおうと笑い、テキトウにベースを弾いて歌うように言った。
「おかえり琥珀ー。今日もお疲れちゃーん」
よく伸びて耳を撫でていくような慶次くんの低い声。本人はいい歳していろんな意味で落ち着かないのに、人を落ち着かせる声をしている。
「ただいま、慶次くん」
「さてと、琥珀も帰ってきたしいっちょ働くとするかね。よっこらせっと」
立ち上がって腰をトントンとたたいている。立ち上げると私の顔は慶次くんの腰くらいの高さにきて、見上げないと顔が見えない。肩の下まで伸びたもじゃもじゃの髪に、キリッと整った顔立ち。店に来るおばちゃんたちの八割くらいはあらイケメンねえ、とほほを染めるくらい慶次くんはイケメンだ。
「あーあー、何もしないでもお金が転り込んできたりしないかなあ」
ただし、黙っていれば、という条件がつく。口を開くとテキトウなことかだらしないことしか言わない。
「楽して儲かるなんて、そんな上手い話はありません。全部サギです」
これはママの受け売り。
「世知がれーなー。今日もカラッとしてるのは揚げ物だけだねえ」
ガラスドアを開けて店内に入ると、むわっと食べ物のにおいが押し寄せてくる。揚げ物に炒め物に煮物に炊きたてのご飯とお味噌汁のにおい。嗅ぎ慣れた落ち着くにおい。
さびれた商店街の一角にある弁当屋、ラピスラズリ。かつてはおじいちゃんとおばあちゃんが営んでいて、今はママが引き継いで慶次くんが手伝っている、地域の人たちに愛されている愛情とボリュームたっぷりの弁当屋。私とママが暮らす平屋はお店の裏にあって直接入ることもできるけど、こっちから帰ってくるのが習慣になっている。
だって、家に帰ってきたらママの顔見たいし。
「あっ、おかえり、琥珀」
イートインのテーブルに座って、何か書き物をしていたママが顔を上げて時計を見る。娘の私から見ても、すっきりした顔立ちの美人。
「やだ、もうこんな時間。そろそろ夜に向けての仕込みしなきゃね」
「そうだぜ姉ちゃん。夜に向けてガッツリ作っておかねえとな。腹を空かせた野獣どもがオレたちの弁当を待ってるぜ」
「うちのお客さんはどんだけ飢えてんのよ」
「さあ、ガッツリ揚げるぜー!炒めるぜー!」
ベースをケースにしまって私に渡すと、慶次くんが腕まくりをした。慶次くんは主に揚げ物や炒め物の担当。揚げ物や炒め物のサウンドに元ロッカーの血が騒ぐらしい。あんまり関係ない気がする。ちなみに中華料理店でのバイト歴が長いので味は保証できる。
やっぱりメインはお昼のお弁当だけど、夜ご飯を買っていく人もそこそこいる。仕事帰りのサラリーマンとか、塾に行く前の高校生とか。テーブルひと席、壁に面したカウンター三席のこじんまりしたイートインスペースで食べていくお客さんもけっこう多い。お茶とお味噌汁のサービスがつくのは嬉しいのだろう。
私はお客さんが入り始めるまではテーブル席でお茶を飲みながら勉強したり本を読んだりして、お客さんが入ってきたら片付けてレジに立つ。慶次くんのベースは邪魔にならないところに立てかけておく。
私は神童だから、春にレジの使い方をマスターしていた。初めてのお客さんはギョッとする。でも私の鮮やかなレジ捌きに感動して、次からは安心して任せてくれる。それがけっこう嬉しい。
「はいはい、あんたはヤケド気をつけてよほんとに」
調子に乗りやすい慶次くんはすでに一回、とんかつを揚げているときに腕にそこそこのヤケドを負っていた。パートのよし子さんにおだてられてエアベースをしていたら、振り上げた手が揚げる前のとんかつを入れてたバッドにガツンと当たり、衣のついたお肉が次々と勢いよく油のプールに飛び込んで飛び散った。
皮がベロンて向けてピンクのお肉が剥き出しになっていたのはけっこうなグロ映像だった。でも本人は、「とんかつに負けちまったよー。これじゃとん負けだねえ」と面白くない冗談を言ってヘラヘラ笑っていた。その傷跡は腕に残っていてたまに入れ墨と誤解される。銭湯とかに入るときに困るとグチっていた。
「うっす!」
「いつも返事はいいのよね。返事だけは。あんた、ちゃんと就職先探してんの?」
「ああー、風の向くままに」
「もう、うちを手伝ってくれるのはいいけど、そんなにお給料出せないからね」
「それはだいじょぶよ、こう見えてもそこそこ蓄えはあっからさ」
「そう言ってあんたは、気が付かないうちに無一文になってんのよ」
「うへえ、怖いこと言わねえでくれよ」
そう、慶次くんはいろいろあって一年くらい前から無職。それまではなんと、三年間メジャーでバンド活動をしていた。ハートショッカーという、名前を言えばだいたいはピンときて、有名曲を口ずさめばほぼ誰もがああ知ってる知ってる!となるくらい有名なバンド。テレビの音楽番組にも何回か出ていたし、有線放送でも曲が流れていた。
そんな人がこんな田舎の弁当屋にいるなんてみんなツユとも思わないわけで、慶次くんを見て驚くお客さんは多い。慶次くん目当てで常連になってくれたお客さんもいる。
慶次くんは目立たがり屋だから、店番をするときも別にマスクとかサングラスとかで顔を隠したりしない。ハートショッカーの人ですよねと聞かれれば、そっすよと気軽に返事をする。でも名前まで呼ばれることはあまりない。なぜならベースだから。
だから名前を呼ばれると狂喜する。こんなふうに。
「あの、ひょっとしてハートショッカーのベースの、新堂慶次さんですか!?」
お店に入ってきたお姉さんに呼び止められると、レジの奥にある厨房に入ろうとしていた慶次くんが満面の笑みで振り返った。
「そっすよー!」
しかも呼んでくれたのが化粧は厚めだけど美人のお姉さんだったから、もうわかりやすく鼻の下を伸ばしている。ついでにおっぱいも大きい。慶次くんの目はわかりやすくそこに向き、デレデレという擬音が頭の上で踊っている。
「ですよねー!カッコいい人いるなーって見てたらあれそうかなって思って、ついお店に入って声かけちゃいました!」
「マジっすか!?いや嬉しいなあ!」
デレデレしているのを見て、なんか面白くない気持ちになってくる。こう、友だちが私とあんまり仲良くない子と楽しそうに話しているのを見ているような感じ。
「今はここで働いているんですか?」
「そっすそっす!親の代からやってる弁当屋で、姉ちゃんが二代目。今はその手伝いっす!」
「ええー、すごーい!」
さり気なくボディタッチをされて、慶次くんはうへへと笑っている。男のひとって感じがして、なんかイヤ。
「慶次さんの作ったのもお弁当になっているんですか?」
「もちろん!揚げ物と炒め物、中華屋でのバイトは長いんで味は保証できますよ!」
「ええー、じゃあ買わなきゃ!ちなみに慶次さん、お仕事って何時までなんですか?」
「日によるけど、だいたい二十時くらいまでかな」
「あの、もしよかったらそれからちょっと飲みに行ったりとかって…」
「えっ、いいんすか!?もちのロンロンです!」
「やった、嬉しーい!あっ、じゃあ連絡先とかって交換してもらっても」
「あっ、はいはい。ちょっと待ってねえ」
スマホをかざしあってピロリンと連絡先を交換している。スマホの間に下敷きを手裏剣のように投げて妨害できないか考えたものの、どうせ怒られるだけなのでやめた。
「これ名前は、カスミちゃんでいいのかな?」
「はい、そうです!三森カスミです!」
「オッケー!」
「じゃあ楽しみにしてまーす。お仕事終わったら必ず連絡してくださいね!待ってますから!」
「うん!待っててね、カスミちゃーん!」
にこやかに手を振ってお店を出ていくカスミちゃんは、けっきょくお弁当を買っていかなかった。お店を出た瞬間に顔からスッと笑顔が消えて、思い詰めたような表情になったのもちょっと気になる。
「いやあ、春だなあ」
「アバダケダブラ!」
スマホを眺める慶次くんの顔があまりにもだらしなくて、手に持っていた消しゴムを投げつけると見事におでこに当たった。
「イテッ!もう琥珀ー、死の呪文は人に使っちゃダメだゾっ!」
スタッカートがきいて、ついでに星マークまでついていそうな語尾にため息をついた。あのお姉さん、絶対なにか企んでいる気がする。ただの慶次くんのファンではないと思う。コナン君で言うと全身真っ黒の犯人状態くらい怪しい。
でも鼻の下を伸ばしたドスケベ慶次くんにそんなことを言っても無駄なのでやめた。
そして後日、週刊誌に慶次くんの記事が載った。ラピスラズリと一緒に。
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