03.明かされた正体

 女武人・白雅を雇い入れ、少年と護衛隊長は山を降りることにした。武人が少年を背負って歩く。


 足元の落ち葉がカサリと音を立て、湿った土の匂いが鼻をくすぐる。岩を避けながら歩くたび、武人の背中に少年の重みがじわりと伝わった。


「なぁ、護衛さん。アンタ、名前は?」

「……景葵(ケイキ)」

「ふーん。少年は?」

「無礼だぞ、白雅」


 仮にも雇い主であり、景葵の主たる少年に対して取る態度ではない。景葵は顔をしかめたが少年はどこか興味深そうに白雅を見た。


「いい、景葵。僕の名は灯李(トウリ)だ」

「へぇ。この国の王太子と同じ名前だな」


 白雅にしてみればなんの気なしに口にした言葉だったが、途端に灯李の顔が曇った。


「……それは僕だ」

「へ?」


 白雅は思わず呆気に取られた。誰が、なんだと?


「……まさか、この国の王太子って、あの『病弱』の──」

「そうだ」

「……へ?」

「僕が灯李だ」


 景葵に背負われていながらも、灯李はどこか尊大に名乗った。白雅は愉快そうに笑う。


「へぇ。人は見かけによらないもんだ。じゃあ病弱っていうのは手足のことか」

「お前が言うな。あれほどの手練れの正体がまさか女とは思わなかった……というか、僕が王太子だと知っても変わらないんだな、お前は」


 白雅はニカッと笑うと灯李の頭をクシャクシャと撫でた。灯李は目を丸くしている。


「私は外国の人間だからな。雇われる相手が王太子だろうが庶民だろうが関係ない。もちろん金で雇われた以上、仕事はきっちりやるが、それで差別はしない。まぁ、それらしくしていろって言うなら、そうするけど」


 どうする? と視線で問われた灯李は、少し迷ってから首を横に振った。


「王宮ならまだしも、ここは外の世界だ。今のままでいい」


 主のその返答に、景葵は思わず口を挟んだ。


「殿下、しかし……」

「景葵、僕が許すと言ったんだ。構わないだろう?」

「……御意」


 景葵は渋々納得した様子だった。白雅に出会ってからの灯李はとても楽しそうだ。それをむざむざ取りあげてしまうのは忍びないと思う一方で、主に対する態度ではないと簡単には納得できないでいるのだ。


 その葛藤が手に取るようにわかってしまい、白雅はカラカラと笑った。


「景葵は真面目だな。アンタ、部下から慕われはするけど、実は友達少ないだろ? 近寄りがたいとか言われてさ」

「余計な世話だ」


 図星だった景葵は憮然として返したが、白雅は構わず喋り続けた。


「だけどアンタたち、いい関係だな。景葵の忠誠の在処なんて聞かなくてもわかるし、灯李も景葵を信頼しているみたいだし。そういうのって、なんかいいな」


 向けられたてらいのない笑みに、景葵はわずかに頬を赤くした。

 白雅がふと口を閉ざすと、その横顔の整い方に景葵は一瞬だけ目を奪われる。途端に気まずさが胸に広がった。


「あ、そうだ。疲れたら言えよ? 灯李は私がおぶってやるから」


 しかし、発言でいろいろと台無しにしかねないヤツではある、と景葵は思った。


「馬鹿を言うな。女の背におぶされというのか? この僕に」


 羞恥に顔を赤くして言い返す灯李に、白雅はニヤリと意地悪な笑みを浮かべた。


「庶民の子供は、そうやって母親の背中におぶさって大きくなるんだ。灯李にはいい経験だろう」

「僕は庶民じゃない」

「王侯貴族の子供も庶民の子供も変わらんさ。まぁ、そう遠慮するな」

「遠慮ではない!」


 子供にしては整った顔を真っ赤に染めて怒鳴られてもまったく怖くなどない。逆に子供らしくて可愛いと思うくらいだ。


 白雅は笑って灯李の頭をもう一度クシャリと撫でた。途端に灯李の表情が曇る。


「……お前は」

「ん?」

「お前は僕が怖くないのか? 僕に触れて病がうつるとは思わないのか?」


 白雅は一瞬、灯李の目を見つめた。そこにあったのは権勢を誇る者の色ではなく、ただひとりの少年としての怯えだった。


 次いで柔らかな笑みを浮かべると、白雅は手を伸ばして灯李にそっと触れる。


「もしかして、ずっと気にしていたのか? 怖くなどないさ。当たり前だろう。それは人から人にうつるような代物じゃない」

「……典医もそう言った。だが、人は僕の傷を見るといい顔はしない」

「人は正体のわからないものを恐れるからな。私の容姿がいい例だ。大丈夫。灯李を怖がったりはしない。だから灯李も私に触れても大丈夫なんだからな?」


 無遠慮に、だが優しい手つきで頭や背を何度も撫でられて、灯李は思わず呆気に取られた。こんなに人に触れられたのは景葵以来だった。温かくて、どこまでも優しい。灯李の気が変わった。


「景葵」

「はい」

「交代だ。白雅と代われ」

「おっ。よし来い、灯李」


 背中を向けた白雅に両手を伸ばしておぶさると、灯李は嬉しそうに目を細めた。


「殿下、私はまだ疲れてはおりませんが……」

「遠慮するな、景葵。交代でいいだろう?」


 ニカッと笑った白雅が灯李を擁護する。幼い主の嬉しそうな顔を見て景葵は納得した。灯李がいいのなら、それでいい。


「落とすなよ」

「当ったり前」


──まったく、殿下は人を困らせる


 だが、その笑顔を見られるなら、悪くない。釘を刺してから景葵は気づいた。大切な主を任せるくらいには、己がすでに白雅を信用していることに。


 白雅はなんというか人を警戒させない人間だった。頭から爪先まで外套を被っていて、どこからどう見ても立派に不審人物だというのに。


 不思議なヤツだと景葵は思った。


「灯李、眠かったら寝ていい。まだ麓までだいぶあるしな」

「わかった」


 白雅は灯李を背負ったまま、落ち葉を踏みしめて歩いていた。湿った土の匂いが、薄日さす山道に静かに満ちていた。


 木々の間から、斑模様の光が山道に落ちる。時折、風が枝葉を揺らしてカサカサと音を立て、谷間からは水音がかすかに響いた。


 山道の匂いと優しい木漏れ日の中で、灯李の重みが白雅の背に静かに預けられた。少年の穏やかな寝息が、山の静けさに溶けていく。


 寝た子を起こさないように景葵と白雅は黙ったまま歩き続ける。ときどきは小声で会話をした。


「白雅」

「ん?」

「殿下のこと、感謝する」


 その言葉に、白雅は淡い微笑を浮かべる。それは剣を振るう姿からは想像できないような柔らかい表情だった。


「なんの話だ? 景葵。私は私のやりたいようにやる。それが今回はたまたま灯李の心情と合致しただけさ。なにも特別なことじゃない」

「そうか」


 相変わらず無表情の景葵だったが、どこか嬉しそうなのが白雅にはわかった。コイツ、案外わかりやすいヤツかも。白雅はそう思った。


「アンタみたいなのがこの子の傍にいるとわかるとホッとするよ。この子には理解者が必要だ。病気のことにしてもそうだが、この子は王太子だろう。おそらく周囲の人間はこの子を利用しようとする。そんなときに頼れるヤツの一人や二人はいないとな」

「俺をおだてても、なにも出んぞ」

「そういうつもりじゃないさ」


 白雅は小さく肩を竦めた。


「お前は……」

「ん?」

「お前は剣を捧げる主を持つ気はないのか? それほどの腕前ならば、どこに行っても重宝されるだろうに」


 景葵のその素朴な疑問に、白雅は自嘲気味に笑った。


「いくら腕があっても、こんな見た目をしたヤツの忠誠を欲しがる酔狂な人間はいないさ。せいぜい化け物呼ばわりされるのが関の山だ。生きていくのに不都合でもあるしな」

「そういえば日光に弱いと言っていたが……」

「あぁ。だから日中はこうやって全身を覆う外套が手放せないうえに、日焼け止めの塗り薬を使っている。この国は一年中気候がよくて幸いだった。暑い国だとこの格好ではそれだけで死にそうになる」


 それはことのほか大変そうだ、と景葵は思った。確かに白雅の肌は透き通るように白く、日光に弱いというのも頷ける話だった。薬草や毒や医術に詳しいのも、生き延びるために必要だからなのだろう。


「お前のような人間は、外の世界にはどれくらいいるんだ?」

「少ないな。稀にはいる。だが、たいがい長くは生きられない。迫害されたり殺されたり、周りがその生存を許さないのさ」

「……お前は?」


 想像以上に厳しい答えに、景葵はサッと顔色を変えた。だが、白雅は実にあっさりとしたものだった。


「私は出会った人間がよかったからな。幼い頃に偶然出会った旅の武人に頼み込んで、武の腕を磨いた。その武人に連れられて長いこと旅をしたんだ。あとは生きるために必死だった。旅先で出会った呪術師や薬師に、勉強のために弟子入りまでさせてもらったしな」


 おそらくどの『白い子供』よりも長生きするぞ。そう言って朗らかに笑う白雅に、景葵は痛ましさを覚えつつポツリと呟いた。


「そうか……世界はお前たちに優しくないんだな」


 顔に似合わぬ景葵の台詞に、白雅は思わずブハッと吹き出した。


「……なんだそれ。景葵って見た目によらず夢想家なのか?」

「失敬な。俺は思ったことを口にしただけだ」


 だから、そう考えること自体が夢想家なのではなかろうか。白雅はそう思ったが、景葵が真剣に言っていることがわかるので、思うだけに留めたのだった。


「気にしてくれてありがとうな、景葵。だが、あいにくとそこまでヤワじゃない。私は生き汚いんだ。たとえ明日、世界が終わると言われようが、泥水を啜ってでも最期まで生きようとするだろうな」

「そうか」

「それにだいたいなぁ、こういうことは酒でも飲みながら話すものだ。素面でするもんじゃない」


 照れたように白雅が顔の前で手を振ると、景葵はわずかに目を瞠った。


「酒、飲めるのか?」

「実は結構強い。今度試してみるか?」


 挑むような白雅の視線を受けて、景葵はニヤリと口端を吊りあげた。


「いいだろう。吠え面かくなよ」

「誰が……それよりも景葵」

「あぁ。来たな」


 少しずつ彼らに近づいてくる気配。刺客だ。


「殿下を頼む」

「わかった。護衛隊長さんのお手並み拝見といくか」


 景葵は腰の長剣に手をかけた。気配を読んだ限りでは刺客の数はそう多くない。おそらくは温泉で襲ってきた連中の仲間だろう。


 彼の剣は、余計な気合もなく、風の線を引くように振りおろされた。それだけで、刺客は斬り伏せられていた。


 白雅は軽く目を瞠った。なんという剛剣。しかも速い。景葵の剣は直線で、無駄がない。柄を握る手はまったく揺らがず、黒い影が流れるように斬り抜けた。


 その襲撃を皮切りに、刺客が次々と押し寄せてくるも、白雅は灯李を背負ったまま、まるで風のように身体を傾けて刃を避ける。その間にも一人、また一人と、刺客は景葵に斬られて倒れていった。


「貴様ら、どこの手の者だ?」


 最後の刺客は答えない。だが、逃げるという選択肢はないのか、ジリジリと距離を詰めてくる。


「ふぅん……どっちにしろ韋煌国の手の者であることに間違いはないみたいだな。紅煇(コウキ)王の命令か?」

「!?」


 突然の白雅の言葉に動揺したのは景葵だけではなかった。刺客に焦りの色が見え始める。


「その剣筋には見覚えがある。上手く隠してはいるみたいだが、長年の癖というのはそう簡単には抜けないからな」

「くっ……」


 その言葉に、刺客の目に恐れが浮かんだ。次の瞬間、その男は踵を返して逃げ出した。


 白雅は懐からなにかを取り出すと、刺客に向けて無造作に放つ。声もなく倒れた刺客に景葵が駆け寄って息を確認するも、刺客はすでに事切れたあとだった。


 その首筋には、柄に複雑な意匠の施された短剣が突き刺さっていた。


 白雅はそれを見下ろし、目を細めた。外套の奥で白い髪がわずかに揺れた。その白は燃え尽きた灰ではなく、すべてを飲み込む雪の色だった。


 過去の影が、静かに甦った。

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