思春期のエロ•グロ

スミンズ

思春期のエロ・グロ

 1


 僕は桜井さんが好きだ。その気持ちは小学校の低学年だったときから変わらない。けれど中学生になった今、僕は桜井さんをいやらしい目でみるようになってしまった。


 ふと、桜井さんがなにかを拾おうとして屈んでいる時に、襟元から覗くふたつの膨らみを見つめてしまったり、そこから発展して彼女の裸の姿を想像したりした。そんな自分がとても穢らわしく感じて、嫌になる。


 そんなある日、学校の廊下で桜井さんの友人の冴木さえぎさんから声をかけられた。


 「ねえ、美濃くんさあ。ここ最近、ずうっとミナちゃんのことを盗み見てるよね?」


 僕は事実をズバッと指摘されてしまったので、反射的に「いや、そんなこと無いよ」とみえみえの嘘をつく。


 「そんなわけ無い。この前、美濃くんがミナちゃんのスカートがはだけたときに、ガン見してるのをみちゃったからさ。それにいっつも、胸元なんかを覗き込んでいるのも知ってるよ?」


 僕は口ごもる。思わず下を向く。


 僕のスクールカーストの順位はかなり下だ。肯定や否定を堂々とするほどの立ち位置に無いので、冴木さんの次の言葉をただ、俯きながら待つ。


 「ミナちゃんにはね、好きな人がいるの。だからさ、美濃くんみたいな陰キャがさ、じろじろとみないでほしいんだよね。気持ち悪いから」


 僕はそのままの体制のまま、その言葉を受けるなり、すうっと血の気が退いていく感覚がした。


 桜井さんに好きな人がいる。


 僕は陰キャで気持ち悪い。


 クラスでの冷遇に慣れていた自分でも、このふたつの言葉には堪えた。なんとか立っているような状態で、僕は両手をグッと握った。


 ああ、これは穢らわしい僕への罰なんだ。そう思い込もうと僕は必死に脳内の回路を繋ごうとしていた。


 2


 私はミナちゃんが好きだ。女が女を好いてしまうことをレズビアンというみたいだけど、きっと私はそうなんだろう。


 昔はそんなレズビアンへの風当たりが強くて、隠れて生きていないと行けなかったと先生は言っていた。


 だが私は、今だってそういう同性愛と言うものを素直に受け入れられる人間はごく一部だと思っている。


 だから、必死にレズビアンであることを隠して生きている。


 だが、必死に隠し続けた挙げ句、ミナちゃんへの愛が圧力鍋の中のカレーのように煮えたぎった私は、クラスメイトの美濃くんに酷い嘘をついてしまった。


 「ミナちゃんにはね、好きな人がいるの」


 これは全くの嘘だ。少なくとも、ミナちゃんが好きな人がいるという旨の話をしたことはないし、匂わせたこともない。


 そしてそれに附随して吐いた暴言。はだけたスカートを覗いた、とか胸元を見てた、とか……。


 そんなの、好きな人の部位を見つめてしまうなんて当たり前じゃないか。私だって友達としてミナちゃんと話すとき、その整った彼女の顔を無意識に見続けているじゃないか。


 私は行ったそばから後悔した。俯きつつ、「そう、だよね」と呟いた美濃くんの姿が忘れられない。


 私は、一体どうすればいいんだろうか。そんな考えを巡らせるうちに、ひとつだけ解法みたいなものがあることに気がついた。


 3


 友達のサエから、驚くような告白をされたのは、今日の帰宅路でのことだった。要約するとこんなことを言っていた。


 ・実はサエはレズビアンで、私のことが好きである。


 ・そしてクラスメイトの美濃くんも私のことが好きであり、それを良く思わなかったサエが私に好きな人がいる、陰キャが私をみるな、という旨の嘘と暴言を吐いて美濃くんの恋路を屈曲させようとした。


 私はその全てが初めて知らされたものだったので、脳内のキャパシティが限界に至った。サエを置き去りにして、走って帰ってきたのだ。


 自室の机にある500mlのペットボトルのサイダーを口に流し込むと、ふうっと息を吐き出してベットに横になる。


 サエがレズビアン。


 確かに、サエは時折、同性同士とはいえかなりスキンシップが激しい時があるとは思っていた。それがレズビアンから来るものだとは正直思ってなかったし、私は素直に言うと、それがそこから来るものだとは思いたくなかった。


 私は正真正銘の異性愛者だ。LGBTQが叫ばれる現在であるが、私にはその気持ちが全くわからないし、同性とのそういうのは友情であって欲しいという、ある意味時代錯誤な感情を持っている。……いや、実際は現代でもみんながそういう思いを持っているのではないのだろうか?


 そしてもうひとつの驚きの事実。


 美濃くんが私を好いてくれている。


 これは正直、結構嬉しかった。クラスでもかなり静かで、何を考えているのかわからないところもあるけど、先生やクラスメイトがなにか落としたり、忘れたりしたらさりげなく拾って来てくれたり、掃除当番のときにやけに丁寧に掃除をする姿を目撃していた。


 私自身は、彼への恋愛感情と言うものを持ち合わせてはいなかったが、少なくともクラスの中では一番と言っていいくらいには好意的に思っていた異性だ。あちらが「付き合って下さい」と直接言ってくれるのならば、うん、と頷くだろう。


 そんなことを思っていたらやけに美濃くんが気になってきてしまった。私は頭に敷いていた枕をギュウっと抱き抱える。


 すると、自室の部屋の扉をノックする音が聞こえた。恐らく母だろう。私は枕をポンとベットに投げ身体を起こすと、「はーい。いいよ入ってきても」と返事をする。


 すると、母は声も発せずに、なにやら神妙な顔で部屋に入ってきた。なにか怒られるようなことをしただろうか。私は記憶をたどる。しかし何も思い付かない。


 だが、母が手にしているノートブックを見て、すぐに状況を把握できた。


 それは私が集めたグロテスクな写真やイラストを切り抜いて貼ってあるノートブックだった。


 「南、このノートは一体何なの?」


 熱を殺したような冷たい親の声に、私は息を飲む。


 私は小学生の頃から、グロテスクなものに惹かれる節があった。戦争の残劇を書いた絵、記録写真。悶え苦しむ様を捉えた動画。単純にそれらを、平和に暮らしている私にはなんだか現実味の無い世界のように感じて、好んで観るようになっていた。


 勿論、誰かが死ねばいいとか殺したいとか、そういう思いを持ったことはないけど、死というのは、何故こんなにも美しく恐いのだろうか。そんな気持ちをいつも持っていた。だから、心に刺さったイラストや写真をノートにスクラップして、机の引き出しの奥に保管していたのだ。


 それを母は見つけた。私の部屋を漁って。


 「こんな趣味の悪いこと、しちゃ駄目じゃない!せいぜい、アイドルの載った雑誌くらい出てくるのかなと思ったけども、こんな。まともじゃないよ?」


 母はそう言いはなった。私は、心の奥の何処かに、その言葉が強く引っ掛かったようだった。息苦しくなる。


 「ねえ、なんかいったらどうなの?」


 私は何一つ上手い返しが思い付かない。どうしようもなく、手元にあった枕を母に投げつけると、裸足のまま部屋を駆け出した。


 思春期の私たちの心を勝手に漁るんじゃねえよ!


 私は勢いのまま玄関を開けると、外へ飛び出した。


 乱雑に履いた靴をパタパタ言わせながら、もう暗くなった住宅街を、目的もなく走る。なんだか切なくて、靴を履き直すのすら億劫だった。


 すると公園に通りかかった。そこで私は、街灯の下のベンチに腰をかける、学生服を着た同世代の男の子を発見した。


 それは間違いなく、美濃くんだった。


 4


 「美濃くん!!」大きくはないが、響く声が僕の脳裏を貫いた。


 振り向くとそこには桜井さんがいた。


 街灯に照らされた彼女は、何故だか全体的にやつれている。部屋着のまま、どういうわけか家から飛び出してきたような格好だ。


 「桜井さん…」僕は冴木さんからの今日の言葉を思い出す。思わず僕はベンチを立ち上がり桜井さんの反対側へ逃げようとする。


 「待って!」すると桜井さんは突然走って後ろから僕の腰辺りに抱きついてきた。


 「お願い。美濃くん。話を聞いて!」


 僕は振り向いて桜井さんの顔を見る。とても思いやられたような顔をしている。僕は静かに頷いた。



 僕らはベンチに、少し間をおいて腰掛けた。


 少しの間、静寂が流れたあと、桜井さんはポツリと喋り始めた。


 「ねえ、なんで美濃くんはこんな暗くなったのに、家にも帰らないで公園で一人で佇んでいたの?」


 「それは……」僕は言葉を詰まらせる。


 「もしかしてさ、私のせいじゃない?」


 僕は静かにはにかんだ。


 「ああ、冴木さんから聞いたんだ?僕がいつも桜井さんをいやらしい目で見ていること」


 「え、なんのこと?」桜井さんは不意を突かれたような顔をして驚いていた。


 「え、違うの?」僕は早とちりしてしまったと、顔を熱くして下を向く。


 「違うよ。その……、私をいやらしい目で観ていたって話は後でしっかり聞くけども……。実を言うとね、サエ、美濃くんに嘘を言っていたんだよ」


 「嘘?」


 桜井さんは頷く。


 「私に好きな人がいるっていうの、あれは丸々嘘だよ」


 「え?」僕は安堵と同時に、それを上回る疑問を持つ。じゃあ何故、冴木さんはそんな嘘をわざわざついたのだろうか?


 「ねえ、美濃くんって口、固いよね?」


 「口?」


 「固いよね?うん、まあ美濃くんなら大丈夫だろうな」そういうと桜井さんは一人で納得したような顔をした。


 「美濃くん。これから喋ることは私たちふたりの秘密にしてね」桜井さんは圧のある顔でそう言ってきた。


 「わかった。秘密にする」僕がそう言って頷くと、桜井さんはようやく緊張した顔をほぐした。


 「ありがとう。とりあえずは、美濃くんがサエから嘘と暴言を受けたことに関してだけどさ、それは私から謝っておく。サエも物凄く後悔していたから、できれば許してあげて欲しい」


 「うん。わかった。けども、なんで冴木さんはそんな嘘をついたの?」


 「それが、まあこの話で秘密にして欲しいことなんだけどもね。実はサエって、レズビアンなんだよ」


 「レズビアン……。同性愛者ってことか」


 「そういうことだね。それで、サエちゃんは私が好きだったみたいなんだ」


 「……!っていうことは、もしかして冴木さんが嘘をついた理由って……」


 桜井さんは頷く。そう言うことだったのか。僕は思わず頭を抱える。


 「でもね。正直、サエからそういう風に思われていたっていうの、ショックだったんだ。私は友達としてサエといたいと思っていたから。それに私は異性愛者だからさ。差別っていわれるかも知れないけど、私は同性に恋愛することは絶対に無いから」


 「そうだよね。そう思ったって仕方がないよね……。それでも、やっぱり友達として冴木さんは好きなんだよね」


 「勿論」桜井さんは強く頷く。互いに大切に思っているのに、思い方が違う。僕にはその辛さがわからないけど、なんだか息苦しいことはわかる。


 「それじゃあ、さっき思い詰めたような顔をしてたのも、そのことで?」


 「それは別件なんだ」そう言うと桜井さんは、履き損ねていた靴を、履き直しながらポツポツと言葉を紡ぐ。


 「私が部屋着のまま夜道を歩いていたのは、お母さんと喧嘩して家出したからだよ」


 5


 私はスマートフォンを取り出すと、ある一枚の写真を美濃くんに見せる。この前撮った、道端で死んでいた雀の写真だ。


 他の鳥類か、はたまた野良猫にかじられたのか、内臓が飛び出していた。


 美濃くんは少し顔をしかめながら、息を呑む。


 「これは?」


 「私がこの前、帰宅中に撮ったの。こういう写真を気に入って、ノートに貼って集めてるんだ。悪趣味でしょ?」私はあえてそう訊ねてみる。


 「確かに、僕はできればこういうのは観たくないかな」


 「ごめん。普通はそうだよね」私は慌ててスマホをしまう。


 すると、美濃くんは予想外な返答をした。


 「でも、桜井さんはこれを自然の一部だと感じて、写真に納めたんだよね?」


 私は美濃くんを見つめる。


 「……自然か。確かにそうかもしれない。絶景を観てはしゃぐ人と同じだ。何故だか、感動してしまうんだよね」


 「そうなんだ。でもそれって、結局普通なことだと思う。僕はそういうのを見るのが苦手ってだけで、生死と言うのはやっぱり自然の中で一番身近なものだから。実際問題、みんな何かしらの自然災害が起こった時、死者が何人いたかっていうことをやけにきにするもの。怖い、怖いと思っているけど、それって即ち凄い身近なことだから。惹かれたってしょうがないと思うけどもね」


 すると美濃くんは得意そうな顔をした。


 「それは、本音?」私が恐る恐る訊ねると、彼は強く頷く。


 「本音だよ。でもその気持ちがお母さんには理解できなかった。確かに僕もそれはちょっと悪趣味じゃないかなって思う節はあるけども……」


 「悪趣味……」私は少し俯く。


 「でも人の感性なんてみんな違うからさ。グロテスクが好きだからって、友人が死ぬのに興奮したりとか、そういうことは無いでしょ?」


 「そりゃ、そうだよ。死は怖いんだから」


 だから、せめて美しく感じていたいんだ。


 私は、小さい頃に亡くなったペットの犬を思い出す。悲しくて仕方がなかったけど、小さい私は、これから友達は天国へ向かうんだ、とそう思ってなんとか納得したのだ。きっと、死を美しく感じるようになったのはここからだろう。


 「なら、別にその感性を捨てることは無いと思うよ。それに、さ」すると美濃くんはモジモジしながら言葉を紡ぐ。


 「いつの時代も、エロとグロって、物凄く庶民に人気のあるジャンルだと思うんだ」


 真面目なトーンで放たれたそんな言葉に、私は思わず吹き出す。


 「なにそれ」私は笑いながら美濃くんのほうを向き直す。


 「ありがとう。気持ちがスッキリしたよ」


 「それならよかった」美濃くんも笑い返してきた。


 私はそんな美濃くんの顔を観て少し顔を赤らめる。


 私は……!


 すると、遠くからお母さんの声が聞こえてきた。


 「南!」


 私が振り向くと、そこには目を腫らしたお母さんが街灯に照らされていた。


 6


 私は昼休み、ミナちゃんに呼ばれてグラウンドの隅っこにある鉄棒の付近に向かった。


 すると既にミナちゃんはそこに立っていた。


 「ごめんね、サエ。急に呼び出したりして」


 「ううん、全然だよ」私はできる限り自然体を装いつつ、首を横に振る。


 ミナちゃんも恐らく平然を装おうとしているのだろうけど、顔が少し強張っていた。きっとこれから、私に言わないといけないことがあるから緊張しているんだろう。


 「サエ。まずは先に謝っておこうと思うんだ。昨日は逃げてごめん。正直、頭の整理がつかなかったんだ」


 「いや、なんもだよ。私こそ、混乱させるようなことを言っちゃった」


 「それはいいんだよ。それで、サエからの告白の件なんだけどさ……。私は友達としてサエは大好きだけども、やっぱり恋愛は異性の人としたいんだ。ごめん」


 「そう、だよね」私は歯切れ悪く返答する。


 「あともうひとつ。昨日のこと、美濃くんに全部話したから。美濃くんもかなり落ち込んでいたから、全部話したほうが美濃くんにとってもサエにとっても良いと思って」


 「全然。逆にありがとう」正直、そうなることを望んでいたのだ。


 「でも、ひとつだけ気になっていることがあるんだけどもさ……。なんでサエは美濃くんにあんなことを言って牽制したの?自惚れてるようで嫌だけど、私に好意を寄せてる人って、恐らく何人もいると思うんだよね。それなのに、特に目立ってもいない美濃くんを何故対象にしたんだろうって」


 私は顔をしかめる。小さく息を吐いて、口を開いた。


 「それは……。恐らくミナちゃんって、無意識かも知れないけど、かなり美濃くんに好意を寄せていたから」


 「私が、美濃くんに好意を?確かにクラスにいる男子の中では一番ってくらい気に入ってる人だけど、それは恋愛的な好意では無かったよ」


 「違う。きっとそれは恋愛的な好意だよ」


 するとミナちゃんは考えるような顔をする。


 「確かに、クラスでよく美濃くんの行動を観察してたかも。掃除を頑張ってる姿とか、何気ないシーンを見て、いい人だなあ、なんて思っていたし。美濃くんが私を好いているとわかったとき、沸騰したように顔が熱くなった」


 真面目な顔をしてそんなことを言うミナちゃんを観て、私は思わず顔を崩して笑ってしまった。


 「え、なんで笑ってるの?」


 「だって」


 私は全て振りきれたような感情で、大きく吐き出した。


 「ミナちゃんって、小学生みたい」


 私は、振られたショックの感情をぶち当てるように叫んだ。


 「え、どういうこと!?」


 慌てふためくミナちゃんを見ながら、私は思った。


 こういう、単純な性格だから、私はミナちゃんに恋をしたのだろう。だけども、それは即ち、美濃くんと似た者同士と言うことでもある。


 色々卑怯な私としては、これは美濃くんに完敗だと言わざるを得ない。


 「ううん。私さ、やっぱりミナちゃんと美濃くんってお似合いだと思うんだ。だから邪魔してしまったわけで……」


 「そう、かな?」ミナちゃんは少し寂しそうな顔をしながら言う。


 「そうだよ。だからさ。私、応援してるから」


 「サエ……」


 「その代わり、ずっと仲良しで居ようよ。やっぱり、どうであろうと私はミナちゃんが好きだから」


 すると、ミナちゃんは力強く頷いた。


 「うん!」


 ……やっぱり、ミナちゃん、好きだなあ。


 爽やかな気分で、私の青春の一コマは幕をおろした。

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