推し活殺人事件⑨

◆第9章 「空のいないステージ」



その日、EVEは国民的音楽番組の生放送に出演予定だった。


午前のリハにはメンバーが揃い、

担当マネージャーはいつものように出欠を確認した。


だが、空だけが来なかった。


「……あいつ、どうした?」


航が小さく呟いたとき、

胃の奥がひどく冷えていくのを感じた。


遅刻ではない。

音信不通だった。


スマホは鳴り続ける。

メッセージは既読にならない。


※前日、航に返さなかった状態がそのまま続いていた。



マネージャーが青ざめて走り回る。


「空が…連絡つきません…!」

「ホテルにも帰っていません!」

「ケータリングにも来てないです!」


スタッフたちは慌てながらも

“表向き冷静”を保とうと必死だった。


だが、誰もが理解していた。


生放送に穴を開ける=芸能界最大級の禁忌だと。



◆航(リーダー)


(やばい……今日だけは来てくれ、空……どうしてだよ……)


昨日、空が限界だと気づいた。

気づいたのに救えなかった自分を責めながら、

心臓が爆発しそうだった。


◆悠真


「なんで出ないの?なんで?」

涙を堪えながらスマホを見続ける。

震える指で何度も電話をかける。


◆理一


沈黙している。

静かだが、額に汗がにじむ。

(これは……本当にまずい)


◆奏多


落ち着いたふりをしているが、膝がずっと揺れている。

(空、怖かったんだよな……逃げたんだな……)



本番30分前、

ついに事務所の幹部がスタジオに入ってきた。


「天城 空は“体調不良による欠席”と発表する。

EVEは4人で出演しろ。」


会議室は静寂に包まれた。


航が震える声で反論する。


「空はそんな…勝手に休むような奴じゃない。

今すぐ探しに……!」


幹部は冷酷だった。


「探すのは出演後だ。

生放送に穴は開けられない。

お前たちはプロだ。」


空のことより“番組の損害”が優先。

それが芸能界の現実だった。


メンバーの胸が一斉に崩れた。




オープニングのライトがついたとき、

EVEは“4人”だった。


画面には、

《天城空:体調不良により欠席》

とテロップが流れた。


SNSは一瞬で大爆発した。



本番が始まると同時に、

彼女らの暴走は加速した。


《え!?空くん今日いないの!?》

《嘘でしょ!?何があった!?泣くんだけど!?》

《体調不良って絶対嘘!!事務所何隠してんの!?》

《誰だよ空くんを追い詰めたの!!》


そして矛先はすぐにEVEメンバーへ。


《航くんが何か言った?》

《理一のあの発言のせい?》

《悠真くん昨日空くんの隣で笑ってたよね?》

《奏多くん冷たかった!絶対メンバーのせい!》


さらにスタッフや関係者へも攻撃が始まる。


恐怖と狂気が混ざったSNSが

秒単位で空の名前を飲み込んでいった。



4人はいつも通りに歌い踊っているように見えた。


だが本当は違う。


・航の呼吸は乱れ

・悠真は涙をこらえ

・理一は一度もファンのカメラを見ず

・奏多は間奏で震える手を必死に押さえた


空のいないセンター位置。

空のパートを4人で分ける不自然なフォーメーション。


その“穴”が、

画面越しでも痛いほど分かった。



生放送が始まった頃——

空は、街の外れの古いビルの階段に座っていた。


スマホを見られない。


通知が止まらない。

ファンからの叫びが止まらない。

メンバーからの電話が鳴り続ける。


胸が苦しくて、

息が吸えない。


(どうしたら……

どうしたらいいんだ……)


初めて人生で、

“これからどう生きればいいかわからない”

という絶望を知った。



家に帰れず、

番組にも行けず、

誰にも電話できない。


天城 空という偶像を演じることが

もうできなかった。


だから、逃げた。


ただ、それだけだった。


でも——

この“ただそれだけ”が、

後の悲劇の直接の引き金となる。



生放送の波紋は、

翌朝、ニュースを埋め尽くす。


・「天城空、突然の欠席」

・「EVE史上初の4人体制」

・「失踪説」「体調不良説」「メンバー不仲説」


事務所は火消しに追われ、

ファンは互いに攻撃し、

メンバーは空を探し続けた。


そして空は——

そのどこにもいなかった。

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