推し活殺人事件④

◆第4章 「誰も、気づけなかったわけじゃない」




空はいつも通りだった。

そう“思いたかった”だけだ。


リハ中、空の声が少しだけ掠れていた。


いつもならすぐ気づいて、

航は何気なく声をかける。


「大丈夫か? 寝れてる?」


しかしその日は言えなかった。

空の表情が、あまりにも perfectly すぎた。


作り物みたいに滑らかで、

感情の皺が一つも見えなかった。


(……笑ってるのに、目が笑ってない)

(こんなの、空じゃない)


航はその違和感を胸にしまい込んだ。


「リーダーが不安になったら、全員がおかしくなる」

その恐怖が、彼を黙らせた。



悠真は誰よりも感情に敏い。


ある日、収録帰りの車で、

空のスマホ画面が一瞬見えた。


SNSの検索欄には

《天城空 病んでる》

《天城空 笑顔が減った》

《天城空 闇深い》


空は画面をそっと伏せた。

何も言わず、微笑んで。


(見られたくなかったんだ…

こんなの、ひとりで抱えてたの?)


悠真は胸の奥がきゅっと痛くなった。


そして気づく。


空が“ファンの目”を怖がっていることに。

愛されることが苦しみになり始めていることに。


でも何も言えなかった。


「聞いていい?」と言えなかった。

“聞いてしまったら壊れてしまう気がした”。



理一は観察者だ。

何よりも“言葉の温度”に敏感だった。


収録後、空の話し方が変わっていることに気づいた。


・語尾だけが不自然に明るい

・褒められると一瞬黙ってから笑う

・質問されると一拍置いて答える


明らかに

“空らしさ”の抜け落ちた返答をしていた。


(これ…マニュアルみたいだな)


そして楽屋で聞いてしまう。


空がひとりで、

鏡に向かって笑顔の練習をしているのを。


「……大丈夫、大丈夫。

笑えてる、笑えてる。」


その声はかすれていた。


理一は扉を閉めた。

見てはいけないものを見たような気がして。


(誰かに言うべきか?…いや、それも違う)

(空の弱さを“暴く”ような真似はしたくない)


葛藤だけが胸に積もっていく。



奏多は、空気の変化に敏感だ。


ステージに立つと、

空の“呼吸”が変わっているのがわかる。


踊っているとき、

本当にわずかだが、

空だけ“遅れている瞬間”がある。


空が踊りを間違えることなど絶対にない。


(……空?

何に追われてる?)


そして、本番前。

暗い袖で空がひとり立ち尽くしているのを見た。


俯いて、胸に手を当てていた。


奏多が声をかけようとした瞬間、

空は気づいて笑った。


完璧な“EVEの天城 空”の顔で。


「なんかね、今日、緊張するんだよね」


空はそんなことを言うタイプではない。

絶対に。


(怖いんだ……

ステージが、ファンが、光が)


奏多はそこでやっと悟った。


空は今、“光に焼かれている最中”なんだ。

人々の期待と愛に溶かされているんだ。



4人とも気づいていた。


気づかないふりをしていただけ。

いや、“気づいても何もできなかった”のだ。


・リーダーは責任が怖かった

・弟は壊れるのが怖かった

・理一は境界を踏むのが怖かった

・奏多は真実を暴くのが怖かった


そして空は、

誰にも頼れない優しさを持っていた。


「EVEは大丈夫。俺がいれば大丈夫。」


その言葉が

メンバー全員の喉を塞いだ。


誰よりも孤独なのに、

誰よりも優しい男だった。



彼らは気づいていた。

だけど言葉にできなかった。


その沈黙が、

空の崩落を止められなかった。


それでも、

まだ誰も思っていなかった。


この歪みが、

やがて取り返しのつかない終わりへ

直結していることを——。

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