少年と竜と、終わりゆく精霊遊戯
赤坂しぐれ(旧:いくらチャン)
第一章『旅団編』
第1話『邂逅』
「今日は……モアイマーケットで野菜が安い日だ。病院の帰りに寄らなくちゃ……うぅ、寒い! そうだ、今日は鍋にしようかな」
冬の足音が聞こえ始め、すっかりと日が落ちるのも早くなった。
既に街灯に光が灯り、夕餉の香りが漂う街を自転車で走り抜ける少年。その籠には配達を終え、予備として入っていた五部の夕刊が揺れる。
「おっ、旺ちゃん! 配達終わりかい?」
「はい! 今日はなんか調子がよくて、自己ベストで配り終わりました!」
「そうかい、そうかい。けど、あんまり無茶したらいかんよ。怪我しちゃあ、響ちゃんも悲しむけえのう」
「はは、大丈夫ですよ! それじゃあ、自転車返さなきゃいけないので、失礼します!」
地域に暮らす老人から旺ちゃんと呼ばれた少年──
「おんや? さっきのは旺馬君かい?」
「あぁ、今日も新聞配達がんばってたなぁ。いつか無茶しすぎて、体を壊さんか心配でなぁ」
「本当に。皐月さん、また体調崩したって聞いたでな。ほら、山田のサっちゃんがこないだ病院で──」
◆◆◆
「ただいま配り終わりましたー!」
「おー、お帰り。なんもなかったかい?」
「はい、無事配り終わりました。これ、余りの分です」
「あいよ。うん、ちょうど五部だね。あと、これ。今月分のお給料」
新聞販売所の所長は茶封筒を金庫から取りだし、それを旺馬へと渡す。
そして、旺馬は受領の書類に判子を押印し、それを受け取ると大事に鞄へと仕舞う。
このやりとりも、もう半年になるからに慣れたものだ。
「本当はもう少し旺馬君にはシフトに入って欲しいんだけどねぇ……色々と決まりがあるから」
「いえ、いいんです。こうやって、少しでも稼ぎができるだけで、十分ですから!」
新聞配達のアルバイトは夕刊に限り、中学生から働く事ができる。
だが、それもあくまでも『学業に支障のない範囲』というものがあり、また配達の賃金もあまり高いものではない。
それでも中学生の身として労働で稼ぐことが出来る、限られた手段のひとつである。
「今日はお母さんの病院に?」
「はい。こないだ行った時に、何か読物をって頼まれてたので」
そういって掲げた手提げ袋には、休日の間に市民図書館で借りてきた本が無数に入っていた。
「そうかい……あっ、ちょっと待ってな」
所長は急いで奥へと引っ込むと、紙袋をもって戻ってきた。
そして、その中から小さな箱を取り出すと旺馬へと差し出す。
「これ、貰い物のお裾分け。お母さん、クッキーとか丈夫だよね?」
「え、良いんですか? ありがとうございます! 母も喜ぶと思います。甘いもの、好きなんで。あぁ、でもどうかな……」
「ん? 病院で禁止とかされてるのかい?」
「いえ、その……母の口に入る前に、妹がねだってそのまま消えてしまうかもと」
「ははは! それは困ったね。じゃあ、妹さんの分も。ほら」
「えっ、ちょ、違います! そういう意味で言ったんじゃなくて……」
「いいから、いいから。ほら、持っていきな。それとも、君の分も増やすかい?」
「け、結構ですから! では、お先に失礼します!!」
そう言いながら次々と袋から小箱を取りだし、旺馬の荷物に積めようとする所長。
旺馬は慌ててそれを制止し、荷物を持って販売所を去っていった。
「ふぅ……もう少し、子どもらしくてもいいと思うんだけどなぁ」
所長はため息をつきつつ、旺馬を見送る。
バタバタと走り去っていくその姿を見つめるその目には、感心と共にどこか寂しさがあった。
◆◆◆
「母さん、起きてる?」
病室に入り、皐月のいるベッドのカーテンを少し開けながら旺馬は声をかける。
既に夕食の時間も過ぎ、同室の者が就寝しているかもと、声を控えめにしていたのだが……。
「あっ、おにいだ! おかえりー」
「こら、響。声が大きいよ。他の人たちが寝てるかもしれないだろ。それに、床にそうやって荷物を置くもんじゃないよ」
ベッドの側には、見慣れたジャージ姿の妹・響の姿があった。
部活終わりにそのまま病院に寄ったようで、足元には大きく膨らんだバッグが無造作に放り投げられていた。
それを拾いあげた旺馬は、隅の方へ自分の荷物と共に綺麗に並べて置く。
「もうー、おにいはうるさいなー。別にいいじゃんかー」
「あのね、響。人様が見ていない所でちゃんとできてないと、その内ボロが出ちゃうもんなの」
「ふふ、お帰り旺馬。今日も新聞配達?」
「うん。今日は御給料を貰ってきたよ。あ、これ販売所の所長さんが母さんにって」
旺馬は荷物からクッキーの入った小箱を取り出すと、それを皐月に手渡そうとする。
だが、それは寸前で横から伸びてきた手によって奪われてしまった。
「やったー! もーらいっと」
「はぁ……やっぱりそれ、やると思ったよ。はい、母さんはこっち。所長さんが、もう一個くれてたから」
「あらあら、大変。所長さんにくれぐれもお礼を言っておいてね。……ごめんなさいね、旺馬。本当は色々とお世話になっているから、直接お礼を言いたいのだけれど……」
「うん、貰った時にもお礼を言ったけど、改めて言っておくね。それより、もう休んだ方がいいよ? あ、これ頼まれていた本だから。また何か必要なら言ってね」
旺馬は本の入った紙袋をベッド脇の棚に置くと、響の分の荷物もまとめて持つ。
「ほら、帰るよ響。帰りにスーパーに寄らなきゃだから」
「はーい。お母さん、また来るね。今度は大会の良い報告をしにくるから!」
「うん、楽しみにしてるわね。二人とも、寒くなってきたから、体に気を付けるのよ?」
「それはこっちの台詞だよ、母さん。何かあったら、すぐに連絡してね。それじゃあ、おやすみなさい」
「おやすみなさい、お母さん!」
「えぇ、おやすみなさい。旺馬、響」
小さく手を振る皐月に見送られながら、旺馬たちは病室をあとにする。
するとちょうど病室に入ってこようとした看護師と鉢合わせ、旺馬は頭を下げる。
「すみません、大丈夫でしたか?」
「こちらこそ、すみません。ぶつかりませんでしたか?」
「はい、大丈夫です。母の体調は……変わりありませんか?」
「えっと……その件で少しお話がしたくてですね。お見舞いに来られていると聞いたものですからまだ居るかなと。いまお時間ありますか?」
「え……? あ、はい」
◆◆◆
『あまり、言葉を濁したり誤魔化しても良いことはないでしょうし、単刀直入に申し上げます。皐月さんの病状ですが……かなり悪くなっております。
最悪の場合、もって半年になるかもしれません。もしもの事を考えれば、お父さんへ連絡を差し上げた方がよろしいでしょう』
深夜。
旺馬は一人近所を散歩しながら、先程担当医から聞いた言葉を思い出し、ひとり物思いに耽る。
皐月は昔からあまり体が丈夫ではなかった。
それもあって、旺馬の父・一馬は子どもを作ることに消極的で、それでも皐月が強く望む形で旺馬はこの世に生を受けた。
そして、医師からもこれ以上の出産は体への負担が大きく、二人目は諦めた方がよいと言われていた。
だが、皐月は二人目を諦めることはなかった。
『親は子どもよりも先に逝くものよ。そんな時に、隣に居てくれるのは兄妹だもの』
自分が長生き出来ないと、そう確信していた皐月は旺馬に残してあげられるものをと、一馬に必死の説得を試みて、そして響が生まれた。
周囲の心配とは裏腹に、皐月は響の出産後も健康で……いや、むしろ子ども達の為に生きねばという執念から、より精力的に日々を過ごしていた。
だが、事態は一変する。
三年前に、皐月は突如として自宅で倒れた。
心臓の病であった。
医師は、『二人目の出産が原因ではありません。むしろ、響ちゃんが生まれたからこそ、皐月さんは気を強く保ち、いままで健康に生きてこられたのです』と一馬に説明した。
しかし、そんな医師の言葉も一馬には信じがたいものであった。
もしも、あの時にもっと強く反対していれば皐月は──という考えが過り、自分でもぎょっとした。
それは、響という皐月との間に生まれた宝物を、自ら否定するようにも思えたからだ。
だが、一度浮かんだ思いは消えることはなかった。だからこそ、その態度は子ども達に……特に響には見せまいと必死に隠した。
だが、既にある程度大きくなっていた旺馬は、その事に気づいていた。嘘をつくことが苦手で、不器用な父の下手くそな気遣い、ということも要因のひとつだ。
なので、あえて旺馬も気づかぬ振りをして、気丈に振る舞っていた。
ただ、子は親に似るもので。
旺馬もまた、嘘を隠すのが下手くそであった。そんな二人の様子に、響が気づかないわけもなく。
昨年の事だ。旺馬は響から問い詰められていた。
『お母さんがああなったのって……私のせいなんだよね?』
普段の元気一杯で無邪気な姿とうってかわって、涙を堪えそう口にする妹の姿に、旺馬はなんと答えれば良いのかと悩んだ。
こんな時に一馬がいればと思うが、皐月の入院費用も稼ぐために全国を飛び回って仕事をしている為、最近では家にいない事の方が多い。
もう響も来年には中学生になる。
下手な嘘や慰めは、響も納得しないだろう。そう考えた旺馬は、なんとか平静を装いながら諭すような声で答えた。
『そうかもしれないし、違うかもしれない。けれど、どっちにしても、母さんは僕達がそんな事を思ってるって知って、喜ぶかい? 違うね?』
『…………うん』
『じゃあ、出来るだけ母さんの喜ぶ事をしてあげようよ。僕たちの出来ることで。響は、走るのが得意だったろう? どうかな。中学にあがったら、陸上部に入ってみるなんて。
それで、一番をたくさんとって、母さんを喜ばせるんだ』
『一番を、たくさん? ……うん! 私、頑張る!!』
そうして、今年中学にあがった響は、陸上部でメキメキと頭角を表し、一年生ながら短距離走の期待のエースとしていまでは地方新聞に名前が乗ることもある。
それを読んだ皐月は大層喜び、響が恥ずかしがると思って隠してはいるが、新聞の切りぬきをスクラップ帳にまとめて大事にしているくらいだ。
自分とは違い、運動神経に恵まれた妹。
母親を喜ばせ、生きる気力の糧に出来るほどに、活躍する妹。
では、自分はどうなんだ?
特筆すべき才能もなければ、学業が優秀でもない。
なんとか勉学は上の方に食らいついてはいるが、それはあくまでも部活動をせず、他人よりも時間を割いて自習している結果だ。
何もない自分。
何者にもなれない自分。
思春期特有の悩みというものは、誰しにも訪れるものである。
だが、不幸にもそれを導いてくれる大人が不足したまま、それでも“大人ぶった子ども”に成らざるを得なかった旺馬は、一人悩むことしかできなかった。
そして、自分で導いた答えが、“妹を全力でサポートする”というものであった。
妹が活躍をしてくれて、それを母が喜んでくれる。なれば、妹が最高のパフォーマンスを発揮できるよう、自分は全力で支える。
そう考えた旺馬は、家事の全てを自分がこなし、妹の必要な部活の用品や遠征費の為にも、新聞配達も始めた。
一馬の稼ぎは少ないものではないが、それでも皐月の入院費の家計への圧迫は大きなものであった。
“家族を支える、よく出来た兄”。
それが周囲から見た旺馬の評価であり、それゆえにどうにか力になってやりたいと、周りも出来るだけの手助けを惜しむことはなかった。
旺馬自身、その事に深く感謝をし、いまの自分にも満足をしていた。
だが、皐月の病状の悪化は、そんな旺馬の心に影を落とした。
もう、あまり長くは持たない。
医師にそう告げられ、響には気づかれまいと頑張って取り繕ってみたが……恐らくそれも無駄であり、気づかれているだろうと、旺馬自身も理解していた。
「はぁ……」
何度目の溜め息だろうか。自分にそう問いかけながら、旺馬はふと空を見上げる。
気分が沈み、ずっと下ばかり向いて歩いていた旺馬は、この時になってようやっと今晩が満月の夜だと言うことに気がつく。
雲の無い空に浮かぶ満月は、まるで笑っているようにも見えて、余計に旺馬の気分を重くさせる。
と、その時であった。
一瞬、視界の端で何かが動いた気がした。
野良猫だろうか。そう思った旺馬が視線を向けると、そこには一本の路地あった。
「あんな場所に……道が?」
この辺りは昔から何かと歩いている場所であり、全ての道を網羅している。そんな自分の記憶の中にない道が存在することに、首を傾げる。
そして、何かに導かれるように、旺馬はその路地へと足を進めた。
普段の旺馬であれば、そんな冒険のような事はしないだろう。
“怪しきは近づくべからず”。
不審者も多い昨今、妹にもよく言い聞かせている言葉であり、堅実な性格の旺馬らしいものだ。
だが、いまの旺馬は何か思考の中に靄がかかったような、ふわふわとしたものになっていた。
未成年の旺馬には知るよしもないが、大人であれば“酒に酔った感覚”だと言うだろう。
ふらふらと路地を進んでいく旺馬。
そして、路地が終わり開けた場所に着くと、眼前に現れたのは小さな……けれども、荘厳な造りの社であった。
満月の光に照らされ、神秘的な姿を見せるその社に旺馬が目を奪われていると、さぁっと風が吹いた。
「やぁ、こんばんは」
虫の声も聞こえない、静寂。
一陣の風と共に旺馬の耳に飛び込んできたその声は、まるで壊れたラジオから聞こえるような、酷くノイズの走るものであった。
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