天国の子ども

樫木佐帆 ks

天国の子ども

ここは、てんごくです。 あつくもなく、さむくもなく、おひさまはいつもにこにこしています。

おなかがすけば、ごはんがでてきます。パンもおにぎりも、アイスクリームも、たべほうだい。

おうちはぴかぴかのまっしろで、へやのなかは、かぜひとつふきません。ベッドはふかふか、トイレもかがみもぴっかぴか。


てんごくのまちには、わるいひとはひとりもいません。 みんな、きれいなふくをきて、しずかにわらって、ゆっくりあるいています。

ごみはおちてないし、おこるこえもきこえません。


「カメラさん、こんにちは」 こどもたちは、まちのすみにあるしかくいばこに、てをふります。

それは、みはりカメラ。どこにいっても、カメラがあなたをみています。だから、わるいことは、だれもしません。


てんごくのこどもたちには、おかあさんとおとうさんがいます。 やさしくて、にこにこして、なんでもおしえてくれます。

でも、こたえはいつもおなじです。


「テストでは、ぜったい100てんをとるのよ」

「おとなのいうことは、ぜったいまもりなさい」


おとうさんもおかあさんも、まいにちおなじことをいいます。 だからこどもたちは、まちがえないように、まちがえないように、きをつけます。

ゆびをならしたり、おおごえをだしたり、おふざけをするのは、いけません。

だって、カメラがみているから。


てんごくのこどもたちは、かがみにむかってわらうれんしゅうをします。 「おともだちに、へんなかおっていわれたくないから」

「おこってるとおもわれたら、おともだちがいなくなるから」


そして、いま、いちばん人気なのは――

「せいけつSNS」。


ひらがなだけで、きれいなことばしかつかってはいけません。 「きたないことば」をつかうと、アカウントがきえます。

もっとひどいと、「てんごくから、でていってください」といわれます。


でも、ふしぎなことがおきはじめました。 あるひ、ひとりのこどもが、てんごくのまちのうえから、とびおりたのです。

つぎのひも、またべつのこが。


「いきてるかんじが、しない」

「ずっと、うそをついてるみたいで、くるしい」


しんぶんにも、テレビにもでません。おとなは、なにもいいません。 でも、こどもたちはしっていました。

てんごくのそらのしたで、なにかがおかしくなっている、ということを。


――そのなかに、ひとりだけ、ちょっとかわったこがいました。

なまえは、ソラ。


ほかのこどもみたいに、かがみのまえでにこにこするのがへたくそで、 おとなのことばをきいても、「なんかちがう」とおもってしまう。

そんなソラは、いつも、そらをみあげていました。


あおいあおい、てんごくのそらを。

そのむこうに、ほんとうのじぶんがいるきがして――。



 ある日、ソラは、がっこうのかえりみちにある「たちいりきんし」のフェンスのむこうがわへ、ふらふらとあるいていきました。


 そこは、てんごくのなかでも、とくにひとがよらない場所。

 つかったことのないこうじょうのあとち。まちのカメラも、そこにはありません。


 フェンスには、「はいってはいけません」のプレートがかかっていました。 でも、ソラはふしぎとこわくありませんでした。

 「ここ、ちょっとくさいけど……なんか、いきてるにおいがする」

 そうつぶやくと、すこしさびたとびらを、きぃっとあけました。


 そのとき――。


 「おまえ、においがわかるのか?」


 やぶのかげから、くろいふくをきたおじさんがでてきました。

 かみのけはぼさぼさ、くつもまがっていて、なんだかへんてこなひとです。


 「だれ……?」と、ソラがきくと、

 おじさんは、ひとさしゆびをあげて、こたえました。


 「おれは、しそうかだ」


 「しそうかって、なに?」 ソラがきくと、おじさんはわらいました。

 「むずかしいことを、むずかしいままにかんがえるひとさ」

 「それって……いいことなの?」


 「わるいことだな、てんごくでは」 おじさんはポケットから、ぐしゃぐしゃになったチョコレートをとりだしました。

 「あまいぞ。たべるか?」


 ソラはおそるおそるうけとり、ひとくち、たべました。 とけかけたチョコは、てんごくのケーキよりも、あまくて、どろっとしていて――。

 なんだか、なみだがでてきそうになりました。


 「これ……なんか、へんなあじ。でも、わるくない」


 「それが、じゆうだよ」

 しそうかはいいました。


 「じぶんでえらんで、じぶんでけつだんして、じぶんでくやむ。

 それがほんとうに『いきてる』ってことなんだ」


 ソラは、わからないながらも、こころがふるえるのをかんじました。 このおじさんは、におう。

 でも、いままででいちばん、ほんとうのにんげんみたい。


 「もっと、はなしがききたい」

 そういったソラに、おじさんはいいました。


 「じゃあ、またあした、きな」

 「でも……カメラがみてたら……」


 「カメラ? あんなもん、そらにむかってるだけさ。 てんごくなんて、ひとがつくった『あんぜんなせかい』ってだけ。

 おまえのこころまでは、うつせやしない」


 その日から、ソラはまいにち「たちいりきんし」の場所にいくようになりました。

 しそうかは、にんげんのこと、れきしのこと、じゆうのこと、いのちのこと、いろんなことをおしえてくれました。


 「てんごくって、しあわせなんだよね? なんでもあるし、あんぜんだし……」

 ある日、ソラがそうたずねると、しそうかはこたえました。


 「それは、だれかにとってのしあわせさ。

 おまえのしあわせは、ほんとうにそこにあるのか?」


 そのとき、ソラははじめて、「じぶんのしあわせってなんだろう」とかんがえました。 きっと、てんごくのほかのこどもたちも、どこかでおなじことをかんじている――

 でも、こたえられないでいる。


 しそうかとのひびが、ソラのなかでなにかをうごかしはじめていました。


 つぎの週、ソラはがっこうで、ふしぎなできごとに気づきました。

 いつもきっちり前をむいてすわっていたハルカちゃんが、ノートにらくがきをしていたのです。


 それも、へんなかお。くしゃっとした、さけんでいるかお。

 先生にみつかったら、おこられる――そんならくがきでした。


 「それ……なに?」とソラが聞くと、ハルカちゃんはすぐノートをとじました。 「べつに……なんでもないよ」

 でも、そのとき、ハルカちゃんの目はすこしだけ、たすけをもとめるようにゆれていました。


 その日、ソラはハルカちゃんを、「たちいりきんし」の場所につれていきました。

 しそうかは、しずかに、でもうれしそうにうなずきました。


 「ようこそ。きみのらくがき、いいね。きたないけど、うつくしい」


 ハルカちゃんは、ぽかんとくちをあけました。 「そんなこと、いままでいわれたことない……」

 「それが、『ほんとうの言葉』ってもんだよ」

 しそうかは、ぼさぼさのかみをかきあげて、いすにすわりなおしました。


 その日から、ふたりはまいにち、しそうかのところへあつまるようになりました。 やがて、ケンタくんも、アヤネちゃんも、つぎつぎとふえていきました。

 ソラたちは、「しずかなざわめき」を胸にかかえたこどもたちを、すこしずつさそっていったのです。


 「てんごくって、なんかヘンだよね」 「SNSこわい。ほんとのこと、いったらしかられる」

 「テストでまちがえると、わたしのせいみたいにいわれるの、つらい」


 しそうかは、にやっとしていいました。

 「それが、『いきてる証拠』さ」


 こどもたちは、おそるおそる、へんなことをはじめました。


 ・あさのSNSに、つぶやきました。「きょうは、しんどい」 ・がっこうのそうじのとき、あえて、すみっこにゴミをのこしました。

 ・先生のまえで、ゆびをならしました。


 さいしょは、ドキドキしてねむれませんでした。

 でも、つぎのひ、まちはいつもどおりで――なにもかわっていないことに気づいたのです。


 「……あれ? てんごくって、もしかして、ウソ?」


 カメラがあるからって、しかられるとはかぎらない。

 だれかのルールを、いつまでもまもっていなくても、せかいはこわれない。


 そのとき、こどもたちの中で、こたえではなく、しつもんが生まれました。


 それは、てんごくのルールではいちばんおそれられていること――

 「かんがえること」でした。


 しそうかは、ある日こういいました。


 「きみたちは、いま、うまれなおしている。 じぶんのこころでかんがえて、じぶんのことばでいきる。

 それは、とてもきけんなことでもある。

 でも、それが――ほんとうの、いのちなんだ」


 ソラは、そのひとことを、しんぞうのうらがわにしまいました。 てんごくは、かわりはじめていました。

 こどもたちの目に、「いきる」という火がともりはじめたのです。



 てんごくの大人たちは、子どもたちのようすに気づきはじめました。

 それは、かすかな風のようなものでしたが、ふつうではない、何かちがう、そんなざわめきが町じゅうにただよいはじめていたのです。


 「このごろ、SNSのことばがにごってきた」 「うちの子が、テストで90点をとったのに、よろこばなかった」

 「子どもたちの目つきが、まえとちがう……」


 うわさは、すぐに広まりました。

 てんごくの“せいしんいくじセンター”には、親たちからの相談が殺到しました。


 「うちの子が、へんな場所にかよっているようなんです」

 「なんだか、しそう……? とかいう人に、あってるみたいで……」


 その名を聞いた大人たちは、いっせいに顔をしかめました。 しそうか。

 むかし、てんごくの“しあわせ教育”に反対したせいで、すべてのSNSと出入り口からしめだされた、いわば「けがれの代名詞」。


 「いますぐ子どもを引き離してください!」 「そんな考え方は、子どもを不幸にします!」

 「このままでは、てんごくがくずれてしまう!」


 大人たちは、あわてて動きはじめました。

 各学校にカメラがふやされ、子どもたちのスケジュールはもっと細かく管理され、スマートSNSは「きれいなことばランキング」をはじめました。


 そして――。

 しそうかがすんでいた「たちいりきんし」のこうじょうあとちは、鉄のフェンスでかこまれ、完全に立ち入り禁止になりました。


 「しそうかは、てんごくのがんです」

 「子どもたちは、ただの迷子です。大人の言うことをきいていれば、またすぐに笑顔にもどるでしょう」


 けいさつのおにいさんたちが、マイクでそう言っていました。


 でも、ソラは、もうしっていました。

 「おとなのことばが、ぜんぶほんとうじゃない」ことを。


 あの、どろどろのチョコレート。 ハルカちゃんのくしゃくしゃのらくがき。

 ケンタくんの「さぼった」そうじ。

 しそうかの、「それでいいんだ」というまなざし。


 それこそが、ほんとうのものに思えたのです。


 「やめろって言われても、わたし、しってしまった」

 「いきるって、じぶんでえらぶことだって」


 こどもたちは、あつまって話しました。 「しそうかに、もう会えないかもしれない」

 「でも、だれかが動かないと、このまま、また――」

 そのとき、ハルカちゃんが、ふっと手をあげました。


 「じゃあ、わたしたちで、しそうかのばしょをつくろうよ」


 しずかに、でも強くそういった声に、みんながうなずきました。


 そして、ソラがつぶやきました。


 「わたしたちの、てんごくじゃない世界を、はじめよう」


 それからの毎日は、いままでよりずっと忙しく、でも自由でした。


 ソラたちは、「しそうかのばしょ」をつくるために動きはじめました。

 もちろん、大人たちに知られないように、こっそり、すこしずつ。


 場所は、町はずれの古いバスの車庫。

 まいにちの学校帰りに、すこしずつ、いらない木材やペンキ、こっそり持ちよった色とりどりの布をはこんできました。


 最初は寒くて、雨もふりこみました。

 でも、誰も文句を言いませんでした。


 「やらされてるんじゃない。わたしたちが、やりたいからやってる」

 ――ソラがそう言うと、みんなは黙って手を動かしました。


 子どもたちはそこで、ルールをひとつだけ決めました。


 「正しさより、ほんとうを大事にすること」


 テストもSNSもいりません。 誰かの目を気にしなくていい。

 うそをつかなくていい。


 まちがったら、まちがったって言っていい。 泣きたかったら、泣いていい。

 「やりたくない」って、言ってもいい。


 しそうかは、フェンスのむこうから、しずかに見まもっていました。

 ときどき、すこしだけメモを投げこんできました。


 「ほんとうのてんごくは、外にあるんじゃない。君の中にあるんだ」

 「こわくても進め。それは生きてる証拠だ」


 ソラは、しそうかの言葉を読むたび、胸のどこかがあたたかくなりました。


 やがて、「もうひとつの天国」は、小さなウワサになって広がっていきました。


 「なんか、自由になれる場所があるらしい」 「しかられないらしい」

 「泣いても、怒っても、いいらしい」


 そして、ある日――。

 ハルカちゃんがSNSに、こんなことばをのせました。


 「ほんとうのこと、言ってみたら、生きてる気がした」


 それは、てんごくの“きれいなことばランキング”で最低評価をとり、すぐに削除されました。

 でも、その前に何人もの子どもが「いいね」を押し、ひとりがスクリーンショットをとって残しました。


 その夜、たくさんの子どもたちが、「もうひとつの天国」に集まりました。 だれも笑っていませんでした。

 でも、だれの目にも、小さな光がありました。


 火を囲んで、だまってすわっていたソラが、ぽつりといいました。


 「……わたし、ここに来るまで、死にたいって思ってた」


 風の音だけが、バスの車庫にひびきました。

 つぎに、ケンタくんがつぶやきました。


 「ぼくも……。でも、今はちょっとだけ、違う」


 「うん、わたしも」

 「ぼくも……」


 子どもたちは、誰にも聞かれていない場所で、はじめてほんとうの自分を話しました。


 泣く子もいました。笑う子もいました。

 だまってただ、あたたかい飲みものをわたす子もいました。


 それは、完ぺきじゃない。 きたないことばもあった。

 まちがいもいっぱいだった。


 でも――それは、たしかに「生きている場所」だったのです。


 いつしか、空があけて、朝が来ました。


 ソラは空を見あげました。 どこまでもつづく、ほんとうの青空。

 それは、どんなフィルターも通していない、本物のそら。


 「ここは、天国じゃない。でも……」

 ソラはつぶやきました。


 「ここは、わたしたちの場所だ」

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