第8話 人生は、予定通りにはいかなくても良い

 里奈の「真っ白じゃなくても、味のある色になればいい」という言葉を聞いた瞬間、直人の脳裏にある光景がフラッシュバックした。

 それは、つい先ほどまでメスティンの中にあった、あのごちゃ混ぜの茶色い塊だ。

 直人はハッとして、自分の手を見た。指先にはまだ、微かに油の感触と、甘じょっぱい麺つゆの香りが残っている。


 ――悪魔のおにぎり。


 あれもまた、本来なら捨てられるはずの『天かす』という余り物と、主役を失った『白飯』を混ぜ合わせただけの、不格好な料理だった。

 見た目は決して美しくない。清廉潔白な『白』とは程遠い、欲望と妥協の産物だ。

 けれど、その味はどうだったか。

 理性を吹き飛ばすほどの暴力的な旨味。冷えた体を芯から温める熱量。そして何より、空っぽだった心を満たしてくれたあの多幸感。

「……そうか」

 直人は静かに呟いた。

 南極観測隊の隊員たちも、極限状態の中で完璧な食事など求めてはいなかったはずだ。あるものを使い、知恵を絞り、泥臭く生き抜くためのエネルギーに変えた。

 失敗したからといって、終わりではない。

 余り物だとしても、無価値ではない。

 混ぜ合わせ、形を変え、リカバリーすることで、予想もしなかった『新しい味』が生まれることもある。

 彼女たちの言葉と、悪魔のおにぎりの強烈な味の記憶が、直人の中で一つにリンクした。

「混ざってもいいし……失敗しても、リカバリーできればいいんだ」

 直人の心臓をきつく締め付けていた、完璧主義という名の呪いのような鎖が、音を立てて砕け散っていくのを感じた。

 進路調査票の白い枠。あれは自分の中身の無さを証明するものではなく、これからどんな具材でも混ぜ込める、受け皿だったのだ。

 住職から受け継いだ古い術も、現代社会には不要な異物かもしれない。

 だが、それもまた自分という人間に深みを与える、天かすのようなスパイスだと思えば、無理に捨てる必要はないのかもしれない。

 直人の表情から、憑き物が落ちたように険しさが消えていた。

「ありがとうございます。……なんか、すごく腑に落ちました」

 直人が深々と頭を下げると、二人はきょとんとした後、嬉しそうに顔を見合わせて笑った。

「お役に立てたならよかった」

 遥は笑む。

 直人も笑顔で応える。

「ええ、十分に。……あ、コーヒーご馳走様でした。すごく美味しかったです」

 飲み干したシェラカップを返す。

 夜風はまだ冷たいが、もう凍えるような寒さは感じなかった。腹の底に宿った熱い悪魔が、彼を内側から守ってくれているようだった。


(続く)

第9話(終)・明日を夢見て

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