第4話 デジタルな海からの返信

 送信を終えたスマートフォンを膝の上に置き、直人は再び焚き火へと視線を戻した。

 パチパチと爆ぜる炎の色は、変わらず温かいオレンジ色だが、直人の腹の虫は冷ややかに鳴き続けている。

 広大なネットの海に投げ込んだボトルメールが、誰かの岸辺に届く保証などどこにもない。無言の闇と、空腹という現実だけが、じわじわと彼を包囲していく。

「……やっぱり、缶詰開けるか」

 諦めかけて、明日のための鯖缶に手を伸ばしかけた、その時だった。


 ブブッ!


 膝の上で、無機質な振動が走った。

 直人は弾かれたようにスマホを手に取る。

 画面には、通知を知らせるポップアップが浮かび上がっていた。

「……え、来た!?」

 見知らぬアイコン。

 茶トラ猫の写真をプロフィール画像にした人物。紹介に『プラモデル制作と小説書きが趣味です』とある、kouというユーザー名からのリプライだ。


『ピンチはチャンス! その材料があれば、アレが作れるよ! 南極観測隊の伝説、「悪魔のおにぎり」!』


「悪魔の……おにぎり?」

 不穏な名前。

 しかし、妙に心を惹きつける単語だった。

 直人ははやる指先で、添付されていたリンクをタップする。

 表示されたのは、あるニュース記事だった。


【悪魔のおにぎり】

 昭和基地、第57次南極地域観測隊(2015-2017年)の調理隊員を務めた、渡貫淳子氏が考案した、禁断の夜食。

 記事によれば、極寒の地・南極では、ゴミを極限まで減らすために、食材を余すことなく使い切るのが鉄の掟だという。

 ある時、夜食の天ぷらうどんで余った大量の天かすをどう処理するか悩んだ渡貫氏が、それを麺つゆと共に白飯に混ぜ込んだ。

 結果、生まれたのは、理性を破壊するほどの美味なる塊。

 あまりの美味しさに食べ過ぎてしまい、「カロリーが高すぎて悪魔的だ」と恐れられたことから、その名がついたのだとか。


「南極……」

 直人は呟き、夜空を見上げた。

 ここ日本の山奥と、氷に閉ざされた南極大陸。場所は違えど、状況は似ている。

 メイン食材を失い、手元にあるのは脇役たちだけ。

 そして、極限の空腹。

 追い詰められた状況が生み出した、サバイバルのための知恵。

 それは、直人が学んできた護身の術にも通じるものがあった。あるもので凌ぎ、生き抜くための工夫。

「……今の僕みたいな極限状態が生んだ知恵、か」

 直人の口元に、微かな笑みが浮かぶ。

 悪魔、という響きも悪くない。清廉潔白な生活を目指していたはずが、まさか悪魔と契約することになるとは。

 だが、背に腹は代えられない。

 直人はスマホの画面をレシピ代わりに固定し、覚悟を決めてメスティンに向き合った。

「よし、やるか」

 まだ湯気を上げている白銀のご飯。

 そこへ、まずは黄金色の天かすを惜しげもなく投入する。サクサクとした乾いた音が、静寂な森に響く。

 続いて、磯の香りをはらんだ青のりを振りかける。鮮やかな緑が、白と金の上に舞い散る。

 そして最後に、とろりとした麺つゆを回しかける。

 ジュワッ、という音と共に、出汁と醤油の芳醇な香りが一気に立ち上り、直人の鼻腔をくすぐった。

 白かった米が、茶色い液体を吸い込み、つやを帯びていく。

 それは、純粋無垢だった聖域が、欲望の色に染め上げられていく背徳的な儀式のようでもあった。

 直人はしゃもじを握り、全体が均一になるように、念を込めるように混ぜ合わせた。

「……出でよ、悪魔」

 小さく真言めいた言葉を呟きながら、彼は混ぜ上がった『それ』をラップの上に広げ、熱さに耐えながら優しく握り込んでいった。


(続く)

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