セクション2
到着した屋敷には、僅かに澱んだ空気が漂っていた。
それにミコが眉を顰める。
フィニスは特殊な能力も無く、魔力生物とのハーフでも無いため、そういった澱みもさして感じることができないでいた。だからこそ、そのミコの様子に面倒な案件かと息を吐くのだ。
そんなフィニスにとって、こういった僅かな澱みがある屋敷は換気をしていない家のようだと感じる程度なのだった。
屋敷へ足を踏み入れると、そこにはハーピーが一人立っていた。口元を隠す黒い革製のマスクに、白いシャツと黒いベストを着用している、翼の羽根先まで神経の通ったような精緻な美しさを持つハーピー。
戦装束のミコと喪服のようなスーツを着たフィニスの姿に、そのハーピーが軽く頭を下げる。
人間の上半身に鳥の下半身を持った彼女は、赤く長い髪を垂らし、そのブラウンの瞳に静かな哀惜を宿している。
その哀惜を湛えた目元だけが人間的で、それ以外は鳥の鋭さを纏っていた。
「来てくれてありがとう、フォンスは、ハーピーのフォンス。執務室へ案内するよ」
「どーも」
歩きにくそうにフローリングをカシャカシャと爪先で削るような乾いた音を立て先を行くフォンスに続いてミコとフィニスが歩いて行く。
この屋敷は一番奥に冒険者の執務室があるようで、フォンスたちが歩く両隣の襖の向こうから魔力生物たちがひそひそと話す話し声が聞こえてくる。
その中には、微かな笑い声すらもある。
「これで魔力生物に心があるなんて言うんだからゾッとしないな」
「そうだな、冒険者が死んだってのにどうにも明るい」
フィニスとミコの言葉に、フォンスは静かに息を吐く。
アニマリア族との混血である動物のマズルを隠す、黒い革製のマスクの下でフォンスは唇を開く。
「グローリアは……とても疲れてたんだ。寝る間も惜しんで、食事も惜しんで、フォンスたちのために頑張ってた」
執務室の扉を開きながらフォンスは言う。
執務室は、机の上の書類がきっちり直角に揃えられ、万年筆も一本一本、ペン先が揃うように収められていた。
だが、その整然さは生活の気配を拒むようで、マグカップも、掛け布団も、柔らかい色の小物すらなかった。まるで“暮らす”ことを忘れた部屋のようだった。
ミコがグローリアのデスクへと手を掛ける。抽斗を開けると、そこには一冊のノートが収められている。
表紙を開き、そこに書かれた“日記”という一言にミコは「この冒険者はきちんとしてるな、フィニスにも見習ってほしいもんだ」と考える。
“皇歴三三五年七月八日
今日、僕は冒険者になれた。一年半の研修期間も小論文も無事に終わって、夢を叶えたんだ。最高の気分だ。
初めての相棒、フォンスと、これから頑張っていきたいと思ってる。”
“皇歴三三五年七月九日
二人目の相棒のパルムスが顕現した。傍付き以外で五つの部隊を作れるように三〇人を顕現した。色んな魔力生物がいて、色んな性格の魔力生物がいることを知れて、すごく楽しい。”
“皇歴三三五年七月一〇日
今日、魔導動物型アンドロイドから、予算比率に対する顕現数を超過してると言われた。僕の納税額がすごい額になるらしい。
魔力生物を解放して保護委員に送るようにと言われたけど、そんなことはできない。
彼らは、僕の新しい家族なんだ。”
“皇歴三三五年七月一一日
せめて、相棒たちを全員この屋敷へ残しておけるように毎月の使役申請を行っていこうと思う。
毎日動物型アンドロイドのアラートが鳴る。気にしなくていいように動物型アンドロイドを起動するのをやめた。
両親から、疲れた声をしてると心配された。もっと頑張らないと。”
“皇歴三三五年八月一五日
納税額が決まったと通知が来た。
僕の手取りの八割が納税額らしい。ここに魔力生物たちの食費と、屋敷の固定資産税が掛かる。
僕の給料は、それで消える。”
“皇歴三三五年九月一五日
使役申請を送っても、僕の納税実績と階級が足りなくて、申請も突っぱねられる。”
“皇歴三三五年一〇月一五日
毎日お腹が空いている。どれだけ仕事をしても、手取りは増えない。なのに納税額は増える。どうしたらいいんだろう。
魔力生物使役申請が通らないから扶助も増えない、どうやって生きていったらいいんだ。
お腹が空いて、水で膨らまそうとしても足りない。頭がボーッとする。”
“皇歴三三五年一一月一五日
しんどい、どれだけ働いても手取りは増えない。納税額は増えて、使役申請も突っぱねられる。
税金は減らない、扶助も出ない、どうやって生きていけばいいんだ。こんなこと、誰にも言えない。
夢は叶ったけど、それだけだ。夢でお腹は膨れないし、夢でお金は稼げない。
母さんから、心配の電話がくる。それに返事をする力すらない。”
最後には筆圧の弱くなった日記が残っているだけだった。
勤勉で、几帳面。責任感が強くて、そして優しい人だったのだろう。
彼の優しさは、魔力生物を捨てることで自己を守るという選択肢すら拒絶してしまった。
「やっぱ、冒険者なんてなるもんじゃないな」
後ろから覗き込んでいたフィニスの言葉に、ミコはしかしそんなことないだろうとは言えなかった。
優しさは武器にならない。武器にならないどころか、優しさというものは砲撃の中素手で立たされる原因にもなり得るのだ。
グローリアは、政府の制度によって殺されたようなものだった。
けれど、とミコは思うのだ。彼の担当であったケースワーカーに相談をしていれば、税金の内訳が変わったり、なにか別の方法を一緒に考えてくれることもあっただろう。
「……他の魔力生物たちは」
静かなフォンスの声がフィニスとミコの耳を打つ。
「他の魔力生物たちは……グローリアが死んだ理由も分かっていないし、自分たちが存在するのにお金が必要だっていうことも知らない。グローリアは、ただ……急病で死んだと思ってる。
グローリアは、グローリアは……誰にも、救われなかったんだ」
外からはなんの声も聞こえてこない。どこかから魔力生物の小さな声が聞こえてくることもない。鳥や虫の声すら無い。
ただ、フォンスの声だけが空気を揺らしていた。
それはとても、とても小さな絶望の慟哭だった。
「全員、解放処分にする。そんな思考の魔力生物が別のパーティに行ってまともに過ごせるわけがない」
フィニスはそう言い、そして一瞬間を置いて再び口を開いた。
「……なにより、自分たちが冒険者の死亡理由だなんて知ったら生きていけないだろ」
「君は、案外優しいよな」
「案外じゃなくて優しいんだよ、俺は」
嘯くような言葉がフィニスの口から零れる。そして、フォンスの肩を軽く叩いた。
フォンスは何を思っているのか、静かにグローリアが使っていた文机を見つめている。
「フォンスは、どうする?」
フィニスの言葉に、フォンスは静かにフィニスの顔を見てから「フォンスは……この屋敷と一緒に朽ちていくよ」と静かに言う。
一時的に屋敷の権限がフィニスへ譲渡され、魔力生物たちが自身の友人や同じ種族の者たちと話し笑っている中で一斉に解放処理をする。
ただ一人、ハーピーのフォンスだけが屋敷に残っていた。
フォンスは最初の頃に強制終了されてから姿を見ることも無かった魔導動物型アンドロイド:トリをフィニスに渡す。
パーティが閉じられる場合、魔導動物型アンドロイドはギルドへ返却されるということを知っていたのだろう。
「フォンス、君は色々と詳しそうだが、なんでだい」
「フォンスは……グローリアが亡くなってからずっと、この部屋にあった資料や説明書を読んでいたから」
「グローリアもお前を傍において相談してりゃ良かったのにな」
フォンスの言葉に対して軽く返事をしたフィニスに、フォンスは笑っていいのか分からないといった表情を浮かべる。
「フォンス、お前ここで朽ちてくって言ったけど、ギルド所属の魔力生物になれよ。そしたらグローリアみたいな奴を救えることもあるだろうし、それがお前の救いになることもあるだろ」
フィニスの言葉にフォンスは面(おもて)を上げた。
「……そんな、選択肢もあるんだ」
フォンスは想像もつかなかったという様子でそう言い、ミコはまさかそんなことをフィニスが言うとは思えず目が転げ落ちるかと思うほどに見開く。
「フィニス、君、できる限り書類を書きたくないから魔力生物を持ち帰らないだろう、どうしたんだい!?」
「思い直したんだ、ミコ。俺が書かなくてもお前がいるだろ」
フィニスの言葉に、ミコは「そんなことだろうと思ったよ」と唇をへの字に引き結ぶ。
ミコは仕方がないという表情を浮かべ、フィニスとフォンスと共に転送装置へと入る。
────
眩い光が網膜を焼き、ギルドの転送装置前へと戻る。
「ご苦労様です、ギルド所属捜査官フィニス様ですね。そちらのハーピーは?」
「グローリアの初魔力生物のハーピー、フォンスだ。ギルドでの勤務を希望してる。グローリアパーティの魔力生物はフォンスを残して全員解放処理済だからそのまま閉じてくれ」
「かしこまりました。それでは、特定魔力生物保護課へ連絡を致します」
転送員がインカムを通じて連絡を入れると、通常よりも早い一二分で保護委員のカルスの魔力生物であるヴァンパイアのウェスペルティーリオがやってくる。
「久しぶりだな、ミコ、フィニス。こちらだ」
カルスのウェスペルティーリオが転送装置の近くにあるブースへとフィニスとミコを先導する。
簡素なパーテーションで区切られたブースにフィニスとミコが座り、カルスのウェスペルティーリオが机へと置いた鉛筆で丸の付けられた書類へとミコが記載をしていく。
グローリアの冒険者コード、冒険者名と、どのような経緯があって保護をしたのか。そういった全てを記入してカルスのウェスペルティーリオへと渡すと、彼女はすぐにその内容を確認して次の書類を渡す。
フォンスがギルドでの勤務を希望していたために、まずは検査をしなければならないと、検査同意書へと再びミコが万年筆を動かし記入し始める。
フィニスは大きな欠伸をひとつして、詰まらなさそうな顔で魔導端末を弄っていた。
「確認した、あとはこれだな」
カルスのウェスペルティーリオが渡すのは魔力生物がギルド内で勤務することを希望する申請書だった。
それを、ミコが席を譲り、その席に座ったフォンスが自筆で記載をしていく。
元冒険者コード、冒険者名。
そして、その冒険者から離れてギルドで働くことの許諾。
フォンスは少しだけ傷付いたような表情を浮かべて、しかし幾枚も綴られている書類へとサインをしていく。
全て記入を終えたフォンスがカルスのウェスペルティーリオへと書類を渡すと、全て確認したカルスのウェスペルティーリオが立ち上がって裏で書類の確認をする。
しばらくして戻ってくると書類の写しをフィニスとフォンスへと渡す。
「確認が終わった。最短一ヶ月でそのハーピーがギルド所属になるか否かは決まる。それまでは、特定魔力生物保護施設に入ってもらう。その説明をするから、フォンスは残ってくれ」
「じゃ、俺たちはお役御免だな」
やっと終わったとばかりにフィニスが思い切り伸びをして椅子から立ち上がる。
「ああ、ご苦労様。またな」
「またが無いことを願ってるよ」
カルスのウェスペルティーリオからの言葉に、フィニスは肩を竦めて軽く嘯く。フォンスに「じゃあな」と告げてフィニスとミコは政府内の居住区域へと足を向ける。
「お、お疲れ。フィニスの旦那とミコの旦那」
ギルド所属の冒険者兼捜査官であるアピス・メリフェラの使役魔力生物である小ドラゴンのプルヘルからの挨拶に、ミコは「ああ、お疲れ。君らはいまから仕事かい?」と明るく応える。
「いや、俺と大将は終わって帰ってきたとこだ、お宅らもかい?」
「ああ、酷い現場だったぜ」
アピスのプルヘルと話すミコを横目に、フィニスは「先に戻ってるぞ」と言い、居住区域の自室へと入っていく。
「ミコの旦那のところはどんな感じだったんだ?」
「……冒険者が、過労死した。でも魔力生物は誰もそんなこと知らずに笑って楽しそうに話してたんだ」
ミコの言葉に、アピスのプルヘルは大きな口を僅かに引き結ぶ。
「それは、ひどい現場だったな」
中には、死後数年経ってからようやく気付かれる屋敷だってあるし、呪詛でボロボロになった屋敷や、魔力生物も冒険者も皆殺しになった屋敷だってある。
ほとんどのギルド所属捜査官はそういった屋敷をひどい現場だったと言うだろう。
しかし、アピスのプルヘルやミコにとってはそういった屋敷はただ救いのないだけの屋敷というだけで、実際にひどい屋敷というのは過労死やギルドの制度によって殺されてしまう冒険者のことなのだ。
きっと、ロイもミコやアピスのプルヘルと同じように、どうしようもなかったことで死んでいった冒険者や魔力生物たちの存在こそが最もひどい事件なのだと、そう思うのだろう。
ミコは、なんとなくそう思っていた。
アピスのプルヘルと別れたミコは、居住区域の自室へと戻る。
フィニスが付けていたテレビからは、朝と同じSECCのことが流れている。
ミコは思うのだ。
この画面の向こう側の誰が、今日の冒険者のことを知っているのかと。
同じ敷地内にいて過労死した冒険者のことを知らずに笑い、話していた存在に、どうして心があると信じられるのかと。
そう、思うのだ。
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